抜粋です。


“生まれる前に決めていたことに出会ったのなら、抗うのは困難です。

スポーツ選手のインタビューなどで「苦しいことはあったが、辞めようと思ったことは1度もない」と言っているのを聞きますが、この人は決めていたのだろうと思います。


何かに突き動かされるように行動しているのは、魂が予め決めていたことだからと思います。


何故、生まれる前に決めていたのでしょうか?

それは自分(魂)を成長させるためです。

自分に足りないものを手に入れるためです。

向こうの世界で、自分に足りないものを自覚すると、それを手に入れるために、地上に生まれることを志願します。


人生には、およその計画があります。

決めていた出来事が、因果律の働きによって正確に起こります。


もし、計画がなかったらどうでしょう?

偶然に支配され、その人の成長にとって不必要なことばかりが起きてしまうでしょう。

足りないものを手に入れるのは運まかせになり、極めて困難です。


無限の叡智が働いています。

足りないものを手に入れるために必要な経験をする人生が計画されます。


例えば、強さが足りない人がいたとします。

そんな人は、自分の力で何とかしなければいけない状況に追い込まれる人生が計画されるかもしれません。

力を振り絞り、逆境を乗り越えようとすることで、強さが増して行きます。


逆に、優しさが足りない人がいたとします。

そんな人は、自分の力ではどうすることもできない状況に追い込まれる人生が計画されるかもしれません。

追い詰められて、万事休すと思われた時に、誰かに助けられたとしたらどうでしょう?

この世界で1番大切なものが分かるはずです。


病気もそうです。

病気は自分自身に突き付けられた問題です。

自分の体なので、自分で何とかしなければいけません。

肉体的な苦痛を味わい、精神的な負担を強いられながら、克服しようとすることで、強くなって行くと思われます。


病気になり、不安や恐怖に押しつぶされそうな時、周りが支えてくれたり、励ましてくれたり、優しくされるのは何よりもうれしいです。

命に関わるような深刻な病気になれば、それまで追い求めていたものに価値を見い出せなくなるかもしれません。

病気になって、生き方や考え方が変わったと言う人は少なくありません。

そんな人は、目に視えない大切なものに気付いたと思います。

災禍と言われる病気ですが、強さと優しさを同時に手に入れることができたのなら、霊的には恩恵と言えるのではないでしょうか。


ぎりぎりまで追い詰められる出来事が、学び成長するために必要なのかもしれません。

そんな出来事が、魂を目覚めさせるからです。

目覚めた魂が、足りなかったものを見つけて、自分のものにすることができるからです。


足りないものは、人によって違います。

足りないものを、自分のものにするために必要な経験も違って来ます。

従って、人生がそれぞれ違って来て当然です。

比べても全く意味がありません。


人それぞれに生きる目的があります。

その目的を成就するための計画が存在することを知っていれば、不公平さを恨んだりすることはないでしょう。

自分の成長のために、この人生の計画を承知して、私たちは生まれて来ています。


もし計画が存在するのなら、教えて欲しいと思う人もいるでしょう。

知ったとしたら、その先で起きることが気になり、まともな精神状態でいられなくなるかもしれません。

回避しようと躍起になる人もいるでしょう。

絶望して(この世の)人生を自ら終わりにしてしまう人もいるかもしれません。

地上に生まれる人はそれほど強くないので、知ることはできないと考えられます。


自分に足りないものを身に付けるために必要な出来事を経験しています。

偶然として片付けてしまうのは、目的を知らないからです。

知らなくても、目的が果たせれば、それで良いのかもしれません。


いつの日か霊界に行きます。


そこで全てがはっきりします。


あの時に起きた出来事には、こんな目的があったと知ることになります。

それこそ、目から鱗が落ちます。

神を恨んでいた人は、無知だったことを恥じるでしょう。”