第二子の娘が産まれて8ヶ月が経ち、
小さい頃の私の写真とそっくりの顔で笑う娘を見ていると
本当に幸せ~な気持ちになります。
息子が産まれた時もそれはそれは嬉しかったけれど、
姉妹で育った自分にとって男の子は未知の生物とでも言おうか。。
お尻の拭き方ひとつをとっても「アレ?アレ?」と試行錯誤していました。
毎日、毎日、これでいいのかなーと不安になってネットで調べたり、
言葉の発達が遅い気がする、とか心配になったり
(しまいには、「ちゃんとしゃべって」と息子に言ってもうた)
やたらに育児書を買って読んだりとか
常に頭のなかに「?」がありました。(今もだけど)
だから、息子の育児に関しては、
娘ほどはのんびりゆったり、とはいかず
「かわいいなあ」とか「赤ちゃんてこうなの!?」みたいな
新鮮な驚きを感じる余裕はあまり
もてなかったように思います。
「ああ、やっと歩いた。良かった」
「ああ、やっとしゃべってくれた。良かった」
と、こんなかんじで、彼が一つ一つ成長していくたびに
「やっと、安心できる」と思っていたように感じます。(記憶もおぼろげだけど)
まわりの「まだしゃべらないの?」という言葉にひどく傷ついて、
一人泣いたり、ネットで同じような悩みをもつお母さんに共感して安心したり、
じいじばあばの教育熱心さを時として苦しく感じたり、
まーいろいろ。いろいろ心かき乱され、心痛め、
けれど、息子と毎日一緒に一つ一つ
3年間試行錯誤しながら積み上げてきました。
まさにこれは息子の成長でもあり、
わたし自身の成長でもあったと思います。
これがこなれた仕事とか、
自分の勉強とかなら話は早いけれど
育児は、まあ、ほんと自分の思い通りにはいかない。
育児とは「待つこと」と言っても過言ではないと思います。
その、じれったい一つ一つを息子とマンツーでやってきて、
泣いた笑った3年間を経て、この娘と出会ったわけですが、
明らかに、第二子は違う!
成長のひとつひとつをのんびり眺めていられる上に、
やんちゃ盛りで未知の世界をきりひらいていく息子との活動に疲れたわたしの
「癒し」にすらなっている!
これが女の子だからなのか、第二子だからなのか、
はたまたその両方だからなのか、
とにかく第一子のときとは違う心の余裕があり、
息子に鍛えられた分、「わたし、母としての経験値すげーあがってるー!」と
たまに悦にはいったりもします。(そうじゃないとやってられん。自分で自分をほめよう!)
要は、まあ、慣れなんでしょうが。
みんな思うのかもしれませんが、
この経験値で、この心のゆとりで長男に接してあげたかった!とたまに思います。
とにかく、育児はやったことないから、
わからないことだらけだから、
一生懸命にやるしかなくて、
自分自身も「お母さんなんだから!」となって頑張るんだけど、
不安がいつも少し残る。
みんなすぐに、
自分の母のようなベテランの「お母さん」になるわけじゃないのに。
いま、昔の自分に言ってやりたいこと、たくさんあるよ。
-------------------------------------------------------
離乳食急がなくって大丈夫だし。
育児雑誌みたいな離乳食つくってもそんな食べないし、
つくってる時間があったら遊んであげたほうがいいし。
一生懸命作ったごはん床に投げられても、それふつーだし。
ハイハイしなくても歩けるようになるし。
-------------------------------------------------------
※まあ、とにかくおっぱい大好きだった息子は離乳食がちっとも進まず
私は焦っていた。
※さらに「第二子は?」とか聞かれたりとか「仕事よくやめたね」とか言われるたびに
「これでよかったのだろうか」と自問自答したり、モヤモヤしたもんだった。
いまはもう迷いは無い。
人は人、自分は自分。
わたしだって他人と比べられたら嫌なはずなのに、
息子の成長は、つい他の子と比べてしまう。
自分の育児に確証がもてないから、
他人の言葉に流されてしまうし
なんとなく言われた言葉が、忘れられなかったりする。
でも、一緒に初めてのことを頑張ってきたぶん、
3歳になった長男は、わたしのパートナーって気もする。
夫は、娘が産まれてから、すごく父親らしくなってきたような。
わたしも、前より少しは母親らしくなったのかしら。
娘はこれからどんな風になるだろ。
こどもたちの将来、わたしの将来、夫の将来。
なんとなくいろいろ考える秋の夜長。
小さい頃の私の写真とそっくりの顔で笑う娘を見ていると
本当に幸せ~な気持ちになります。
息子が産まれた時もそれはそれは嬉しかったけれど、
姉妹で育った自分にとって男の子は未知の生物とでも言おうか。。
お尻の拭き方ひとつをとっても「アレ?アレ?」と試行錯誤していました。
毎日、毎日、これでいいのかなーと不安になってネットで調べたり、
言葉の発達が遅い気がする、とか心配になったり
(しまいには、「ちゃんとしゃべって」と息子に言ってもうた)
やたらに育児書を買って読んだりとか
常に頭のなかに「?」がありました。(今もだけど)
だから、息子の育児に関しては、
娘ほどはのんびりゆったり、とはいかず
「かわいいなあ」とか「赤ちゃんてこうなの!?」みたいな
新鮮な驚きを感じる余裕はあまり
もてなかったように思います。
「ああ、やっと歩いた。良かった」
「ああ、やっとしゃべってくれた。良かった」
と、こんなかんじで、彼が一つ一つ成長していくたびに
「やっと、安心できる」と思っていたように感じます。(記憶もおぼろげだけど)
まわりの「まだしゃべらないの?」という言葉にひどく傷ついて、
一人泣いたり、ネットで同じような悩みをもつお母さんに共感して安心したり、
じいじばあばの教育熱心さを時として苦しく感じたり、
まーいろいろ。いろいろ心かき乱され、心痛め、
けれど、息子と毎日一緒に一つ一つ
3年間試行錯誤しながら積み上げてきました。
まさにこれは息子の成長でもあり、
わたし自身の成長でもあったと思います。
これがこなれた仕事とか、
自分の勉強とかなら話は早いけれど
育児は、まあ、ほんと自分の思い通りにはいかない。
育児とは「待つこと」と言っても過言ではないと思います。
その、じれったい一つ一つを息子とマンツーでやってきて、
泣いた笑った3年間を経て、この娘と出会ったわけですが、
明らかに、第二子は違う!
成長のひとつひとつをのんびり眺めていられる上に、
やんちゃ盛りで未知の世界をきりひらいていく息子との活動に疲れたわたしの
「癒し」にすらなっている!
これが女の子だからなのか、第二子だからなのか、
はたまたその両方だからなのか、
とにかく第一子のときとは違う心の余裕があり、
息子に鍛えられた分、「わたし、母としての経験値すげーあがってるー!」と
たまに悦にはいったりもします。(そうじゃないとやってられん。自分で自分をほめよう!)
要は、まあ、慣れなんでしょうが。
みんな思うのかもしれませんが、
この経験値で、この心のゆとりで長男に接してあげたかった!とたまに思います。
とにかく、育児はやったことないから、
わからないことだらけだから、
一生懸命にやるしかなくて、
自分自身も「お母さんなんだから!」となって頑張るんだけど、
不安がいつも少し残る。
みんなすぐに、
自分の母のようなベテランの「お母さん」になるわけじゃないのに。
いま、昔の自分に言ってやりたいこと、たくさんあるよ。
-------------------------------------------------------
離乳食急がなくって大丈夫だし。
育児雑誌みたいな離乳食つくってもそんな食べないし、
つくってる時間があったら遊んであげたほうがいいし。
一生懸命作ったごはん床に投げられても、それふつーだし。
ハイハイしなくても歩けるようになるし。
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※まあ、とにかくおっぱい大好きだった息子は離乳食がちっとも進まず
私は焦っていた。
※さらに「第二子は?」とか聞かれたりとか「仕事よくやめたね」とか言われるたびに
「これでよかったのだろうか」と自問自答したり、モヤモヤしたもんだった。
いまはもう迷いは無い。
人は人、自分は自分。
わたしだって他人と比べられたら嫌なはずなのに、
息子の成長は、つい他の子と比べてしまう。
自分の育児に確証がもてないから、
他人の言葉に流されてしまうし
なんとなく言われた言葉が、忘れられなかったりする。
でも、一緒に初めてのことを頑張ってきたぶん、
3歳になった長男は、わたしのパートナーって気もする。
夫は、娘が産まれてから、すごく父親らしくなってきたような。
わたしも、前より少しは母親らしくなったのかしら。
娘はこれからどんな風になるだろ。
こどもたちの将来、わたしの将来、夫の将来。
なんとなくいろいろ考える秋の夜長。


は



解読不能な内容でも、うんうん頷いて聞いているとたくさん喋ってくれる