その昔、人類は誰かと会う時、

「じゃあ太陽が上った時ね」

「太陽が真上の時ね」

と申し合わせて

会っていた。

時間がなかったからだ。

 

そこに時間という概念が生まれた。

1秒の間隔は世界共通です。

だから16時待ち合わせね、

と「共通できるもの」が生まれた。

 

つまり時間というのは、

たくさんの人がいる中で、

共通の物差しなわけです。

 

逆に言えば1秒の間隔は、

絶対的なものではない。

人類が便宜上決めただけです。

もともとこの世に

時間というものはないのです。

(フランクミュラー氏の言葉)

 

 

さて、これと同じで、

なぜか絶対的に正しい

と思われているのが、

「論理的」であることです。

 

ロジカルシンキング(論理的思考)とは、

物事を体系的に整理して筋道を立て、

矛盾なく考える思考法です。

あくまでも思考法の一種です。

 

論理的思考が進むと

言語化ができるようになる。

この言語化というものも

今の世の中で脚光を浴びている。

 

しかし不思議なことに、

論理的思考ができること、

言語化できることと、

仕事の成果とに、

何の相関性もないのだ。

ましてや成功とは、

まったく無関係です。

 

論理性というのは、

他者に何かを伝える時に

大勢で何かを進める時、

時計と同じように、

共通の物差しになる。

だから重宝される。

 

さらに論理的思考ならば、

問題解決の際にも

原因特定や解決策の立案に

効果的と言えます。

つまり強い武器なわけです。

 

でも、それだけです。

絶対的なものでもない。

そう、冒頭の時間と同じで、

あくまでも思考法の一種です。

 

 

少し話は変わるが、

私はかねがね

割り切るという考えは

弱さだと主張します

白か黒かみたいな思考は

すっきりしているようで、

単なる逃げではないでしょうか。

 

それと同じで思考における、

論理性の割合が100%であることは、

ある種の逃げではないでしょうか。

ようは左脳だけの思考で

右脳の関与がないと言いましょうか。

 

論理的であることは重要です。

しかしそれだけではない。

つまり左脳と右脳のキャッチボール

という表現です。

 

例えばビジネスにおいても、

論理性だけでうまくいくなら、

こんなに簡単なことはない。

しかし実際には大きな成果は

まったく論理的ではない範疇から

登場してきます。

社会を変えてきたもの、

便利にしてきたもの、

それらって論理の世界ですか?

 

例えば馬が移動手段の時に

論理で考えるならば、

もっと早い馬を探すわけで、

そこに自動車は登場しない。

例えばガラケーの時代に、

もっと携帯を便利にすべく、

i-モードが登場し、

ガラケーを便利にしたが、

今誰かガラケー持ってますか?

スマホです。

ガラケーの延長線上に、

スマホは登場しない。

 

 

少し話はそれたが、

日頃から自分の思考が

論理に傾きすぎていないか

顧みるといいと思う。

私もこれはよくやります。

 

論理は筋道がたっていると、

合意されやすいですし、

説明責任も果たせます。

承認欲求も満たされます。

その意味で便利なツールです。

 

でも、それだけの話です。

 

論理に傾きすぎると、

物事はうまくいかない。

論理的というのは、

ただの一面にすぎない。