母校におこなった寄付にて、

器材の設置が完了したので、

依頼を受けて行ってきた。

 

他にも運動部の為に

ウォータークーラーを、

文化部の為に、

社内歓談用のテーブルセットを

それぞれ寄付した。

 

金額の大きなものは法人寄付、

上記は私個人の寄付です。

 

 

私は自分が通った

幼稚園小学校中学校高校大学、

育った市、都道府県、

今住んでいるエリアの小学校、

養護学校、病院と寄付してきた。

 

あれは中学校に寄付した時、

各部活から希望するものを募り、

全部買いました。

サッカーのボールも

陸上部のハードルも、

吹奏楽のトロンボーンも、

全部です。

見積見て飛び上がったが、

後にはひけない…。

 

その調印式の時、

校長先生は私が中学生の時の

隣の担任の先生でした。

 

私が到着する30分前から

校門の前で待っておられたようだ。

たいそう感動して泣いておられた。

私はとても驚いた。

 

私は自分の為に寄付をする。

感謝を行動に示したい。

客観的に見れば、

とんでもない人生ですが、

私は育ってきた環境に

深く感謝しています。

だから自分が通った全ての学校と

都道府県、市に寄付した。

今後も継続します。

 

 

経営者として少し成功すると、

家や高級車や時計を買って

夜は高級レストランで

飲み歩き、

そんな世相に対して、

かっこよさを追い求めたい。

恩義を大切にしたい。

 

フェラーリにのって

高級レストランに行くより、

その金があるならば先に、

子ども達に部活の道具を買い、

喜んでほしいと願う。

私のことなど知らなくていい。

 

それらは自分の為です。

全部自分の為です。

だから御礼を言うのは、

私のほうなのです。

 

ともあれ、

私が中学の時だから

今から24年前のことだ。

よく覚えているとのことだった。

あなたのような数奇な運命の

子どもがどうなるのか、

当時の教職員はみんな心配した

と仰っておられた。

校長先生は教師生活40年。

こんな寄付をしたのは、

あなただけと言ってくれた。

 

しつこいが、

寄付することがすごいとか、

勧める気などさらさらない。

そんなこと個人の自由です。

自分のお金をどう使おうが、

その人の勝手です。

 

 

でも、自分が社会で活動し、

それで得られたお金は、

できる範囲で、

私は社会に還元したい。

自分一人の力で

今があるわけではない。

 

 

自分で人生を切り開いてきた、

自分の努力のおかげだ、

今の人生があるのは

自分の頑張りによるものだ、

そう思っているうちは、

何もわかっていないのでは

ないでしょうか?

あまりに幼い。

 

誰が見ていようが

見てなかろうが関係ない。

報恩の誠を貫きたい。