歌舞伎で児雷也という演目があるが、これは全く関係ない(笑)

「車の運転をしながらの手紙は危ないよ」と伝えたいだけだった。

「運転気を付けてね」と送信した。
そしたら「ナビのハンズフリー設定をしたので通話OKです」との返事。
会話が噛み合わない。
「それは、運転しながらの通話の話でしょ。手紙は気を付けないと」と返したら、
「通話といいましたから、そこまでバカではないです」の返事。
これで機嫌を悪くしたみたいである。
この会話のどこがいけなかったのか?
普通の会話をするのに、考えて言葉を選んでも地雷を踏む。
何処に地雷があるか解らない。
活断層の上の原発の方が、何百年に1回の事故だから余程安全に思える。
手紙は相手の精神状態や状況が解らない。
時には、自分の感情を押し殺してキーを叩くこともある。
これは、私だけでなく相手もそうだろう。
ならば、地雷は踏んでも気にしないことか?
しかし、地雷を踏めば五体満足ではいられない。
本物でない分、手足は身体に付いているが、心は何処かに飛ばされる。
地雷を踏んだ方も、踏まれた方も、被害がない訳ではない。

何故こうなるのか?

夫婦の間も、長い時間が経ってボタンの掛け違いに気が付いても、今更直すことは苦労である。
修復するのに根気が必要である。
その根気は年齢と共に失っていく。
相手に通じなければそれまでと、諦めの境地に達する位になれば悟りを開けるようになるのではと考える。