歌舞伎は、ただ舞台を観るだけではなく、“重なって見える瞬間”に、心が震える芸能なのだと思います。


後ろ姿ひとつ取っても違う。

舞台に立つ姿の中に、親の面影、

先代の気配、積み重ねられてきた芸がふっと現れる瞬間があります。


例えば、市川新之助くん を観た時に、

若き日の 海老蔵さんからの、

市川團十郎白猿さん の姿が重なって

見えたり、市川染五郎さん の中に、松本幸四郎さん の気配を感じたり――。


その“血”や“芸”の連なりに、

ぞわっとするような感動があります。

それもまた、歌舞伎観劇の醍醐味なのだと思います。


一方、坂東玉三郎 さんのように、

お子さんがいらっしゃらないからこそ?唯一無二の芸を極め、一代で大輪の花を咲かせる役者もいる。


だからこそ、映画 国宝 の喜久雄のような存在にも、多くの人が心を動かされるのでしょう。


ブログでは、愛らしい子供ですけど

市川ぼたんちゃん にも、すでに

大輪の花”の気配を感じます。私が言うのもなんですが、ぜひご覧いただきたい。


また、市川新之助 には、親を超えていくのではないかという、堂々たる迫力と強い輝きを感じます。


2人とも強烈なオーラを放ってます。


親は追い越されたくない。

けれど子は親を超えていこうとする。


そんな姿に「強烈な努力」と、

「凄まじい(親の)立ち位置の阻止」を感じます。


そんな親子の緊張感や継承の物語までも、舞台の奥に見えてくる。

それが、歌舞伎という世界の奥深さなのかもしれません。





成田屋の芸や「歌舞伎十八番」は、もともと“家の芸”として受け継がれてきた歴史がありますよね。

だからこそ、政治的立場を前面に出すよりも、「芸そのものを守る」

「観客に夢を見せる」という姿勢に、美学を感じる人は多いと思います。


特に 市川團十郎白猿 の家系は、“成田屋”という看板自体が一つの文化財のような存在でもありますから、

「個人の主張」より「継承」を重んじるべきだ、という考え方には、

伝統芸能ならではの重みがあります。


一方で、

「女性は女性らしく、男性は男性らしく」という感覚は、昔ながらの歌舞伎の様式美🌸ともつながる部分がありますね。


歌舞伎は、現代の“リアル”をそのまま写すというより、


  • 男らしさ
  • 女らしさ
  • 強さ
  • 色気
  • 美意識


を、誇張しながら様式として磨き上げてきた芸能でもあります。


だから、現代社会の価値観とは別に、舞台芸術として「型の美」を残したい、と感じる人がいるのも自然だと思います。


ただ、その「らしさ」は、人を縛るためというより、歌舞伎の世界では“美としてどう表現されるか”に重きが置かれている面も大きいのかな〜、と感じます。