今日は全国の自民党の女性議員の研修会の最終日で「高市政権の安全保障・防衛政策」について講師を務めました。日本各地で地域に根ざした活動を続けている地方議員の皆さんと政策とその背景にある問題意識などを共有する貴重な機会を頂き感謝です。自衛隊の活動は地域の理解あってこそ。地域の理解促進… pic.twitter.com/RAp0cJ20lH
— 小泉進次郎 (@shinjirokoiz) 2026年5月9日
全然話は違うんですけど、
私がスイミーを守っている教科書について、
ちょっと疑問に思うことがあるんですけど、
あのイラストを見て、数は力としか思えない、
頭に浮かばないですしね
靖国神社にしても、
今回のスイミーにしても、
参政党が、議員さん同士
集団になっていると、
参政党議員は大勢のイメージを
世の中にさらすと、多党から文句が
入るような気がしますね。
もちろん著作権は守らないといけないんですけど、
内容はイワシのトルネードだからね。
日本で絵面で革命を起こす事は無理かも?
自民党に抑えられているのではないかなぁ。
こういうのが教科書に取り上げられるとか、昔はすごくニュースになっていたものですが、今は全然取り上げられないし、睡眠自体がそんな長期的に教科書に乗って問題とならないのが不思議に感じます。
を前提に、
- 教育的意図: 多様性の肯定と協働学習の象徴。
- 「数の論理」への転換: しかし、この図像は一歩間違えれば「個の抹殺」と「集団による圧力」の象徴へと変質する。近年の参政党による無断利用騒動は、作品が持つ「集団美」のイメージが、特定の政治的勢力を誇示するための「数の力」として消費された典型例である。
- 肖像画による虚像の構築: ダヴィッドによる『ベルナール峠を越えるボナパルト』は、事実(ラバでの行軍)を劇的な虚構(白馬での勇姿)に書き換えた。これは「絵面で革命を起こす」行為の先駆けである。
- 「数」の組織化: 徴兵制による国民軍の創設は、バラバラだった大衆を「フランス国民」という一つの巨大な軍隊へと統合した。これはスイミーたちが巨大な魚を形成するプロセスと構造的に酷似している。
- 保守性と安定: 定番教材化することで、その背後にある「集団主義の危うさ」に対する批判的思考が停止している可能性。
- 政治的タブー: 自民党一強体制下の教育行政において、既存の価値観(和の精神・団結)を揺るがすような解釈の変更や、政治的利用に対するマスコミの追求が鈍化している現状。
我々に求められるのは、提示された「絵面」の美しさに惑わされず、その「数」の背後にある個の存在と、意図されたプロパガンダを
ここで注目すべきは、『スイミー』とナポレオンのイメージ戦略が、ともに「個々の存在を一つの大きな力へと統合する」という構造を持つ点である。スイミーたちは群れによって巨大な魚を形成し、ナポレオンは徴兵制や国民軍によって大衆を「フランス国民」という政治的・軍事的単位へと組織した。どちらも、弱い個が数によって強者へ転化する物語である。
しかし、その「数」は常に善であるとは限らない。自由のための団結は、容易に排除のための圧力へと反転し得る。美しい絵面は、人々の感情を動かす一方で、その背後にある権力の意図を見えにくくする。
したがって、私たちに求められるのは、提示されたイメージを無批判に受け入れることではない。小さな魚の群れであれ、白馬に乗る英雄であれ、その絵面の背後にある「数」「個」「権力」の関係を読み解く批評眼である。『スイミー』の問題は単なる著作権問題にとどまらず、教育、政治、プロパガンダ、そして視覚文化の危うさを考える重要な入口なのである。
なんかすごく気になるんですよね。
参政党の事ではなくて、モヤモヤするんですよね。
参政党はダメで、自民党はいい絵図。
立花さんはダメで、高市さんや、
立憲はいいという集団に支持されている。絵面を報道が、チョイスして誌面に出してるような気がしますよね。
