舞台直前という極めて繊細な時間において、役者が「誰とも会いたくない」と語るのは、それだけ舞台に集中し、芸に向き合っている証でもあります。

そうした大切な時間が十分に尊重されていないのではないか――そのような違和感を覚えます。


小池百合子知事には、もう少し演者の立場や舞台裏の空気感に対する配慮があってもよいのではないでしょうか。


そして、市川團十郎白猿さんにも、プロとしての信念を大切に、

「貫く姿勢」を守り続けていただきたいと感じます。


本来、歌舞伎という伝統文化の場は、政治とは一定の距離を保つことで、その品格や独立性が守られてきました。

しかし近年、その空間にまで政治が入り込んでいるように見える場面があり、公私の境界が曖昧になっているのではないかという疑問が拭えません。


文化に対する関わり方には、「支えること」と「介入すること」の違いがあるはずです。

とりわけ、公的な立場にある人物には、その距離感への繊細な配慮が求められます。


歌舞伎は、助成金や補助金に支えられている側面があるとはいえ、本質的には各家が代々守り続けてきた独自の文化です。

だからこそ、その独立性と品格は何よりも大切にされるべきものです。


また、興行を担う松竹の権利や、役者個人の肖像権といった繊細な権利関係も存在しています。

本来であれば、それらは極めて慎重に扱われるべき領域です。


それにもかかわらず、「世界に広める文化」としての発信だけが先行しているとすれば、その構造との整合性には疑問が残ります。

守るべき権利と、広げるという目的――この両立には本来、丁寧な設計が必要なはずです。


そうした前提が十分に整理されないまま進められているのであれば、それはやはり違和感を覚えざるを得ません。


さらに懸念するのは、メディアや行政の関与によって、歌舞伎が「特別なもの」として意図的に位置づけられ、ある種の“象徴”として扱われている点です。

本来、文化の価値とは自然に積み重なっていくものですが、外側から演出されることで、結果的に“身分”のような構造を生み出してしまっている可能性も否定できません。


文化を守るということは、単に広めることではなく、その本質や背景にある営みを尊重することです。

だからこそ今一度、文化と政治の距離感について、慎重に考える必要があるのではないでしょうか。


移民受け入れをやめなさ〜い。