水谷と言う男にカメラを近づけられたと言う話。

 

 

 

同和問題を初めて知った日のこと

同和問題というのは、とてもデリケートな話題ですが、
私が初めてそれを知ったのは中学生の頃でした。

学校の正門でビラが配られていて、
そこで初めてその言葉に触れました。

正直な感想は、
「なぜ自分から“部落”と名乗るのだろう?」
という疑問でした。

隠した方がいいのではないか、
そんな風に感じたのを覚えています。


実際に関わる中での印象

当時、私の周りにもその出身だと言われる人たちがいて、
普通に一緒に遊んだり、同じグループで過ごしたりしていました。

面倒見が良くて、
ご飯を奢ってもらったりすることもありましたし、
特に距離を感じることもありませんでした。

むしろ正直なところ、
「イケメンが多いな」なんて思っていたくらいです(笑)


親世代とのギャップ

ただ、親世代からは
「付き合うのはあまり良くないよ」と
言われることもありました。

どこに住んでいるから、というわけでもなく、
なんとなくの空気としてそう言われていた感じです。

でも、実際に接している自分からすると、
その理由がよく分からなかったのが本音でした。


彼らの生活の印象

仲良くしていた人たちは、
男同士でよく集まって遊んでいて、
麻雀やパチンコが好きな人も多かった印象です。

「みんな親戚やねん」なんて話もよく聞いて、
つながりの強さを感じることもありました。

仕事も環境関係の仕事に就いていたり、
市営住宅に住んでいる人も多くて、

特別に苦しそうという印象はなく、

夜遊びもして、自由で、
むしろ楽しそうに見えることもありました。


市営住宅への憧れ

私は一戸建てに住んでいましたが、
市営住宅の人たちの話を聞くと、

「家賃が安いし、なんだか楽しそう」

と感じて、少し羨ましく思ったこともありました。

中にはそこから出ていく人もいて、
それぞれの生活があるんだなと感じていました。

 


今振り返って思うこと

当時の私は、
目の前にいる人たちをそのまま見ていただけで、
「問題」として深く考えることはありませんでした。

でも、周りの大人の言葉や社会の空気との違いに、
どこか引っかかりを感じていたのも事実です。

同和問題は簡単に語れるものではありませんが、

 

25歳くらいまで、その人たちとは自然と一緒に遊ぶ

関係が続いていた気がします。

 

差別をしていたかと言われれば、
自分の中ではそういう感覚はありませんでした。

ただ、どこかでふと感じたのは、


「この人たちは、この区域にまとまって住んでいるのかな」ということでした。

なぜかな?仲がいいからなのかな????

でも病院にお勤めだったり、商売をしていたり、
むしろ収入は多かったような気がするんです。

 

意図的なのか、歴史的な流れなのか、
そこに一括りにされているような印象を受けたことがあります。

 

出て行かないの?とも思ったことありますが、


一方で、生活自体を見ていると、
特別に何かが違うようには感じませんでした。

むしろ市営住宅などは、
収入条件さえ満たせば入居できる制度ですし、
今では外国人の方も住むことができます。

 

そう考えると、
「特別扱いされている」というよりも、
制度として広く開かれているものにも見えました。


だからこそ、ふと思ったことがあります。

本当に差別しているのは誰なのか。

個人同士の関係ではなく、
制度や区域のあり方の中に、
見えにくい線引きがあるのではないかと。


もちろん簡単に答えが出る問題ではありません。

何があるのかもわかりません。

 

でも、実際に関わってきた中で感じた違和感や、
自分なりの視点は、これからも大切にしていきたいと思っています。