まつ再び・・・ -5ページ目

まつ再び・・・

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すっかり放置しておりましたが…

わたくし、家族ともども元気にやっております。

仕事を変え、JWで訓練いただいた(笑)キャリアを生かして営業職に就いております。
業務としてはわからないことばかりで、四苦八苦しており、無駄な業務をこなしているのですが、巧みな話術と人の心をつかむ術は、さすがの元神権宣教学校教訓者。だてに赤子のころから野外奉仕に引き回されていたものではございません。
年増の新人ながら一目置いていただいております。


なんかムカつくものがこみあげてはくるのですが…


職人の収入には体力とともに限界があり、カネのために職替えしたのです。


これが意外と天職のようで…。大変なこともありますが、楽しく仕事に向き合っているのです。
自分の生い立ちを受け入れ、良かったものはそれなりに活用させていただいている。
そんな感じです。



このところJWの葬式に出かけることが重なり、想いが募りましたのでブログに訪れました。

もう交わらなくなって2年の月日が過ぎ去りましたが、まつたちの会衆の、いろいろと深い気遣いを示してくれた調整者のお母さんが大往生なさり、KHで開かれた追悼式に出かけてまいりました。

長老がその立場を家族の世話のために返上したかと思ったら、いきなり来なくなったのですからみなさんビックリだったのだろうと思います。
まつが選んで交わった会衆の成員はさすがにごくごく普通に迎えてくれました。
そりゃぁほのかなJW臭は感じるものの…

2年の間にずいぶんみんなやつれた感じが深く心に残りました。




そして、昨日。
また一人、尊敬していた先輩が亡くなり、お別れ会に出かけてきました。

闘病三年三か月。すい臓がん。我が家の子供たちと変わらない幼子たちを残して。40代後半のお父さんが。

彼はまだまつが中学から高校のころ、地域大会組織のサイン部門の監督だった父のもとで奉仕していたさわやかなお兄さんでした。
当時の大会組織は半年も前から水曜と土曜特定のKHを使って準備をしていました。
開拓者の若いBr・Siが集まり、歓迎ゲートや文書紹介ボード、ステージ周りの主題を書いた大きな看板、各部門からの依頼を受けたサインを作成する大所帯でした。
デザインやレタリングのいかにも若者好みな、いわば花形の部門だったのです。
父に付いてよく行っていたまつも彼らの働きに接して、JW的には本当にいい経験をさせてもらったのだと思います。

集会や奉仕以外にこんなに楽しく役に立てる場があるのだと…

その経験はのちにまつたちの世代に至って、建設奉仕の分野で役立てられることになります。

彼はその中でも、とりわけさわやかで、進取の気性を持った賢さのにじみ出た青年でした。
父もよく面倒を見ていて、必要で出るときには何やらうちに来ていたのをよく覚えています。

それ以来ずっと会うこともなく、つい数年前、近くの会衆のやはり建設奉仕者の家族のもとに、必要で出ていた娘さん家族が戻って同居を始めたと聞こえてきました。
それが、あの彼の家族だったのです。

何があったのか知る由もありませんでしたが、何の立場もなく幼子たちを引き連れて妻の実家に転がり込んだ…
公営住宅に入居を望んでいることを知ったので、ぜひともわが会衆へ来ていただきたいと、お食事に我が家へお誘いしたのが20年以上ぶりの再開でした。

子育て仲間として。同じ時代と環境を生き、その生き方で道を示してくれた先輩の役に立ちたいと願い…

彼はどんなことがあったのか語ることはありませんでした。
きっと壮絶な経験をしたはずです。
あの有望な若者が用いられないはずはなく、何らかの事件によってその立場を追われたのは明白だと感じていました。

同じ立場にあったまつに話すのはふつうのことだったと思われるのに。
彼は消極的なことを語ることはありませんでした。


入居できる住宅の都合から同じ会衆にはなれなかったものの、子供たちの交流は楽しんでいました。

そしてしばらくたったころ彼のがんが見つかりました。
彼は県内の医療機関から見放され夫婦でつらい経験をして、道を開いてくれたのです。
まつの妻の亡くなった母は彼のおかげでスピーディーに手術を受けられたからです。



お別れ会と称する彼が深く考え抜いて指示したであろう別れの会は、だれが演壇からの話をするでもなくスピーチをするでもなく、ただお棺の置かれた部屋で彼のゆかりの人々がおもいおもいに集まっては、お茶しながら思い出話に花を咲かせる。
それでおわり。

まつは感服しました。最後まで謙虚で目立たず、そして賢い。彼らしいお別れ。

突然現れたまつに奥さまは、とても驚き、喜んでくれました。
お姉さんたちと昔話に花を咲かせ、若かりし頃の輝いていた日々を語り合い、彼がどのようにまさにその語らない生きざまでまつに影響を与えたか、お姉さんは「まさに彼はそういう子だったと」涙もぬぐわずに語っていたのが印象的でした。