まつのブログにご来訪いただきありがとうございます。
放置しっぱなしのこのブログ、少ないながらも貴重な読者の皆様には大変失礼しておりますが、家族ともどもささやかな幸せをかみしめながら元気にすごしております。
題名のお隣り韓国の船舶事故。ずいぶんな時間がたったのに毎日報道されてますね。
多くの未来ある若者の命が散り、ほんとうに心が痛みます。
今朝、報道を見ていて一つの疑問が解決しました。
その疑問とは、船が傾きかけてから沈むまでかなりの時間があり、しかも、あんなにたくさんの救助に駆け付けた船舶があったのに、なんで、あんなにたくさんの命が救えなかったのだろう。
という疑問です。
皆さんはどう考えますか?
わたしが見た報道では高校生が映していた船室の様子と同室の高校生たちの会話の様子が映し出されていました。
見る限りかなりの角度に傾斜して、ベッドなどほぼ90度に近い角度までになっているのにまだ船室で友達と話していることに驚きました。
映像は偽物ではないのかと思うほど信じられない光景です。
なぜ…逃げないのか…。
室内にとどまるようにとの放送があり、そのことを会話の中で話しているのですが…
信じられません。なぜそこまで従順なのか…。
命の危険が迫っていることは承知のはずです。
だから家族へのメッセージを遺したりもしています。
そんな時間があるのならドアをこじ開けて甲板へ出る気にはならなかったのでしょうか…。
私なら船が妙な動きをしている時点でみんなを連れて甲板にいつでも出れるようにするはずです。
そもそもあの映像が本物なのかどうか知る術はありませんが、報道されている死者行方不明者の数が本当なら、あんなふうに閉ざされた空間で友達と死の瞬間を待つなんて!あまりにも残念でなりませんでした。
誰も自分にあんな悲惨なことが起こりうるなんて想像できないでしょうが、しかも高校生ではアナウンスに従うしかなかったのかもしれませんが、船の事故がどういうことになるのかあの歳で考えられないわけではないと思うのです。
別れの言葉を遺すよりも、どうして行動しなかったのでしょうか…。
そのわけは、この世の中のシステムと教育によるものだと考えました。
今の世の中は命の危険を感じることはとても少なく、システム化された社会は、自分で考え行動することが非常に少なくなりつつあります。
いろんなことが整えられていて、危急の判断ととっさの行動など必要ないかのような世の中です。
人々は羊の群れのように従順で、導かれるままに群れを成して大勢の求める方向に動いていきます。
我を張る者や、秩序を乱すと思しきものは排除され、社会からはじき出されます。
そして、あのモザイクのかかった彼らのように溺死の瞬間をただ待つだけの若者たちが育成されたのではないかと…。
短絡的だと思われるかもしれませんが、周到に組織され支配された社会の求められるままの人間がその教育とシステムによって作り出された。
生まれからJWの社会で育ち、後にこの世の中の仕組みと望みを知り、自分が育てられた小さな社会がまさにこの世の縮図だと感じる私には、あの短い映像はまさしく支配者たちの思惑通りに教育が進められていることを確信するものとなりました。
彼らの教育の最先端の組織からは一線を画したものの、この世の中から逃げ出すことはできない以上、うまく立ち回らなければなりません。
ものごとに折り合いをつけ、納まらないものを納め、忍びがたきを忍び、あきらめずに多くの人との調和を求め、家族と仲間と自分の幸福を求める。
日本人の得意とするところです。
過信と過剰は禁物ですが、自尊心をもって難局に対峙できる力を身に着けたいものだと思いました。