アメリカメディアに日系ジャーナリストと称する島津洋一なる人物が発表した記事が波紋を呼んでいる。くだんの記事は今回の大震災後の福島原発事故に対する日本政府や東京電力のあいまいな説明や海外からの救援隊の原発内へ立入を拒んだことから、福島原発には秘密があり、実は原発で核兵器の開発を行っていたのではないかというのである。先に小出裕章先生が政府が原発にこだわるのは実は核開発の意図があるのではないかと言われていたことをブログに書いたが、NHKの昨年の報道特集「核を求めた日本」でも、戦後日本が原子力の平和利用といいながら、実は核兵器を作りたかったとの極秘文書が暴露されてしまった。たしかに原子力発電を通じ日本のウラン濃縮技術・装置・プルトニウム量は世界一である。もんじゅで兵器的プルトニウムをせっせと生成中である。明日にでも核弾頭の製造が可能な技術を有している。しかもである。日本は核弾頭を搭載する大陸間弾道弾の技術も既に開発済みなのである。昨年の「小惑星探査機」はやぶさの地球への帰還は快挙であった。はやぶさの技術は実は衛星誘導技術である。7年間にも及ぶ宇宙空間におけるハードウエアーの操作を寸分違わず制御するソフトウェア技術を獲得したのである。表向きは宇宙航空研究開発機構(JAXA)という非軍事の政府組織がこれを開発したのだ。「はやぶさ」の技術は宇宙空間はおろか、地球上の目標物に対して10億分の1以上の正確さで、衛星を到達させ、目標物を破壊できるのである。この場合、衛星は弾道弾にそっくりそのまま置き換えられる。はやぶさの技術は軍事技術にほかならないのである。この技術と、種子島で打ち上げられている人工衛星搭載ロケットを組み合わせれば、即座に世界有数の大陸間弾道ミサイルになり得るのである。平和目的という仮面をかぶり原発技術とロケット技術をせっせと磨いてきた戦後日本。ゼロ戦に代表される当時の世界最先端の航空技術を有しながら航空機製造すら封印され、非核三原則のベールの中で核兵器の保有などとんでも政策だった戦後日本。しかし、封印された軍事技術は地底を掘り続ける蟻のように切磋琢磨し、今や米ロ中に伍する世界軍事戦線の最前線におどりでたのである。さて・・・はやぶさの技術は世界の軍事関係者の脅威となりつつある。そんな時期にまるで東北地方の原発を狙い撃ちにしたような大津波が襲った。民主党議員ですら今回の大震災が人為的に惹起された可能性を示唆している。これを一笑に付していたのだが・・・もしかして・・・
ビン・ラディンの暗殺劇はますます謎をよんでいる。れっきとした主権国家であるパキスタン国内で公然とアメリカの暗殺部隊が丸腰の政敵を粛正する。テロにはテロなのか。国際法上の正道も全く無視できるのか。不条理としか言いようがない。原発立入禁止区域内の陣頭指揮で男をあげた福島県警の松本光弘本部長の警察庁公安課長時代の名著グローバルジハードではテロ組織の滅び方として7つの事象をあげている。①指導部の捕縛・殺害による崩壊②軍事作戦や国内弾圧による壊滅③戦略目標達成による消滅④正規の政治過程への参入⑤自滅と人心離反⑥犯罪集団への堕落⑦ゲリラ戦や通常戦争への転化・・・松本氏はアルカイダは① の指導部の殺害で撲滅できる敵ではないと明言する。松本氏はアルカイダの消滅は⑤自滅と人心離反しかないと予測する。しかるに今回のビン・ラディンの殺害は広くイスラム世界の反発を呼び、アルカイダに同情する国家勢力が反米ヘゲモニーを掌握し⑦ゲリラ戦や通常戦争への転化になるのではないか。まさにイスラム対アメリカの戦いがベトナム戦争化するのである。テロとの戦いを正当化するのであれば、ビン・ラディンを拘束し、国際法に則り国際法廷で彼が9.11の首謀者か否か、彼らの犯したことが正当性を欠如していることを立証してこそ、テロとの戦いの一里塚となると言うべきである。
オーストラリアのギラード首相が津波で街が壊滅した南三陸町を訪れ、避難所で子ども達にコアラのぬいぐるみをプレゼントしたとのことである。恥ずかしながらオーストラリアで女性首相が誕生していたことすら知らなかった。ぬいぐるみをプレゼントされて喜ぶ子ども達の写真を見て涙ぐんでしまう。外国の善意に接すると涙もろくなってしまう。ギラード首相はイギリスの名女優のシャーロット・ランプリングに似ていて、イギリス人風の印象であるが、Wikipediaを見ると、やはりウェールズ生まれだった。ギラード首相は5才のときに気管支肺炎を患い医者から転地療法を勧められ、一家はウェールズを後にし、新天地のオーストラリアに移住したそうである。オーストラリアの宗主国はイギリスであるからイギリスからの移民が多いのは当然であるが、注目すべきオーストラリア人はイギリス生まれが多いような気がする。オーストラリアで最も成功したロックグループはメン・アット・ワークだと思うが、リーダーのコリン・ヘイはスコットランド生まれで14際の時、オーストラリアに移住した。彼の代表作のダウン・アンダーはオーストラリアを自嘲気味に歌った曲であるが、フルートを基調とするサウンドはイギリスの伝奇的グループのジェスロ・タルそっくりであった。イギリスの陰鬱な風土と広大で乾燥したオーストラリアの風土がコラージュした名曲であった。