先日の産経新聞の正論で日中友好の功労者でもある笹川陽平さんが中国の昨今の反日映画によるプロパガンダを嘆いていたが、中国映画は反日映画が半数以上を占めるのではなかろうか。これは政治的なプロパガンダもさることながら、中華人民共和国の成立自体が反日を抜きにして語れないからではないか。中国の歴史は本邦など足元にも及ばないほど古く深いが、現代に限って言えば、中国は日本と対自しなければ存在しえない。かつて中華帝国は絶対的存在であったが、現在の中国は日本との関係で相対化された存在でしか自立できないのである。してみると反日はそれだけ本邦が意識されているのであるから喜ばしいことではないか。てなことで、反日映画の代表作である聶耳を見た。聶耳は中国国歌の義勇軍行進曲の作曲者であることは前にブログで書いた。この映画は1958年の
上海映画だが、YouTubeで見れたものの画質がすこぶる悪かった。しかし、最近、中国の動画サイトの愛奇芸でカラーで鮮明に見れるようになった。ストーリーは雲南に生まれた青年聶耳が上海に出て日本軍の侵略に抗議するために義勇軍行進曲を作曲するまでの半生記。しかし、聶耳は国民党に睨まれ、ソ連に亡命する途中で日本で遊泳中に水死するという皮肉な結末。聶耳が反帝に目覚めたのは上海で共産党員の蘇平と知り合ったのがきっかけ。聶耳は蘇平に内心の苦悩と革命を志したい願いを語った。そして聶耳は共産党が組織した反帝大同盟に参加した。そのなかで進歩的劇作家の匡文濤の影響を受けて、聶耳は中国のラ・マルセエーズを作りたいという強い願望が芽生え、北京に赴き、抗日救国の為の音楽活動に身を捧げ、中国共産党に入党したのである。そして、聶耳は1935年、聶耳は不朽の名曲、田漢作詞の義勇軍行進曲を作曲するのである。
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上海映画だが、YouTubeで見れたものの画質がすこぶる悪かった。しかし、最近、中国の動画サイトの愛奇芸でカラーで鮮明に見れるようになった。ストーリーは雲南に生まれた青年聶耳が上海に出て日本軍の侵略に抗議するために義勇軍行進曲を作曲するまでの半生記。しかし、聶耳は国民党に睨まれ、ソ連に亡命する途中で日本で遊泳中に水死するという皮肉な結末。聶耳が反帝に目覚めたのは上海で共産党員の蘇平と知り合ったのがきっかけ。聶耳は蘇平に内心の苦悩と革命を志したい願いを語った。そして聶耳は共産党が組織した反帝大同盟に参加した。そのなかで進歩的劇作家の匡文濤の影響を受けて、聶耳は中国のラ・マルセエーズを作りたいという強い願望が芽生え、北京に赴き、抗日救国の為の音楽活動に身を捧げ、中国共産党に入党したのである。そして、聶耳は1935年、聶耳は不朽の名曲、田漢作詞の義勇軍行進曲を作曲するのである。
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