箕島高校元監督の尾藤公さんが逝去された。末期癌で闘病中だとお聞きしていたが、残念でならない。涙が溢れて止まらない。お元気なころ紀三井寺球場でたまにお会いするといつも笑顔で会釈していただいた。ご冥福をお祈りするしかない。尾藤監督は弱冠23歳で和歌山県下でも弱小チームであった母校の箕島高校監督に就任するや2年後には東尾投手を要して昭和43年の選抜大会に初出場。優勝こそ逃したもののこの時のチームは尾藤監督も認めるとおり箕島史上最強のチームであった。当時、荒削りではあるものの地力を出せば優勝も夢ではないという新聞の下馬評の「地力」の意味がわからなくて辞書を引いた覚えがある。甲子園で数々のドラマを演出していただいたが、印象に残っているのは、ご長男の尾藤強さんと親子鷹で甲子園を目指した昭和62年の和歌山県予選である。たしか準決勝で敗れたあと、号泣する息子をやさしく抱きしめていた尾藤監督のお姿にもらい泣きをした。どうか安らかにお眠り下さい。合掌。