相撲協会だけが悪者なのだろうか | JetClipper's Bar

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JetClipperが日頃感じている事をblogにしました。

東京生まれですが、沖縄、多摩ニュータウン、横浜、尼崎、川崎を経て、三鷹市民になりました。

力士の野球賭博、暴力団への相撲の席の提供など、日本相撲協会に対するバッシングが強くなっている。
勿論、彼らのやっている事を肯定する事はできない。自浄作用すらない相撲協会は一度解散するべきだろうし、理事だけではなく横綱審議委員会に名を連ねていた人々にも「品格」なる言葉についてもう一度責任ある答えを要求するべきだろう。

ただ、私はこの問題について、別の事を考えている。

そもそも、日本人全体として遵法精神が欠けているのではないだろうかと。


賭け麻雀やゴルフで握る事は法律で禁止されている事。時々摘発されるけど、大なり小なり色々な所で当然のように行われている事。
未成年の飲酒・喫煙にしても同様で、ファストフードやCVSの前でタバコを吸う高校生を止める人はいない。

法律とは何か、社会のルールとは何かという事について、上の世代の人たちは何らかの幻想を持っていたのではないだろうか。つまり自分達は同質性の高い社会だから、何も言わなくても分かってもらえるし伝承されていくと。
しかし、その同質性すら実はかなり怪しいモノであるというのは私は再三指摘してきた。

例えば、日本の伝統文化として武士道が取り上げられることがある。でも冷静に考えて欲しい。江戸時代においても武家が日本のマジョリティであった事はない。しかも御家人株や郷士株は売買されていたし、御家人や旗本と言えども楽に暮らせる身分ではなかった。だから武士道が忠実に伝承されていたかという点についてはかなりの疑問があるし、それが他の農民や商人の生き方に影響を与えたという事はないだろうと。

また、その地域だけしか通じない慣習はいくらでもあるし、食文化すら違うのが日本。日本人だから同じというのはかなり無理のある幻想だと私は思う。

その上で、親子関係において、ちゃんと一族の習慣とか祭祀というものをきちんと継承している人がどれくらいいるのだろうか。単に親戚と仲がいいという事ではなく、自分のルーツがどこにあり、その人たちの思いとか信条をきちんと継承しようというような家族が日本で多く存在するのだろうか。
残念ながらそれは少ないと思う。もしそれがきちんとなされていれば、家庭教育がしっかりされているわけで、学級崩壊だとか、社会の不安定要因が少なくなっているはずだ。
勿論こうした伝承や継承の中には理不尽なものだったり、する必要のないものも有るだろう。だからといって頭からこうしたものは古臭いと受け入れないという狭量な人間を育成してしまったらそれは親として責任を感じるべきだと思う。

法を守る、社会のルールを守るというごく当たり前の事が日本では無視されている。法の適用が恣意的かつ変な柔軟性をもって行われる事がしばしばだったこともある。それこそ税金の世界なんてそういうものだ。でもそれは本来はあってはいけない。ルールはルールである。それを行政や司法がお目こぼしするというのはそもそもおかしいと私は考える。

そういう意味では、今調子にのって相撲協会バッシングをしている皆さんは、自らの手が全く汚れていない、自分は罪も侵さない人間だと思っているのだろうか。そう根底で思っているから、色々言いたいこともいえるのだろうけど、人を批判する前にわが身を振り返ることの方が大事なように思うのだが。