政府は必ず正しい判断が出来るのだろうか | JetClipper's Bar

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JetClipperが日頃感じている事をblogにしました。

東京生まれですが、沖縄、多摩ニュータウン、横浜、尼崎、川崎を経て、三鷹市民になりました。

アメリカで金融機関に対する新たな規制が検討されようとしている。オバマ大統領は「賢明ではない銀行の判断で納税者に代償を払わせないようにする為に新たな規制」の必要性を説いている。

確かに金融危機の問題への対処は大切だ。ルールがきちんと整備されていない中で、本来ならばありえない格付けがつけられたデリバティブ商品が説明不足で販売され、市場の流動性が急速に縮小してしまった結果、適正価格が判断できないことが判り、パニックになったという事に尽きると私は考える。
もっと極端なことを言えば、騙した側も悪いけど、そんなリスクが計算できない商品を買った側も悪いというのが私の基本的スタンス。買わなければ売れないから、その商品はなくなるのだから。

となると、金融機関が「賢明ではない判断」をしたという事になるのだろうけど、では政府ならば賢明な判断が出来るという保証がどこにあるのだろうか。同程度の確率で賢明ではない判断をする可能性が高いのではないだろうか。同じ人間がやっている以上、同じ程度のミスは犯すだろう。もっとも、金融機関の方が報酬が高いから、政府よりも有能な人材が集まっているはずで、政府の方が必ず賢明だという事はありえないと思うのだが。

同じことが、日本でも言えると思う。

政治主導という言葉は良いけど、国会の答弁にしても様々な会見にしても、大臣や副大臣・政務官はその官僚達と同格ないしはそれ以上の知識と見識があるという事が前提条件ではないだろうか。普通、そういうケースはめったにないから、官僚達の作った作文が必要になるのだけど。
選良という言葉は最近使われないけど、日本の国会議員は選良という言葉に適切な人材が集まっているのかかなり疑問がある。政治のプロも最近少なくなってきたけど、外交問題にしても産業・税制・科学技術のエキスパートが揃っているなんて事はない。もしそういう人が民主党に集まっているのならば、あんな小沢幹事長を恐れ敬うみたいな態度は取らないだろう。それぞれの専門分野に自信があれば盲従するという事に躊躇いや違和感、そして拒否感が普通ありそうなものだが。

勿論官僚とて万能かつ無謬性があるとは思っていない。官僚も間違える。これがまず前提にあるべきだ。
だから法律が出来ました、それを運用すれば問題が解決します、なんていうロジックはそもそもおかしい。やってみたけど、この法律では副作用や他の問題が出ました、だから運用を停止するないし廃止するという事がすぐに行われるのが当然だと思う。それが誰かの面子を傷つけたとしても。
医師だって同じだろう。治療方針を立てて治療したけど、予想外の副作用や症状が出れば当然治療方針を変えたり他の疾患の可能性を考える。もしそれをしなければ過失を問われて当たり前だ。なのに政治家も官僚もその過失責任を問われることがないというのは本来おかしい。

競争が公正に行われるように、商取引や民事問題が腕力や背後の組織の力で捻じ曲げられないようにきちんとルールを決める事は政府の最低限かつ最も重要な仕事だろう。ただ、こういう競争をしなさい、とかこういう方法しか認めないというようなルール設定は政府の限度を超えているのではないだろうか。

シンプルなルール体系は複雑な体系より穴が実は少ない。プリンシパルをきちんと決めてルール体系を作れば、ルールにないものはプリンシパルに反するかどうかで決められる。複雑な体系はプリンシパルなしに後から付け加えられたりしたものである場合が多いので抜け穴も逃げ道も存在していることが多い。

私は大きな政府にも、政府による統制や規制も反対。政府のするべきことと民間がすべきことをきちんと仕分けして、ルールの逸脱には確実な罰を与えるだけでいいと思う。