日本人の意識の中に、「政治なんてトップが変わっても変わらない」「一票入れたところで政治は変わらない」というものが強くあると思う。ところがその二つとも大きく間違っていたことを皆さん自覚しているのだろうか。
まず後者の「一票いれたところで政治は変わらない」というものは明らかに間違っている。小泉政権に一票入れたから、自民党は未だに圧倒的な力を衆議院に限って持っている。そしてその自民党にお灸をすえるつもりの一票が民主党に参議院での力を与えてしまった。しかもこの参議院は軽い扱いだったのに実は非常に重いものだったことにも気づかされている。日本の保守政権を守るのに効果を発揮した、「6年任期、3年毎に半数改選」という仕組みが完全に裏目に出ているのがこの10年近くの結果である。
「政治なんてトップが変わっても変わらない」は私は間違いだと常々言ってきた。社長が変わればやはり何か変わるのであり、部署のトップが変われば色々変わるのをサラリーマンとして見てきた実感である。
小泉政権下で構造改革が進み、方向性にブレが出たものの安倍政権でも方向性は維持された。ところが福田氏は旧来の政治家の意識のままだから自分でコントロールするという意識が薄いわりに、自意識は強いから迷走を続けている。
先日のブログでも書いたが、日本はフォローアーでよかった。競争環境も激しくなく、様々な競争条件が日本に有利に働いていた時代は大きなミスさえしなければ、それなりの成長とそれなりの成果を期待できたし、実現できた。だから私は日本が成功したのは日本人が優秀だったのではなく、日本がおかれた環境がたまたま日本に有利に働いただけでしかないという仮説で見直すべきだという結論に至った。
そういう観点で首相を見ると、旧来の首相は首相にさえなれば、周囲が色々段取りをして、大きな決定ミスさえしなければ大過なくある程度の年数を努めることが出来た。ところが、競争環境が変わり、一つの判断ミスが大きな致命傷になりかねないという状況になった時、小泉氏のようなリーダーシップと政治的勘は大きな強みとなり、小泉政権は異例の長期政権になり、かなりの成果を出すことが出来た。
ところが安倍氏は小泉改革路線を継承する、といいながら彼自身のやりたいことの為に多すぎる妥協をしてしまった。その妥協に足を取られて彼は辞職さぜるを得なかったというのが私の見方だ。彼が多すぎる妥協をせずに進めなかったのは、改革への覚悟の差である。
その点においては福田氏は政治的勘もリーダーシップも欠如している。覚悟は決定的にない。彼は恐らく父君の時代の総理だったら務まったかもしれない。周りがお膳立てして、総理を守ってくれたかもしれない。ところが今はリーダーのキャラクターが大きな影響を与えてしまう時代。その点では時代に取り残された政治家の1人だし、適任ではなかった。
マスコミも政治家も世の中が変わったということを見ないふりしてきたし、もう一度戻ることが出来ると思い込んでいるように見える。変ってしまった時代が元に戻ることはない。
残念なことに小泉氏と同じくらいの覚悟と政治的勘とリーダーシップとキャラクターを備えた政治家はいない。小泉待望論も出てくるのは仕方ない。ただやるとしたら今の自民党からでは出ないような気がしている。