平均的の幻想 | JetClipper's Bar

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東京生まれですが、沖縄、多摩ニュータウン、横浜、尼崎、川崎を経て、三鷹市民になりました。

長らく日本人の中には平等という幻想があって、「平均的」という基準から大きく逸脱するというのは珍しいという見方が多かったように思う。

よく平均的な家族というとサラリーマンの夫、専業主婦の妻、子供が二人、という構図になるだろう。それも大体20代後半に結婚して数年で二人の子供が生まれるというパターンが想定されるだろう。それに見合う70平米程度の住宅、自家用車1台、そんな感じが想定されるだろう。

ただ、こんな平均の家庭は実はそう多くない。

世の中、晩婚化どころか結婚しない、結婚できないという30代は当たり前にいる。私の友人でも独身者はまだ結構いる。子供も35になって初めて生まれたという人だって結構いるから、子供が二人生まれないケースも多い。所得だって皆が皆正社員ではないから格差がある。それはまともに消費に跳ね返る。しかも昔のように右肩上がりではないから賃金が上がる見込みも少ない人だって多い。


ところが親世代はそういう現実を知らないから、「早く結婚しろ」「孫が見たい・抱きたい」という要求を突きつける。仕事のストレスもやり方も違っているし賃金だって上がらないから会社生活も違っているという現実もあまり見ようとしない。昔はみんな貧しかったけど子供をちゃんと育てたなんていわれると、時代が違うと反論したくなる。そういう会話も私にとっては苦痛である。


会社においてもベテランの社員との軋轢はある。

彼らは「平均的に」仕事をすればそれなりに給与も上がり地位も上がった。極論すれば「人並み」に頑張れば成果がついてくるというものだ。ところが今は人並みに頑張ったからと成果がついてくるわけではない。昔は一日20件ぐらい訪問するのが営業として当たり前だったから今も同じように訪問せよという。ところが訪問したとしても昔ほど販売力があるわけではないし、下手をすれば恨み節を聞かされて余計に効率が悪くなるのである。


昨今の空気を読めないというKYと言う言葉も、その平均的の幻想のような気がしている。皆が同じように感じて、同じようにコミュニケーションすればKYなんて現象はないのだろうけど、個体差があるのだから、所謂KYという状態が発生するのが当たり前である。私などはむしろKYの方が議論がある程度かき回されたり、分からないのに流れてしまっていた思考を止める効果があるから歓迎することもあるのだ。


平均的な人間なんていない、と開き直ることが自分を解放することになると思うのだけど。