柳沢厚生労働相の発言が問題になっている。女性を産む機械にたとえたことと、『二人生みたいと言う健全な』云々の発言である。私は別に彼の支持者でもないし、確かにたとえとしては最悪だし、表現として問題があると思う。ただ、私は彼だけを責める気にはなれない。会社での私的な飲み会で同じようなレベルの発言をする人はいくらでもいる。
確かに政治家であるから、その発言には十分注意しなければならない。その辺り日本の政治家は言葉の選び方が下手だ。ちゃんとスピーチライターがいて発言をチェックし、狙った効果を得ることが出来るかまで考えているとは思えない。テレビ時代になってもう随分たつのに、文脈をカットされてマスコミの都合の良いところだけリプレイされることをちゃんと理解できていないレベルの政治家しかいないのか。もっとも選挙民のレベルも同程度だから当然と言えば当然だろう。
マネックスの松本社長のブログで読んだ話だが、新生銀行を再生させた八城氏が「テレビの前で言えないことは取締役会で言うな」と言っていたそうだ。コンプライアンスを重視する外資系企業ならば当たり前の話だから、まだまだ日本では言葉の使い方に配慮が足りないのではないだろうか。
柳沢厚労相は辞任しないのであれば、効果的な少子化対策を速やかに立案してみせればよい。プロならばミスは仕事で挽回するべきだし、そうさせるべきだろう。
言葉狩りに血道を上げるのはマスコミがちゃんとした批判能力がなくなっているだけだと私は思っている。問題にするべきは、厚生労働相の発言ではなく、実効性に疑問がある少子化対策にあるのではないだろうか。明らかにマスコミの批判のポイントは知的レベルの低い層に合わせたものでしかない。柳沢厚労相の首を取って、少子化対策が進むのであれば私は更迭に賛成するが、首を取ったところで何も進まない。政治家の足の引っ張り合いを報道するのが政治報道としか考えていないマスコミは反省の余地があるのではないだろうか。
今まで、日本人は話せば判るという考えがベースにあり、言葉(単語レベルから)の意味についての認識が違う人がいるということを念頭においていなかったからではないだろうか。もっと言うと、日本語のレベルが同じ日本人であっても違う可能性をどうも考えていないのではと思う。確かに今の若い人はゆとり教育の結果として日本語のレベルが異なっている可能性は否定できないが、私はその親の世代にも既に差があったと断言する。
経済が右肩上がりで、働いた分だけ給与がもらえる時代は、言葉の意味やレベルの差はあまり問題にはならない。暴論を言えば体を動かせば、精神論で事に当たれば解決したからだろう。ところが、頭を使わないといけない時代になったら、言葉は大事な武器である。言葉を正しく使う、正しく理解する、それにたいして反応する、こうした流れがないと、今までのようには行かない。ましてやコンプライアンスが厳しくなり、内部統制も厳しくなる時代である。日本語のレベル差がその人の社会的地位をも決めてしまうのは仕方のないことである。
知識レベルの差よりも、こうした日本語レベルの差が本来もっと問題にされるべきではないかと私は思う。