私は別に自分は完璧な人間だなんて思わない。そもそも人間なんて不完全な存在。全人格が優れているなんて人がいたとしてもごくわずか。私はそんな傲慢な気分にはとてもなれない。不完全だから悩むし、落ち込む、うつ状態になる。世の中が不完全なのは、人が不完全であるからだと私は思っている。
(故に、完全な統制社会はありえない。統制するのも人間だから完全は絶対にないのだ。)
さて、私は頭の悪い人が嫌いだ。
頭の悪いというのは学歴の問題ではない。頭の良し悪しは記憶力ではない。故に受験勉強で勝ち抜いた人が頭が良いとは限らない。
仕事をしているといつも思うのだが、定型的な処理すら合理的に出来ない人が多くいる。郵便を出しに行くのに、その都度切手を貼って、その都度出しに行く人がいる。近くのポストの時間を調べて、最終集荷に間に合う時間を決めて、その時間にまとめて切手を貼って投函すれば一番合理的だろう。そんなことを人に言われないとできない40代の人がいるのは私には信じられない。
何をしているのか判らない女性がいる。私よりベテランで、私より判っているのが当たり前だと思うのだが、意外に仕事を覚えていない。稟議書の枝葉末節にやたらにこだわり、本筋の問題点をよく見落とす。だから一つ一つの検証に時間がかかっているのだろうと私は推測している。社内文書もちゃんと理解しているか怪しいし、定型化、マニュアル化という観点がないから業務が滞る。10年以上、同じような仕事をしているのならば、どのように処理するのが合理的か、普通は判りそうなものだ。何しろ休みの前の日に休むと一言も言わずに休むなんて私には信じられない。
人によって態度を変える女性も頭が悪いといつも思う。そうした振る舞いはまわりも見ているから、自らの評価が下がるのは当たり前である。
私の考える頭の悪い人は、事象を定型化できなかったり、合理的な判断が出来ない、感情に流されやすい人なのかもしれない。また、世の中はあまり変化しないし、変化を拒む人もそうだろう。あまりにも頭の悪い人と関わると非常にストレスを感じる。自分が頭が悪いと感じたら、私ならば努力して知識を集め、判断材料を増やし、必要ならば人に教えを請う。自分の能力にも限界があることも知っているから、悪いと思ったら謝るし、昨日までの経験則が通じない世の中になっていることも知っている。
あえて言うと、こうした頭の悪い人たちとそうでない人たちの間に格差が生まれないのが本当に正しい世界なのだろうか。確かに人間は平等だが、能力は不平等だ。故に仕事や年収も不平等になる。格差は縮める必要はないが、本当に働けない人に最低限の文化的生活を享受する権利はあるべきだと思うし、一時的な失敗でも再チャレンジできる環境は必要だと思う。努力もせず権利に安住している正社員は職をうしなっても仕方が無いし、努力し、正社員並みに実績を上げている人が正社員になる機会は与えられるべきだと思う。
頭の悪い友人はたぶん私は意図的に遠ざけるだろうが、頭の悪い同僚はどうしようもない。
メンタルヘルス的にはこういう人とどう付き合うかと言う問題があるだろう。