人の心は、腹の底は、誰も知れやしない。
日常で感情なんて不必要な部分って多くあると思う。
無駄なことに腹を立てる前に、それよか如何に切り捨て次にいくか。




人の価値なんて或る程度それぞれ決まっていて、絶対的な物差しなんてものは神様以外持っていない。
多くに囲まれ生きるというのは、即ち社会性のことなんだけれど、僕は日本特有の情みたいなものが
絡む社会性がむず痒く感じることが多々ある。
そんなもので誰かを引き留めていたって、腹の底では笑われている。
感情が無いその代償として、僕は多くに嫌われるようだ。
嫌う方もばかばかしい。




『嫌う』という時点で、まだ感情があるって気になって仕方無いのでしょう。




昔の僕なら、感情があったよ。熱意もあった。
一人で隣の芝生を真っ黒くしてしまうくらい、悪意と狂気にも満ちていた。




今の僕は、全てを見下して鼻で笑っている。
どいつも、こいつも、馬鹿だって。
どいつも、こいつも、うんざりだって。




でも。




今の僕は昔の自分を心底羨ましいって思える。
根拠の無い自信っていう方が、まだ素直で可愛らしい。
真っ直ぐで、そう折れなくて。
友達が傷つけられれば鬼の如く怒り狂い、ぶん殴る。




最近は、どうやら血の巡りが悪いらしい。
体調も優れない。
体にも、心にも多くの欠陥が見られる。




『感情』と『行動』を差別化しながら生きる今は、心苦しいのかもしれない。




何処かの自殺したタレントみたいに、僕も生い先そんなに長くないんだなって思うよ。




だから。
これから、その『感情』を呼び覚ます為に、仲間と一緒に全部ぶち壊しに行こうと思うよ。
そう、もう全部ぶっ壊すの。




取り戻すの、あの頃を。
生き返らすの、あの僕を。




儀式なんだよ。これは。
まずは、あなたから。
日曜出勤も中々悪いもんじゃないな、なんて空席だらけの電車内でぼうっとしていたら、あっと言う間に職場。
以前の会社に比べたら俄然近くて出勤もストレスじゃ無くなった。
仕事のスタイルも以前の会社の影響でかなり変わった。
無駄も無く、どれだけ自分を楽に出来るか、ばかりを考える。
周りへ旨く負担をさせない程度に自分も円滑に仕事をしつつ、周りにもそれと無くふる。
プライドの高い女ほど扱いやすいものも無いよなあ、なんて思いながら。




今の会社ではカムアウトなんてほぼほぼする気がなくて、男佐藤潤が試されてる。
言えばそりゃ女は味方になる、円滑にコミュニケーションも取りやすくなる。
見た目がこれだから、カムアウトしなくてもお姉さん気分で接してくれる環境だったり。
必要性が無いんだなあ、なんて悟ったんだよね。
まあ、既にうっすらと『女っぽいとこあるよねえ』なんて言われるけれど、どこなんだろうなんて思ったり。
むしろ各部の男上長には不思議と好かれる。
うーーーーん、、抱けよおおおおおってね、思うw
アメカジ大好き良い男だらけ。
女は奇抜だけどZARAにいるビッチ系ともまた違う。




ストレスも摩擦もほぼ無くて、たまに衝突もするけれど悪気があって、じゃないから。
ただね、やっぱ中途で変に経験値があるとどういう風に潜っていけば良いか、これは毎回課題。
仕事はゲームだから、これから楽しんでやっていくことにしますよ、うん。




リア充、これこそ僕なんだよね。
これからも、このおいしい位置をキープ出来れば、なんて思ったり。
程々に頑張らないと。
最初からスピード全開で行くなよ、長く勤めたいならさ。なんて言われたり。
僕って、普段から見切り発射が多いので。
よくよく噛み砕いてゆっくりやっていこうと思う。




震災のネガティヴなエネルギーよりもポジティブな経済活動と。
そして、多くに祈りを。




大丈夫。日本は生き返る。というか、既に息を吹き返している。
水サーバーも余りだした辺り、消費傾向もやっと僕らに向いてきてくれてる。
良いことじゃないか。




なんてこと無い日記になってしまったけど、でもこうして『普段』を取り戻していくこと。
これが一番大事。勿論エコマインドでいないといけないのだけど。




僕は服で未来を導くように頑張る。
飲み屋の人は笑いを絶やさぬ日々を。
音楽をしている人は一つになることを。




今こそ、今だからこそ出来ることを。
夢を見よう。現実に変えていこう。
単刀直入に言えれば言いたいし、ぶん殴ってやりたい。
君は大嘘つきをして、強きものの背中に逃げ隠れたではないか。
中学時代のいじめられっ子の時の君と同様に。




このわずか8年の歳月の間に、彼と僕は大差がついてしまったのだと思う。
いつまでも地に足がつかない、ずっと自己中心的でワガママで。
求心力もない、ましてやイニシアチブではなく、あくまでそれらはすべて愚行であることを未だに認識できていない。
愚かな成人男子だ。




前回のブログでも書いたが、無駄なプライドや虚栄心は弱き者を嘲り、強きものには嘲笑される。
君のそれらは、君自身を守るためのそれに過ぎなく、だからこそ音楽やロックという、輝く冠を被った裸の王様になっちまったのです。
しかもメッキの冠ね。




これだけやってきて、これだけ俺すごいと思ったり感じているのなら同じ過ちばかりを繰り返すなよな。
僕らは間もなく30代に差し掛かる。
本当に、本当に、情けない。




かつて君を守ってきた人間には絶対会いたくないという君を横目に、君のような弱き人間にはなりたくないと思った。
当時、同じく音楽をアウトプットしていく人間だった僕自身は何よりも自己を受け止める作業からしていったもんだよ。
当時、勝手に三権分立が脳内に出来上がっていて、音楽の自分と服飾の自分と水商売の自分と。
だからこそ、自分を尚の事見失わないように、この三つのパーソナリティと戦ってきた。
深層心理にある自分を、ある人の言葉を借りればバールでこじ開けようしていた。




そうして今がある。
何不自由無い暮らし、でも満たされない。
その満たされないところに君がある。
だからこそ、旧友でもあったからこそ辛辣な言葉も並べた。
僕の夢の一つでもあったのに、君は大嘘つきをして僕をバンドから排除した。
だからこそ、それらを背負わないといけないんだ。
僕以外にもそういうことをしてきたのだろう。保身の為に。




犠牲を払ったなら払ったなりに、対価がある。
それが今の君だ。負けてるじゃないか、君自身にも、そして排除した僕にも。




君がライブハウスのステージでメッキだらけのロックを演じている間、僕は社会という舞台でロックを提唱してきた。
こうして音楽以外でも、そういったものを表現出来る今があるからこそ、君にあのときああされて僕はかえって都合が良かったのかもしれない。
一緒にやり続けていたら僕まで腐っていた、君が腐ったミカンだから。




君が愛してやまないhideやSIAM SHADEの面々がそんなことをしてきたか?
腕前だけはあっても、伴って人間性が成長しない限りはいつまでも表舞台には出れやしないよ。
そして時代と共にロックも変わった。
反体制だとか、自己中心的であるものだとか、そういったロックのアイデンティティというものは次のステップへ踏み出している。




ロックとは、多くを守るための武器であり、兵器ではない。
傷ついたものを、そして暗雲を照らす大きなものになろうとしている。
U2やBEATLESがそうであった様に、ロックとは楽器や歌をインターフェイスにした愛そのものなんだってね。
ROCKの語訳の通りに自らが傷つきながらも、周囲を守ることがロックなのではないか。




くだらないプライドなんか捨ててしまえ、
安っぽいその冠なんか捨ててしまえ、
理解出来ないのならそのギターも捨ててしまえ、
そして音楽に殺されてしまえ。




僕からは、以上だ。