蝉時雨。




とっても好きな言葉だ。
音楽に思い出が張り付くように、これを聴くと夏終わりの支度を始めたりする。
早いですね、もう夏も終わりを告げようとしています。




―六月の熊野・伊勢詣り、
そして富士急ハイランドやらタイ旅行やら行って、
今夏は密度の高い日々を過ごせてるのかな。




自分探しの旅なんぞ馬鹿馬鹿しくて、結局僕が僕であって。
また、そうでもなくて。




埼玉は秩父から始まり、戸隠、諏訪、鹿島、上毛三山、箱根、江ノ島、鎌倉、熊野、伊勢、富士急ハイランド、そしてバンコク。
二度も同じこと書きましたが、これだけ行ければかなり充実なのではないかと。




でもその行き着いたところには何もなくて、行き着いてはいなくて、だからまだ歩き続けるのだと思う。
極力、全てを大切にしたいのに、シャッターを切ることすらままならない。




思い出っていうのは、胸に留めておくべきであって、それらが無くなったところで
記憶媒体に留めておいてもほとんど意味を為さないもので。




時代を一つの大きな大河と捉えたとき、僕の人生なんぞ泡沫にもならないのだと思っている。
だからこそ、僕の人生は僕のしたいように生きれば良い。
恐らくそれなりに対価はあるのだと知っている。
見栄や嫉妬や、そういう俗物にも興味がなくて、それで良いのだと思う。



僕の大切なものは、今ある環境であってこれ以上もこれ以下も望んではいない。
たった一つあるとしたら、きっと好きな人とかそういう類いの人とか、ゆっくり過ごせること。



僕一人が足掻いたところで、何かが変わるわけではない。
平行世界の僕がそれをしてくれている筈だから、この世界の僕はこのままで良いのだと思う。




29歳。




逐一『20代最後の』とか拘ることがより悪化を招いていると思う。
その呪縛から解放されて、もっとフラットな目線でニュートラルを維持し続けることが課題なのだと思う。
それ以上もそれ以下もない。
だからこそ。




なんとなく、いつも心の中で『キレる世代の逆襲』なんて考えていたけれど、
考えれば考えるほど果てしなくバカで。



夜風が夏の火照りを癒すかの様に、僕の酔いも冷ます。
今日も一日が終わろうとしている。




ああ、僕は元気です!
よく喋りよく笑いよく汗かいてよく寝てます。




大事にしてくれてる人がいる。
大事にしたい人がいる。




じゃ、おやすみなさーい。
こう、体というより心を休める、という日々を大事にしたくて。
常に、心身共に悪い方へは向かっては無いけれど、何か大きな力がぐぐっと入り込んでは
僕もそれに立ち向かう、そんな姿勢です。




古の時からあるそれぞれに、触れることや感じること、五感を研ぎ澄ます為の日々。
距離も時間も費用も関係なく、とにかく僕の生まれた場所ってなんなんだ。
僕の育ったこの国ってなんなんだ、って。




政治も経済もそう。それでも、紀元前の時から日本列島には様々な豪族や皇族がいて、
こんな小さな島国でそれぞれが国を作り、そして戦いと安息を求めていた。




それから二千余年も経ち、多くはシステム化されて人ですら数字で管理される様になった。
これが当時の日本人が、或いは戦国の武将が、徳川が、望む倭の国の或るべき姿なのか。
確かに今よりも治安も良くなければ、誰もがフラットでは無かった。




ここ一週間の旅やらで、多くの過去からの伝達されるべき情報を得られたのだと思う。




そして魂を浄化すること。
生きていれば知らず知らずと灰汁がたまってゆく。




働くこととは何だろう。
生きることとは何だろう。
何かを伝えてゆくということは何だろう。




全ては繋がりであり、そしてそれは過去・現在・未来も全てである。




僕は、不思議な多くをここ一週間で見聞きして、感じて、その瞬間に強く生きようと思った。
古き良き時代の人が背中押しをしてくれた。




毎日を色づけしていこうと思った。
無理にでも前に進まないといけないって時があって。




止まない雨は、ないから。

今日はとっても憂鬱で家から出たく無くて。
そんな中で高校時代の親友からの電話。




ローテンションの中、準備をして出かける。




彼とは2週間ぶり。
素敵な結婚式を見せてもらって、一段落ついたところで会おうってなって。
折角だから、僕にラルクの深さを教えてくれたのは彼でもあり、
だからバルト9でライブビューイング入れるか確認。
案の定SOLD OUTで。




仕方ないとばかり地下のカフェにて終始談話。
結婚後の話だとか、主だって彼中心の話。
そして腹も減ったと、三丁目の磯焼きの店へ。




サザエのつぼ焼、あれほど拒んでたのに食えた!
って、砂多くてじゃりじゃりしたけど、、、。
刺身もホッケもいっぱい食って、のんびりしてさて行くかって時に。




・・・メールがっ




『10年ぶりに~に行ってくるよ!』
って、これもまた高校時代の親友からのメール。
なんと同じ地に偶然いた3人。
これ、会うしかないよね?
って、彼からはOKと。




で、待ち合わせて居酒屋へ。
彼女はお友達を連れていたので4人でしたが、なんかとっても嬉しかった!
こうして揃えたのって10年も前の話だから。
同じ時代に、同じ学校で、同じ境遇で、同じ壊れ様で。
そして同じアティテュードで、同じベクトルであり。




どっかの漫画に出てきた球磨川禊に教えたい。
僕ら過負荷だと、疎まれ恐がられて虐げられて、同じ境遇だったけれど、曲げない信念があった。
弱きだったからこそ、強くいなくてはいけなかった。
弱きだったからこそ、謹慎処分ばかりだったし、教師に憎まれ嫌われても這い上がった。
弱きだったからこそ、髪も赤だったり金だったりグリーンだったり。
弱きだったからこそ、全てにノー!と叫んでた。




片意地張って無いと、虚勢張って無いと、もう僕らはボロボロだったから。




同じ頭と同じ匂いと同じ目線。
この2人がいるときはどれだけ安心したか。
ケンカも絶えなかったし、沢山笑ったし、人よりも青くて無垢だったんだと思う。




あれから10年。
彼女は家庭を築き、子を授かった。
彼は先日家庭を築き上げ、まさにこれからってところだ。
次は僕の番だな、って。




彼らは、そんな手にした幸せの代償に何を捨てたのだろう。
牙と仮初めの強さなんだよなってね。
僕はまだそれが捨てられて無いんだなって認識。




幸せになることが目的として生きているのではないけれど、一つの通過点として
人として、自立する為には通らないといけない部分なんだと思ってる。




付き合ってきた一人一人がマイペースな奴らってほくそ笑んでた。
でも、真逆で僕がハイペースなだけなんだよね。
寿命がきっと短いんじゃないかって錯覚するくらい。
同じ時間軸を歩める人を探すのではなくて、僕がその歩幅を緩めるべきなのだと気づく。




次に出会う人には、うまく伝わるかな、この想いだとか。
そんな強さだったり弱さだったりを自分自身が誰よりも自分自身を抱き締めてやらないといけないのね。
おんぶにだっこ。こんな年齢でもない。




阻む人がいたら避ければ良い、
悪口を言う人がいたらその人は備品だ、
虐げる人がいたら大笑いしてやれば良い。




たった1時間ちょっとの三者再結成だったけど、多くを学びました。
ありがとう。本当、ありがとう。





それじゃあ。