罪とは、悪魔の奴隷であった状態です。
悪魔の奴隷であった人間を
悪魔から買い戻したというのが
主イエスの十字架の意味です。
「贖い」の意味は、
悪魔から人間を買い戻したということです。
主イエスが命を神に捧げることによって、
人間の罪を贖ったというのは誤りです。
罪とは、悪魔の奴隷であった状態です。
悪魔の奴隷であった人間を
悪魔から買い戻したというのが
主イエスの十字架の意味です。
「贖い」の意味は、
悪魔から人間を買い戻したということです。
主イエスが命を神に捧げることによって、
人間の罪を贖ったというのは誤りです。
カトリック、聖公会、日本キリスト教団と最近いろいろな教会に行っていますが、もともと聖公会なので、カトリックのミサにも、教団の聖餐礼拝にもそんなに違和感なく参加できます。
それぞれの良さがあります。カトリックのミサは信者の多さです。多国籍の人々が集っています。安心感があります。教団の礼拝は、何と言っても説教の充実です。しっかりと聖書を学ぶことにかけてはさすがです。聖公会の良さはなんといいますか、そのいい加減なところにあるような気がします。
やはり、信徒一人一人が伝道するということを考えると、自分の活動範囲の中心に教会があるということが何よりも一番必要なことだと思います。活動範囲とは、自宅、職場(学校)、そして教会です。この3つの三角形が小さければ小さいほどいいと思います。
カトリック、聖公会、教団ともに信者の高齢化と減少という問題を抱えています。教会ですばらしい礼拝が捧げられていてもそれが伝道につながっていないのが共通の悩みです。
ひとりひとりの信者が伝道者として、福音をどのように語っていくのかという肝心な部分が欠落しています。もちろんわたし自身を含めてです。
福音のすばらしさを自分の言葉でまわりの人に伝えるということができていないのです。
祈りなさいと言われても、
どのように祈ったらいいのか
わからないと思います。
そんな時、無理にお祈りする必要はありません。
どうしようもない思いに促されたときに
「おとうさん」と呼びかけてみてください。
最初から「天の父なる神よ」と祈らなくてもいいのです。
「おとうちゃん」でいいのです。
そのように、呼びかけて
自分の思いのたけをぶつけてください。