「あんさんは運がよろしいですか?」面接の最後に必ずそう質問したのは松下幸之助。運が悪いと答えた人は学歴や試験結果がどんなに良くても不採用にしたそうだ
運がいいとか悪いとか、人は時々口にするけど…♪昔、さだまさしの歌にあったなあ~。
今回、私は京都の寺社を数軒回ったが、自分へのご利益は普段と変わらず「共にいます神イエスがいる」
ならば良いものも悪いものも来る時は来る、来ない時は来ない!来ても万事が共に働いて益となる!
ナルニア国物語を書いたC・S・ルイスがこう書いている。
「私たちはすべての運に感謝すべきです。それが良い運であれば、良いものであるがゆえに、悪い運であれば、それが私たちに、忍耐と謙虚さや、この世を重視しないこと、そして永遠の国への希望をもたらすがゆえに。」
「運」なんてスピリチャルな言葉!
弱い自分をさらけ出さざるを得ない「悪い運」の時もある。なぜそうなったか意味を探りに神の足元へ行くならば、忍耐や謙虚さを学べるということか?
正直いってそうはなりたくないけれど、時に私は簡単に高慢になってしまうから、それもありなのだろうね。鍛錬なしの人生は豊かでなく、つまらないものになる。それは御免だ
弱さを認め、神の元に向かうことこそ「強さ」ということか?それが強まれば「負け組」であっても、この世の風潮や人の目に左右される見方が減っていくということか?
永遠の希望とは…?死後のことはよく分からないけれど、聖書にはイエスを心に受け入れる者には「永遠の命が与えられる」と約束されている
死んだ後、消滅したり輪廻転生するのではなく、今の自分が更に新たな者にグレードアップしていくということ。
本当に死後のことは分からないけど、ただ私が言いたいのは学び求道し続けたいということだ。
自分の身代わりとなってイエスが十字架で死んでくださったと信じる者には、復活の命の約束がされている。
新しく創られた者になると!新しい生き方、希望が与えられると。身体は滅びていっても、日々新たにされていく。ただの慰めのことばではない。
イエスに会って、悪い運も自分の強みにしよう!
ただこう祈ってください。
「イエスよ、私の心の中に入ってください!」