バイスタ34

神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さる。

 

11:6信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。(へブル人への手紙11章6節)

 

「誰にでも神の御子イエスキリストを通して全能の神の赦しを得る。」

 について、御言葉は以下のように書かれています:

 

51:1神よ、あなたのいつくしみによって、わたしをあわれみ、あなたの豊かなあわれみによって、わたしのもろもろのとがをぬぐい去ってください。51:2わたしの不義をことごとく洗い去り、わたしの罪からわたしを清めてください。51:3わたしは自分のとがを知っています。わたしの罪はいつもわたしの前にあります。51:4わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、あなたの前に悪い事を行いました。それゆえ、あなたが宣告をお与えになるときは正しく、あなたが人をさばかれるときは誤りがありません。51:5見よ、わたしは不義のなかに生れました。わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました。51:6見よ、あなたは真実を心のうちに求められます。それゆえ、わたしの隠れた心に知恵を教えてください。51:7ヒソプをもって、わたしを清めてください、わたしは清くなるでしょう。わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう。51:8わたしに喜びと楽しみとを満たし、あなたが砕いた骨を喜ばせてください。51:9み顔をわたしの罪から隠し、わたしの不義をことごとくぬぐい去ってください。51:10神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。51:11わたしをみ前から捨てないでください。あなたの聖なる霊をわたしから取らないでください。51:12あなたの救の喜びをわたしに返し、自由の霊をもって、わたしをささえてください。51:13そうすればわたしは、とがを犯した者にあなたの道を教え、罪びとはあなたに帰ってくるでしょう。51:14神よ、わが救の神よ、血を流した罪からわたしを助け出してください。わたしの舌は声高らかにあなたの義を歌うでしょう。51:15主よ、わたしのくちびるを開いてください。わたしの口はあなたの誉をあらわすでしょう。51:16あなたはいけにえを好まれません。たといわたしが燔祭をささげてもあなたは喜ばれないでしょう。51:17神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません。(詩篇51:1~17)

1:5わたしたちがイエスから聞いて、あなたがたに伝えるおとずれは、こうである。神は光であって、神には少しの暗いところもない。 1:6神と交わりをしていると言いながら、もし、やみの中を歩いているなら、わたしたちは偽っているのであって、真理を行っているのではない。 1:7しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。 1:8もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。 1:9もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。 1:10もし、罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とするのであって、神の言はわたしたちのうちにない。(ヨハネの第一の手紙1:5~10節)
32:1そのとががゆるされ、その罪がおおい消される者はさいわいである。32:2主によって不義を負わされず、その霊に偽りのない人はさいわいである。32:3わたしが自分の罪を言いあらわさなかった時は、ひねもす苦しみうめいたので、わたしの骨はふるび衰えた。32:4あなたのみ手が昼も夜も、わたしの上に重かったからである。わたしの力は、夏のひでりによってかれるように、かれ果てた。32:5わたしは自分の罪をあなたに知らせ、自分の不義を隠さなかった。わたしは言った、「わたしのとがを主に告白しよう」と。その時あなたはわたしの犯した罪をゆるされた。32:6このゆえに、すべて神を敬う者はあなたに祈る。大水の押し寄せる悩みの時にもその身に及ぶことはない。32:7あなたはわたしの隠れ場であって、わたしを守って悩みを免れさせ、救をもってわたしを囲まれる。32:8わたしはあなたを教え、あなたの行くべき道を示し、わたしの目をあなたにとめて、さとすであろう。32:9あなたはさとりのない馬のようであってはならない。また騾馬のようであってはならない。彼らはくつわ、たづなをもっておさえられなければ、あなたに従わないであろう。32:10悪しき者は悲しみが多い。しかし主に信頼する者はいつくしみで囲まれる。32:11正しき者よ、主によって喜び楽しめ、すべて心の直き者よ、喜びの声を高くあげよ。(詩篇32:1~11)

3:21しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。 3:22それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。 3:23すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、 3:24彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。 3:25神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、 3:26それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。ローマ人への手紙3:21~26)

8:31それでは、これらの事について、なんと言おうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。 8:32ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。 8:33だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。神は彼らを義とされるのである。 8:34だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。 8:35だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。8:36「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりである。 8:37しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。 8:38わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 8:39高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。(ローマ人への手紙8章31~39節)

10:5モーセは、律法による義を行う人は、その義によって生きる、と書いている。 10:6しかし、信仰による義は、こう言っている、「あなたは心のうちで、だれが天に上るであろうかと言うな」。それは、キリストを引き降ろすことである。 10:7また、「だれが底知れぬ所に下るであろうかと言うな」。それは、キリストを死人の中から引き上げることである。 10:8では、なんと言っているか。「言葉はあなたの近くにある。あなたの口にあり、心にある」。この言葉とは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉である。 10:9すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。 10:10なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。 10:11聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。 10:12ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。 10:13なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。10:14しかし、信じたことのない者を、どうして呼び求めることがあろうか。聞いたことのない者を、どうして信じることがあろうか。宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか。 10:15つかわされなくては、どうして宣べ伝えることがあろうか。「ああ、麗しいかな、良きおとずれを告げる者の足は」と書いてあるとおりである。(ローマ人への手紙10章5~13節)

 

自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。(ローマ人への手紙10章10,13節)

『イエス様は十字架で死に、3日後によみがえれたと信じます。

私はイエスキリストを主として、救い主として、受け入れます。

私の心に入って下さい。全て暗闇の世界と結ばれた契約を断ち切り、拒否します。

イエス様、私に、聖霊様のバプテスマを授けてください。

信仰によって受け入れます。

アーメン。』