『私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日が、しかも、その一日もないうちに。』詩篇139篇14〜16



神様へ。

今日の聖日を感謝します。


日付が変わるとすぐ、必ずすることがある。
秒速で、スマートフォンの聖書アプリを見ること。
深夜0時に日付が変わると、『今日の聖句』が更新されるの。
今日は私の好きな139篇だった。
詩篇の139篇は長いけど、たくさん好きなところがある。
今日のところも大好きなところ。

そして、今の私に深く深く語りかけてくれるところだ。


私はナースだからか、人が聖霊によりみごもるなんてこと、絶対に信じられなかった。

結果には原因がある。

夜に見る火の玉は、化学変化によるもの。

金縛りだって、疲れすぎなんかが原因で、身体は寝てるのに脳だけ覚醒してるから、動けないんだけなんだ。

一見ドキッとする現象にも、必ず答えがある。


だから聖霊による受胎なんて信じられなかった。

だけど、そんな私なのに、今はそれを受け入れて、当然のことと思っている。

だって、神様にできないことはないでしょう?
天地万物を司る方に不可能なんてあるわけない。
それは、子どもの頃からずっと思っていたこと。


天地を創造された方…
空も海も大地も、太陽も星も月も、すべての生命と、それらが生きるのにちょうど良い気候も…
そんな方の前に科学も非科学もない。

無から有を生じせしめるお方だもの。
この長い長い歴史の中で、神様のご計画のためにたった一度、乙女からみどりごが生まれても、何の不思議もないと思ったの。

でも、そう思えるようになったのも聖霊の働き。神様の御力。
非科学なんて信じなかった私なのに、今は確信を持って信じているのは、神様の御力だ。


今日も教会で賛美歌を歌った。
少し誰かの音程がずれると気になって歌えない。
自分の音がずれても、気になって歌えない。

牧師先生の素晴らしい説教を、子どもが立てるカサカサ音が気になって、聞きたいのにきちんと聞けない。

私、何にも心を煩わされず、心から神様を喜んで礼拝に出たい。
喜んで説教を聞きたいし、喜んで賛美したいし、何より…毎日の恵みに対する感謝や、みなさんの真剣な課題を、心から神様に祈る時を持ちたい。

それなのに、小さなことで気が散る。
みんなからすればわずかな音が、苦しくて仕方ない。祈る時もみんなのこしょこしょ声が聞こえて祈りに集中できなくて、両耳を塞いでいるからお祈りの姿勢をとれない。
耳を塞いでも聞こえてくると、もう祈りなんて吹き飛んで、ほかのことを考えているの。

今日は兄弟姉妹の交わりの中で、聞きたくない話も報告された。
そんな時はすごく焦る。
そういう情報は耳にこびりついて離れない。
特に時間とか日付とか、数字が絡むと、もう忘れられない。
せっかくの聖日、人を愛して穏やかな1日を送ろうとしていたのに…『愛する』なんて、高尚なことを言っていられないほど、心が乱れて、みんなの前なのに、急いで席を離れた。
こういうことがあると、一生懸命気持ちを逸らしても、後でフレッシュに思いだして、すごくすごく不安になるんだ。

こんな私、最低だって思う。
なんでこんななのかと思うと泣きたくなるよ。

一瞬、楽になるなら悪い道に行ってもいいって思って、ハッと気づきかぶりを振って、正気に戻った。
どんなに苦しくても、神様から離れちゃダメなんだ…。神様、私を悪い道から引き戻してくださり、感謝です。



神様…

あなたの書物に、わたしのことをなんてお書きになっているかわかりません。

でも、あなたは母の胎内にいる時から、私の全てを奇しいみわざをもって、造られ、それをご覧になり、よしとされました。

私にはたくさんできないことがあります。
みんなにできて、私にはできないことがたくさんあり、とても心が苦しいです。

でも、あなたはその私をよしとしてくださる。

だから、こんな私でもいいんだと思うんです。

欠けだらけの私をも、いいえ…
欠けだらけの私をこそ、あなたはたくさん愛して下さっているし、愛するためにこんなふうに私を造って下さったのだと思うんです。

私が自分を嘆かず、ただただあなたの愛をよろこんで生きられるように、守ってください。

私が私であることを感謝しています。

陶器は陶器師によって作られるように、私はあなたによって造られました。
どうか、いつも、どんな時でも…
陶器師を賛美する道を与えてください。