お元気でお過ごしでしょうか?
もう一年以上経ちますが、書かずにはおられないことです。
やっとまとめましたので出させていただきます。
2016年5月10日に書いた地震の影響の後の話です。
「奇跡」と題しました。
『2016年の熊本大分地震の影響は、熊本から約60km離れた我が家にもありました。
震度5強。
本震と言われている4月16日、柳川市で観測されたとされる震度です。
16日の数日前、私は高校時代の同窓生の1人から連絡をもらいました。
私の同級生だった1人が奥さんをガンで亡くしていて、幾らかでも慰めようというような主旨で同窓生6、7人が15日の夜に集まって食事をすることにしました。
1次会を終えて、私はその内の別の1人とスナックへ行き、彼としゃべったり、カラオケで好きな曲を歌ったりしていました。
日が変わって16日、それも終え、帰宅しているタクシーの車中でその地震は起きました。
信号待ちの交差点手前で停車中にスマートフォンから地震を知らせる警報音がけたたましく鳴り始めるとやがてタクシーは大きく揺れ始めました。
運転手さんはまだ赤信号なのに交差点の中に車を進めました。
ゆっくりとしたスピードでしたが、私は何事かといぶかしがり、横から車が来たら危険だと思いました。しかし、運転手さんは反対車線側の交差点の側の古い木造の家が大きく揺れているのを見て倒壊して車にするのではと思われたらしく車を進められたのでした。
この家の対角線側にある3階建てのコンクリートの建物も大きく揺れていました。
私は地の癒しを祈っていました。
しばらくすると揺れが収まり信号が青になりましたので運転手さんは車を走らせました。
2日前の14日の揺れもひどかったのですがこれほどではありませんでした。
タクシーは10分足らずで家に着きました。
家の外側は暗いので家の状況は分りませんでした。
家の中を見てみると壊れたり、物が倒れたりしているのは無さそうでした。
でも、後日、食器類の位置がずれていることに気づきました。
その日から余震が続きました。その都度地の癒しを祈りました。
14日の地震でも影響はあったでしょうが私は余り記憶がありません。それ程熊本や大分の方々には申し訳ないのですが他人事でした。
翌日ニュースで熊本や大分での地震の影響が大きく報道されました。
この地震から4日後の4月20日、お向かいのご主人が私を手招きしています。そして、我が家の二階辺りを指差しています。
振り向いて二階を見ると、棟瓦が凹んで見えます。
一瞬何故と思い、自分の気持ちを整理しようとします。
「えっ、まさか、うちが?」
熊本や大分の建物の倒壊の出来事をまだまだ他人事と思っていた自分の思いを自分に隠し、お向かいのご主人に礼を言って家の北側に行き屋根の様子を見ました。
その日は夕方近くで屋根に上るのはためらいましたので下から家を見ました。
見ると棟瓦が手前、北側にずれているのが見えました。
見る限りそれ程酷くないと思われました。
その後の雨による雨漏りが心配でしたが漏る様子は伺えませんでした。
とにかく早く屋根に上って状況を確認すればいいのですが、ビビリの私は引き延ばしていました。
やっと屋根に上って状況を確認したのは5月1日でした。
確認してびっくりして分ったのは結構な崩れ様でした。
棟瓦が北側に40㎝ほどずれています。
自分で修理してみようと何日か前に思い、屋根にまた上って状況を見ましたが諦めました。
私には屋根を直すだけの知識や技術がありませんでした。
DIYは好きですが、この屋根を1人で直すには知識や技術、そして経験が必要だと思いましたがそれはありません。
また、安全を確保するための道具類が必要だと思い、それを調達するなり借りるなりするにはかなり手間かかります。
そこで、とりあえずブルーシートをかぶせることが先決だと思いました。
知っている大工さんにお願いしてブルーシートを掛けたのが10日後の11日。
取り急ぎ梅雨には間に合いました。
大工さんに、瓦屋さんの都合などを尋ねてみましたが、当時瓦の修理が多いので早くても80件ほど後だと言われました。ならば、待つしかないなと思いました。と思う一方でホッとしました。何故なら早く修理されても支払うべきお金が無いからです。
しかし、修理の大体の見積もりを知っておこうと思い、福岡市の瓦屋さんに見積もりをしてもらうことにしました。
会社に電話すると留守電になっていて、しかも録音ができない設定だったと思います。
4、5回ほどかけましたが同じでした。
実はこの瓦屋さんに初めて会ったのは20年以上も前でした。
最初に会ったのは、平成3年(1991年)の台風17号と19号が連続して九州に上陸し多くの家の瓦が飛ばされた年でした。
この年に私は空手の後輩の紹介でこの瓦屋さんと面識を持つことになりました。
会った理由は、台風の影響で飛んだ瓦の工事の受注が増え、この瓦屋さんが急に忙しくなり、営業の手が回らなくなっていたからでした。
こういう状況で瓦屋さんは後輩に声をかけ、更に後輩は私にアルバイトとして誘ってくれたのでした。
当時はまだ福岡市に住んでいるときで、この方と会うことについては交通の便などは悪くはないし好都合でした。
私はこのアルバイトで後輩と動きました。
後輩は以前光学機器販売会社のセールスマンだった人で、全国の販売競争で2位になった実績を持っているほどの人です。何と1位との差がたった3万円だったとのことで、後で自分の詰めの甘さを悔いていました。それでもこの結果が嬉しかったとのことで、この競争の結果を後輩は他の誰よりもいの一番に私に知らせたと言ってくれました。
こんな素晴らしい後輩はいい加減な私を尊敬してくれています。本当にありがたいことです。ですから彼と一緒に瓦の営業に廻りました。しかし、結果から言いますと私自身の営業の成果は残念ながらゼロでした。
その後この瓦屋さんと会ったのは後輩の結婚式の時で、もう10年くらい前です。ただ、後年、後輩が瓦屋さんの奥さんと別の仕事で関わりがありましたので奥さんとは1、2回会ったことがありました。
この奥さんのお友だちでガンになっておられた方がいらっしゃいました。ただ当時はガンは進行が遅くて元気でおられました。
この方と後にFacebookで友だちになりました。
ガンの進行は遅かったとは言え少しずつひどくなり、入退院を繰り返しておられたようでした。
そこで、私は私自身に直腸ガンが見つかってからお世話になっていた医師を紹介しました。するとこの方はその医師の病院へ入院をされ治療に励んでおられましたが、それまでの化学治療か放射線治療かは知りませんが身体へのダメージが大きかったようで、またどうしても保険がきかない高額な治療があったりしてそこは退院して別の病院へ転院されました。
その内電話をかけても通じなくなりました。
私は体調が思わしくないのかなと思ったり、ひょっとしたら最悪亡くなられたかもしれないと思ったりしていました。
私のできることは祈るのみでした。
祈ると言えば、この方が入院中にキリストをご自分の救い主として受け容れ、信じる祈りをされ、更に洗礼を受けられました。
私はガンからの回復も合わせて祈りました。
それからどれくらい経ったか覚えていませんが、ある日、瓦屋さんの奥さんから電話がありました。この方が亡くなられた知らせでした。
奥さんは泣きながら私に電話をしてくださいました。
最後はご実家のある東京での入院だったそうで、そこにも奥さんは行かれてお見舞いをされたとのことでした。
残念なお知らせではありましたが、この方は既に天で私達のために祈ってくださっていると思いました。
この時奥さんがかけてくださった時に、私の携帯電話に電話番号を登録していたことを思い出しました。
そこで、奥さんの携帯電話にかけてみるとつながりました。
私は地震で影響を受けた屋根の話をしました。それで幾らかでも詳しい状況が分るように撮っていた写真をメールで送りました。
直ぐに返信が来て、見積もりを出しましょうか、とありましたのでお願いしました。
ご主人は地震以後忙しかったそうですが、状況を見て私の家を見に行くとのことでした。
ご主人がいらっしゃったのは私の留守中で、お目にかかって話すことはできませんでした。
その後、見積書が送られてきました。
見積額、17万円。
支払うのは無理でした。
心の中で、あぁ、ただでしてもらえないかなぁ、とつぶやきました。
そして、祈りました。
修理代が与えられますようにと。
さて、とりあえずブルーシートは掛けていましたから雨漏りは一応大丈夫だと思われました。
後は台風や突風の心配でした。
私は台風が来るシーズン頃には気象庁、Joint Typhoon Warning Center(合同台風警報センター)、European Centre for Medium-Range Weather Forecasts(ヨーロッパ中期予報センター)、ウエザーニュースからの情報を見て一喜一憂していました。
でも、どんなに科学的に調べられていても、確かに予報はありがたいけれども予報に実体はないのです。
実体がないとは虚であるということです。
今、ここにまだ台風は来ていないのに一喜一憂することの愚かしさ。
身勝手ながら私は自己中心の祈りをしました。
わが家を台風が避けて通るようにしてください。
と同時に神に預言を願いました。
自分一人で願ったものですから吟味もへったくれもありませんが。
神に言われたと思った預言は、台風はあなたの家を避ける、でした。
私は腹をくくりました。そして、季節が進み気温が下がってくるのを待ちました。
結果的に一昨年(2016年)、台風は近づいたものの、わが家に影響は及ぼしませんでした。
何とありがたかったことか。
しかし、まだ心配はありました。
冬と言えども風が強い日があるからです。
ブルーシートがいつまで持つかが不安でした。
屋根を見る度に心の中で溜息をついていました。
ここまで読まれてこう思われた方があると思います。
なぜ、直ぐに修理しないのか。
残念ながら私は経済的に厳しい状況に何年もあるからです。
私は2012年5月に直腸ガンの切除手術を受けました。今は随分良くなりましたが、術後、直腸が短くなり、1日にトイレに10回ほど行く頻便になりました。またこれより以前の離婚や義母の介護と死以後、ウツっぽくなったり無気力になったりしました。またこれらに合わせて空手の道場生が増えない状況が続き収入が減り始めました。
こういう経緯で収入を増やすべく2014年1月から母校の小学校で特別支援学級支援員の仕事に就かせていただきました。
小学校で1年3ヶ月、続けて母校の中学校で4ヶ月働かせていただきました。
夏休み期間中は支援員の仕事がないので、障害を持つ子どもさんたちが通うデイサービスのある施設で働かせていただきました。
たくさんの障害を持つ子どもさんと接することができましたが、ある少年に噛まれたり、引っ掻かれたりした時は結構ショックでした。
そういう生活の中、便が夜の1時間くらいの間に4、5回続くことがあると睡眠不足で体力的にきつくなることがあります。それで支援員は2015年9月でやめました。
でも、やめると収入が減るので2015年の10月頃に学童保育の支援員の申し込みをしておきました。支援学級と違い勤務時間は半分くらいに短くなる(夏休みなどは長くなります)ので体力的にはいくらか楽になるであろうと思われたからです。ただ、採用の通知はなかなかありませんでした。
このままでは大変なので同年12月に別の小学校で特別支援学級の支援員をさせていただきました。ただ、ここでも体力的状況は同じで、また通勤距離が長くなったこともあり、昨年の3月でやめさせていただきました。
しかし、やめる間際に学童保育の支援員の話が来て、2016年の4月から働かせていただいています。ただ、勤務時間が4時間ほどで経済的にはまだまだ大変です。
このような矢先に前述の熊本・大分地震の発生。その影響が我が家にもあり、2階の屋根の棟瓦がずれました。収入が少ないところにこの出来事はとてもショックでした。
しかし、奇跡が起きました。
2017年の3月1日に先述の空手の後輩から電話がありました。
電話は、私が彼にその年の年賀ハガキを出していなかったからで、それに対して心配してくれてのものでした。
私は昨年、伯父が死んだので11月頃に年賀欠礼のハハガキを出すつもりでしたが、グズグズしていたので出さずじまいでした。
その前も叔母と弟の義父が死んだので同じような状況で出さずじまいでした。
ただ、一部の方々にはメールで欠礼の挨拶はしていました。
ともあれそういう状況でしたので、後輩に事の次第を話しました。
後輩は安心してくれました。そして、屋根の状況を聴いてくれました。
私は先述した通りのことを話しました。ただ、「ただでしてもらえないかなぁ」というつぶやきのことは話しませんでした。
すると後輩曰く、瓦屋さんにボランティアで修理してくれるように頼んでみる、でした。
私は、えっ、えっ、えっ、と、ことの進み方に何事かと思いました。
当然期待はしましたが口にはしませんでした。
後輩は瓦屋さんに、儲かっているんだからただでやってくれてもいいではないか、というようなことを言ったそうです。もし、瓦屋さんが何かふっかけてきたら言ってくださいね、とも言いました。
3月3日、金曜日に瓦屋さんから電話があり、週末に職人さんを連れてこちらへ来てみるとのことでした。しかし、週末と言っても明日が土曜日だしと思って明日かなと思っていましたが来られなかったので、あぁ、気が変わったのかな、と私は思いました。
ただでするなんてできるはずはないじゃないか、と思われているのではなかろうかと思っていました。
週が明けてからも来られないので、心の中でしか思っていませんでしたが、あぁ、厚かましい願いだなぁ、と思っていました。
その週も結局土曜日になり諦めかけていました。
土曜日の朝8時20分頃、玄関のインターホンが鳴りました。
玄関へ出ると見慣れない人が2人いました。
久しく瓦屋さんには会っていませんでしたので、よくお顔を見ましたがどうも違うようで、もう1人の人もそうでした。
来た人たちは職人さんでした。
瓦屋さんの指示で福岡市からはるばる仕事をしに柳川まで来られたのでした。
私は念のために職人さんに作業をされるのか確認をしました。そうしたらされるということなので屋根修理が現実になっていくのだと思い驚いてしまいました。
瓦屋さんは後から来られるとのことでした。
私は9時から学童保育の仕事に行く必要があるということを伝えると、職人さんは構わないとのことで8時40分頃、職人さんたちに仕事に行く旨と感謝の言葉を伝え仕事に行かせてもらいました。それから瓦屋さんの携帯に14時過ぎに帰宅することをメールで送っておきました。
その後、11時10分頃、瓦屋さんからメールがあり、わが家に到着されたこと、また職人さんと話をされ、棟の瓦の取り替え以外に、屋根の谷部分の銅板の腐食で雨漏りがしているところなどを見てもらい、悪いところを補修しておく旨が書いてありました。
また、工程の写真が5枚貼付されていました。
私は直ぐにメールと電話で瓦屋さんにお礼を申し上げました。
その日の午後3時前に家に帰り、屋根を下から見上げました。
上に上らなかったのは福岡での空手の指導に行くので時間的に余裕がなかったからでした。でも、下から見上げるだけでへこんで見えた棟がきれいになっているのが分りました。
翌日の日曜日に屋根に上って状態を見ました。
「あぁ、きれいになっている。」
その夜の午後8時10分に後輩から電話がありました。
屋根の状況を尋ねるものでした。
私は先ずお礼を言い、屋根が直されている状況を伝えました。
20時22分に瓦屋さんに電話をして、改めてお礼を申し上げました。
私はこの出来事を見て呆然と立ち尽くすような感覚でした。
私の感覚では、あの時つぶやいた「あぁ、ただでしてもらえないかなぁ」は神への祈りだったのだなぁ、と思いました。
後輩は、これは瓦屋さんの好意からのものだから、神さまがしたというようなことは瓦屋さんには言わないでくださいというようなことを言いました。
人間的には、この世的にはそうなのでしょう。でも、私にはそうではありません。時間はかかりましたが神さまはなしてくださったのだと思えます。
今年の3月11日にメールではありましたが、瓦屋さんにお礼を申し上げました。
瓦屋さんから返信が来て、喜んでおられる様子でした。
7年前の東日本の大地震と同じ日に、わが家では2016年の熊本地震で影響(被害という言葉を使うよりこの言葉を使います)を受けた棟瓦が直されました。直される以上に屋根の傷んでいるところも修理されました。
東日本の大地震や熊本の地震で亡くなった方々の救いのために祈ってきたこと、そのことの返礼のように思わざるを得ません。
この証しを書いてはやめ、書いてはやめでいましたが、どなたかの証しに「(証しをしないと)腐るよ」というのがありました。
先日、熊本地震から2年が経ちました。この証しをこのままにしておいてはいけないと思い、見直したり書き直したりしました。
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」
詩篇103:2(新改訳)
どんなに小さなことでも神さまは私になしてくださってるのですが、疑い深い私は不平不満を言います。神さまを信じている部分とそうでない自分の振れ幅がかなり大きいです。しかし、そんな私を丸ごと受け容れてくださっているのだと思っています。大変ありがたいことです。
ウツっぽく無気力傾向の私はやっと立ち直れそうだと昨年3月11日に思いました。そして今は波こそあれ随分元気になりました。主に感謝です。』
武頼庵
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ユニバーサル空手道連盟信愛会
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0944-74-5278



