KJV-Isaiah56:1-2

Thus saith the LORD

Keep ye judgment, and do justice: 

for my salvation is near to come, 

and my righteousness to be revealed.

Blessed is the man that doeth this, 

and the son of man that layeth hold on it; 

that keepeth the sabbath from polluting it, 

and keepeth his hand from doing any evil.

口語-イザヤ書56章1-2節

はこう言われる、

「あなたがたは公平を守って正義を行え。

   わが救の来るのは近く、わが助けのあらわれるのが近いからだ。

   安息日を守って、これを汚さず、

   その手をおさえて、悪しき事をせず、

   このように行う人、

   これを堅く守る人の子はさいわいである」。

お願いアアメン👑✝️🩸📖💗🙇‍♀️主イエス・キリスト(救世主)

私たちはどこかで安息と言いますか、平安であることを望みます。

ただ、少しでもいい生活を、と考えて仕事に明け暮れたら、

それはどうなのでしょうね。

仕事も生きていくうえで大切な事なのは間違いないのですが。

しかし、私たちが忘れてはいけないのは、

私たちのために全てを備えてくださっている方、神様がいる事です。

神様は私たちを本物の安息へと招かれました。

私たちの重荷も痛みも悲しみも、何より罪をも身代わりに背負われ、

罰せられてまで。私たちはこの命がけの招きにどう応答するでしょう。

さて、↑は古代イスラエルのバビロン捕囚期から捕囚後について

神様がイザヤを通して預言されたものの続きになります。

ここまで神様はイスラエルを見捨てられず、捕囚中も守り、

ついにはバビロン捕囚からの解放のために神様が心血を注ぎ救われること、

驚くべき良い知らせを、救い主イエス様の誕生について語られてきました。

そのイエス様についてしもべの歌にて、

神の御子であられながらそのありようを捨てられないとは考えずに、

罪を犯さないという点を除き完全な人となって生まれ、

徹底的に仕え、ついには罪がないイエス様が私たちの罪を身代わりに背負われ、

その傷も病も、一切を引き受け、打ち砕かれ、

復活のイエス様ご自身が住まわれあなたを輝かせる、

神様の御業が輝くこと、そこに全てのよきものを備えて待っているから、

とイエス様ご自身があなたを招かれることを見ました。

ただでこの恵みを注ぐために、あなたに会いに来てくださったことを。

神様はなお「公正を守り、正義を行なえ。

わたしの救いが来るのは近く、

わたしの義が現われるのも近いからだ」と語られます。

どうも、この56章からはイザヤが老年の時に語られたものと言われ、

ここから最後の66章までは永遠の安息への招きについて語られています。

ただ、若いから、壮年だから、老年だから、

こうしなければいけない、という事はありません。

イザヤが年だから、「公正を守り、正義を行なえ。

わたしの救いが来るのは近く、

わたしの義が現われるのも近いからだ」

とここで神様は訴えているわけではありません。

むしろ語られているのはイザヤを通してイスラエルに向けられたものであり、

私たちに向けられたものですから、昔だからどうの、

今はわたしには関係ない、とかそういうことはありません。

「救いは近い」、「わたしの義が現れるのも近い」と仰られている、

神様は今、あなたに恵みを注ぎたい、

今だからこそ「公正を守り、正義を行な」うよう訴えるのです。

私たちは下手をすれば

「神様がどっちみち救ってくださるのなら、私たちは気ままに生きていればいいや」と考えやすいですが、そうではないのです。

むしろ主が救ってくださるのだから、私たちは義を行なうべきなのです。

では、その義、とは何でしょう。何か良い行いをすること?

何か正しいことをしたら神様の義がいただける、

ではおそらく一生いただけないでしょう。

1世紀の伝道者、

パウロという人は「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。

神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。

善を行なう人はいない。ひとりもいない」と書き送りました。

ひとりもいない、とありますが、パウロはでは自分は違う、

と言いたいのか?そうではない、自分もそうではないのです。

むしろだから「神様を求める」生きる事が私たちには必要なのです。

神様なしに正しい人などいない、神様が私たちの内に義を現し、

私たちは生きたものとなるのです。

現代の安息日は,日曜日に変更されていますが、本当は土曜日です。

🙇‍♀️💗📖🩸✝️👑🙌💖📅下差し✍️(◔◡◔)

子育て休職中牧師さんから抜粋(リブログ)させて戴きました。

    下差し