皆様、こんばんは。主イエスキリストの息子JESUS CHRISTjr浜崎博己です。今日はスウェーデンボルグ「天界の秘義」出エジプト記第9章について解説します。その前にまず今日の日記を書きます。
ランスタッド株式会社に登録してから1週間が経ちました。やっぱりパソコンスキルチェックの結果があまり芳しくなかったためか、仕事の紹介が昨日メールで来ませんでした。でもアンケート調査の依頼が来たので、まだ見捨てられていないということです。これから週末まで仕事の紹介があるかどうか様子を見て、もしないようであれば、タウンワークで次の仕事を探したいと思います。
それでは続いてスウェーデンボルグ「天界の秘義」出エジプト記第9章について解説します。今日は短いブログにするつもりです。仁慈の教義について解説します。
悪は凡て自己への愛と世への愛から発生しており、悪は凡てそこから発生しているため、誤謬もまた凡てそこから発生しており、他方、主イエスキリストへの愛と隣人への愛から善と真理が発生しています。
天界的愛の善とその信仰の真理とは主イエスキリストから絶えず流れ入っていますが、自己と世への愛が支配しているところには受け入れられはしないで、反対に、そうした愛が支配しているところでは、主イエスキリストから流れ入ってくる善と真理とは斥けられるか、消滅するか、または歪められるか、してしまいます。
人間が悪を自分自身のものとなすに応じて、主は、その人間が幼児の頃に受け入れた無垢と仁慈の善を分離されて、それをその人間の内部に貯えられるのです、なぜなら無垢の善と仁慈の善とはこうした愛の悪とは決して共にいることはできないのであり、主はまたそれが死滅してしまうことを望まれはしないからです。
神から発している生命は善を意志し、真理を信じることです。
愛と信仰の生命は「永遠の生命」と呼ばれ、それを自分自身の中に持っている者たちは「生きた人間」と呼ばれていますが、悪と誤謬の生命は「永遠の死」と呼ばれ、そうした人間は「死んだ者」と呼ばれています。
それでは以上で「天界の秘義」の解説は終わりにします。主イエスキリストの息子JESUS CHRISTjr浜崎博己でした。
ああ天地の神主イエスキリストよ、アーメン、ハレルヤ!!!