古代オリンピックが始まったBC9世紀ごろ、起源は、ヘレニズム文化圏の宗教行事でギリシャ神話における天空の神ゼウスをはじめ多くの神々を崇めるための、神域における体育や芸術の競技祭でした。信仰の中心地オリンピアが発祥ゆえオリンピックといい、古代ギリシャで火は神聖とされ古代オリンピックの開催期間、祭壇に灯された火を絶やすことなく燃やし続けて偶像神を称えていました。近代オリンピックの聖火は、古代オリンピックで実際に火が灯されていたギリシャ神話の女神ヘラを祭ったヘラ神殿から採られ、ゼウス偶像神が片手に持つ雷が聖火トーチの起源です。

東京五輪で日本製の新富士バーナーのトーチが認められ、パリ五輪でも採用。今回、大雨と強風でも消えなかった技術が認められています。しかし、それは偶像の宗教行事へ間接的な貢献となっています。

 

起源が偶像神にあったように、現代でも清くないです。パリ五輪の開会式の演出の中にイエス・キリストの十字架前夜の「最後の晩餐」をモチーフにしたシーンがありました。12弟子に扮したトランスジェンダーやドラァグクイーンが歌い踊る、神様を冒涜した内容です。

旧約聖書において「悪魔崇拝のシンボル」とされる「金の子牛像」や、ハルマゲドン(世界の終末)直前に出現し、疫病をもたらすとされる「青ざめた馬」も登場し、「マリー・アントワネット」は人類を堕落させる「バビロンの大淫婦」を表現していました。

実業家イーロン・マスクは「キリスト教に対して極めて敬意を欠いている」とXに投稿し、世界中の教会が反対の異を唱えましたが、日本のクリスチャンはおとなしいです。

 

パリ五輪に限らず、いつもオリンピック開会式には「悪魔崇拝の儀式」が暗示的に表現されていて、悪魔崇拝をしているDS勢力(世界を牛耳る闇の支配層)が、人口削減のためにこれから起こす戦争、疫病を犯行予告しています。

ところがこれを真っ向から指摘すると、陰謀論者と言われ、差別化をはかられます。

陰謀論ではなく、現実に陰謀が起きているのです。

疑惑判定は現実です。

どんなに正しく努力してもスポーツ界の頂点には悪が君臨しているからです。

DS悪魔組織は白豪主義で、基本的にアジア人や黒人が栄えるのを望みません。自分たちひいきのチームが有利になるよう採点します。審判の誤審もあれば、意図的な不正判定も多数あります。悪魔崇拝者にとって健全なスポーツマンシップを打ち砕く、アスリート泣かせの不正判定こそ嬉しい悪魔の金メダルであり、トロフィーなのです。地獄には悪魔が地上で人間に大罪を犯させて勝ち得た邪悪な災害を誇る数々の悪魔のトロフィーがあるそうです。

 

ドラァグクイーンが演じた『最後の晩餐』のシーンは、キリストを裏切った13番目の弟子ユダの席にアジア系の子どもが座っていて、何かの暗示とまで言われています。それは子供っぽいアジア人種への差別表現と子供たちの背教ではないでしょうか。 

中国、韓国、台湾、インドネシアなど過去にリバイバルを通じて多くのクリスチャン人口を抱えた国々がコロナ自粛以降の今、背教に向かっていないでしょうか?

同性愛者たちの祭典演出で、闇組織は聖書の反対をゴールに目指しますが、聖書は確実に同性愛者たちを罪と定めています。ソドムやゴモラ、ギブアの町に住むベニヤミン族など男色の習慣ある町々は、神様の御怒りを受けて必ず滅ぼされています。真理と信仰に硬く立ち、クリスチャンこそ目覚めなければなりません。  

 

旅人のそばめ 士師記二十章

 

一人の老人がある晩、ベニヤミン族の住むギブアの町の広場で野宿しようとしている旅人を憐れみ、自分の家に泊めてあげました。その理由は町の広場には堕落した民が満ち、男色の風習さえある大変危険な所だったからです。

老人は旅人を喜んで迎え入れ、ロバに馬草を与え、足を洗って、食べたり飲んだりしながら共に楽しんでいました。ところが夜もふけかけたころ、突然家じゅうを揺さぶるような破壊的なこぶしでドアを激しく叩き続ける音が鳴り響いてきました。「ダン。ダン。ダン。」

実にその町の男色の風習あるよこしまな男たちが情欲に満ちて老人の家を取り囲んで叫んでいたのです。「あなたの家に来たあの男を引き出せ、あの男が知りたい!」

執拗に迫り来る町の堕落した男たちに老人は必死に抵抗して叫びました。

「いけない。兄弟たちよ。どうか悪いことはしないでくれ。…」

しかし、老人の説得にも男たちが一向に応じることなく、今や家のドアも力ずくで打ち破らんばかりになったため老人は旅人を守るため残された最後の手段をとりました。

旅人の身代わりにそばめをつかんで外の男たちの所へそのまま出したのです。

 

情欲と汚れに満ちた男たちはいっせいにそのそばめに襲いかかり夜通し朝まで暴行を加え、夜が明ける頃彼女を放したのです。翌朝、旅人が外に出るとそばめが家の入り口に倒れたまま死んでいるのを確認しました。そこで旅人は家に入り当時の風習によって刀を取りだし、驚くことにそばめの死体を十二の部分に切り分けて、それぞれの部分をイスラエルの部族ごとに一つずつ輸送したのです。

 

小包を受け取った族長たちは開いてびっくり仰天。族長たちは事の重大さに目が覚めて、大至急イスラエル中の十一部族を招集して大会議場である「ミッパの主のところ」に集合しました。イスラエルの全部族、民全体の頭たち、四十万の剣を使う戦士が神様の民の集いに総動員されました。

目的はただ一つ、男色の風習に身を委ね、全く悔い改めようとも恥ようともしない鉄面皮のギブアの町に住むベニヤミン族に対して、イスラエルの十一部族は主の御心を求めて後、一致団結して立ち上がり、イスラエルから悪を除き去るための聖戦をついに開戦したのです。

今まで眠っていた十一部族が始めて目覚めて自発的に立ち上がったのです。罪悪と戦うリバイバルの始まりです。彼らは必死に主にすがり、断食礼拝で身を聖め、剣を手に聖戦を繰り広げ、最後に十一部族はこの戦争でイスラエルから堕落しきった一部族を聖絶して彼らの町ギブアを焼き払いました。

 

人間の罪は恐ろしい燃える火のようです。罪と汚れは聖絶して焼き尽くすしかありません。しかしながら今の時代、いまだ多くの力ある神様のイスラエルは霊的に眠っています。日々、展開されるべき聖戦である罪悪や肉欲との戦いに気づかないでのんびり妥協したまま参戦できない本当は目覚めたら凄く力ある勇士たちがあまりにもたくさん寝ています。眠れる神様の民を目覚めさせ、勇士とならせる唯一の切り札があります。この国を目覚めさせ、教団教派を超越した教会の一致をもたらし、全クリスチャンを聖戦へと立ち上がらせるリバイバルの鍵がまだあります。

もともと罪悪に対する戦いの認識が甘かったイスラエル十一部族でさえ本気で立ち上がらせる動機付けを与えた起爆剤とは一体なんだったでしょうか。

それは犠牲の身代わりとなって殺された無実なそばめ、その人でした。皮肉にも元気に生きている時のそばめではなく死んだ後の悲惨なそばめです。そばめの死体をイスラエルの国中へ送りつけたそのことが引き金となって十一部族の開眼となりリバイバルの原動力となったのです。死体の一部を実際に受け取って直接見た十一部族が始めて事の重大性を悟り、本気に目覚めてミツパの町、主の所に集まり、罪悪に対する開戦したのです。

 

今、私たちもまた絶対受け取り、見つめなければならない姿があります。十字架の上で手足を釘打たれ血潮を流し、肉体をむちで裂かれた救い主イエス様です。罪なき神様の御子が罪ある世界のために犠牲の死を遂げたのです。神様の御子の血潮にまみれたその姿こそ私たちを霊の眠りから目覚めさせ、聖戦を始める勇士へと変化させる起爆剤です。開かれた小包を自ら手にとってしっかり見つめる族長たちのように、ふるえながら、感動的な心をもってイエス様の血潮と肉体を自分のものとして受け取ることです。十字架のイエス様を直視してください。 

ミツパの町の名前の意味は「見張る場所」「物見やぐら」です。主は今、罪悪との戦いに昼も夜も本当に目覚めた霊的に戦う教会や戦う個人の所におられます。 イエス様の血潮が正義の原動力です。