神様は、旧約聖書の登場人物・アブラハムとサラの日々の告白を変えました。

百歳と九十歳の老夫婦でありながら、奇蹟的高齢出産を可能にさせるため、また、アブラハムを信仰の父として高めるために本名アブラム(=「高貴な父」の意味)からアブラハム(=「多くの国々の父」の意味)と改名されたのです。

 

妻サライ(=「高貴な母」の意味)においても同様にサラ(=「多くの国々の母」の意味)と改名させました

 

この二人が、互いに新しい名前を呼び交わすことによって、告白された言葉の通りの力がやがて生きて働きました。結果、彼らは約束の息子・イサク出産を現実のものとしました。

 

アブラハムの孫にあたるヤコブ(=「押し退ける者」の意味)は、名前通りの性格の人でした。しかし、イスラエル(=「神の王子」の意味)と改名するや否や、その場で祝福を受けることができました。

 

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イエス様は、弟子となったシモン(=「葦」の意味)に対してペテロ(=「岩」の意味)と新しく名づけられました。川辺の葦のように微風で左右に揺らぐ優柔不断な者ではなく、岩のように確固とした信仰で教会の柱になってほしかったからです。

 

イエス様は、三年半もの間「岩(ペテロ)・岩(ペテロ)・岩(ペテロ)」と、新しい名で呼び続けました。やがてイエス様が天に昇ってから十日目のペンテコステの日以降、ペテロは別人のように変えられ、イエス様の言葉は現実に成就しました。

 

ここで肝心なのは、誰でも単純に創氏改名さえすれば祝福されるということではなく、日々語る言葉の内容が重要だということです。

 

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同じくイエス様の弟子の一人だったヨハネは、好戦的で短気でした。ヨハネは病気の発作のように定期的に怒りが生じました。

 

一例を挙げると、

 

「さて、天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられ、ご自分の前に使いを出された。彼らは行って、サマリヤ人の町にはいり、イエスのために準備した。しかし、イエスは御顔をエルサレムに向けて進んでおられたので、サマリヤ人はイエスを受け入れなかった。弟子のヤコブとヨハネが、これを見て言った。「主よ。私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」

(ルカ九章五十一節)

※下線筆者。以下も聖書の引用箇所中の下線ほ全て筆者による。

 

なんと閉鎖的で短気でしょうか。ヨハネは雷のように怒りやすい性格を直そうと日々の告白の言葉を変える努力をしました。ヨハネが書いたとされるヨハネの福音書で、彼は自分自身をこのように呼んでいます。

 

イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、」(ヨハネ十九章二十六節)

イエスが愛された、もうひとりの弟子」(ヨハネ二十章二節)

イエスの愛されたあの弟子」(ヨハネ二十一章七節)

イエスが愛された弟子」(ヨハネ二十一章二十節)

 

これらの発言はヨハネ自身が自分のことをそう呼んだのです。ヨハネ福音書の著者ヨハネ自身が「イエスに愛されている」ことを自覚して福音書記録時にも自分からこのことを何度も告白し続け、やがてヨハネ第一、第二、第三の手紙という愛の書まで書く程の「愛の使徒」に変えられたのです。告白した通り、短気が消えて愛に満たされたヨハネになったのです!

 

言葉の力は強いです。

 

あなたも「私はイエスに愛された弟子です。」と、生きた信仰告白を毎日繰り返しましょう。

 

信仰をあえて方程式にするならば、分母は「レイマの御言葉の土台(=聖書を読んで心に飛び込んできた御言葉)」分の分子は「大胆な信仰の行動」。その答えは=「奇蹟」です。直接語られた主の御言葉の土台なく突発的に行動することは危険です。聖書をよく読んで御言葉を受けた上での土台ある行動が安全です。

【泉パウロ】

 
 

私たちは、東京都東大和市立野にある純福音立川教会で一緒にイエス・キリストを礼拝しています。

礼拝の動画もこちらで、ごらんいただけます♪

 

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