【イエス様が語った知識のことば 〜その1】
前回の記事「知恵のことば」に続いて、今回は「知識のことば」について。
旧約聖書にソロモンという王様が登場します。
ソロモン王は、野に咲く一輪のゆりの花ほどにも着飾ってはいませんでした(マタイ6章29節)が、内面的には前回こ紹介した「知恵のことば」をもって着飾っていました。そのため、経済的な栄華をも窮めることができました。
「知恵のことば」と「知識のことば」は、漢字一文宇の違いだけですが、似て非なるものです。
NLT訳聖書では「知識のことば(=SPIRITUAL KNOWLEDGE)」を「霊的知識」と訳します。
一般教養や学習された知識とは異なる、通常知りえないはずの事実を霊的に聖霊様が直接示されて知る、これが「知識のことば」です。
イエス様は神殿税問題が浮上した時、「知識のことば」で弟子たちに命じられました。
「湖に行って釣りをして、最初に釣れた魚を取りなさい。そのロをあけるとスタテルー枚が見つかるから、それを取って、わたしとあなたとの分として納めなさい。」(マタイ十七章二十一節)
イエス様がここで、網の使える漁師たちに深みでの“投網”ではなく、一本釣りで魚を捕るよう言われたのは訳があります。
遠投げ用リールなど未だ発明されていないこの時代、湖で一本釣りをすることは釣るポイントがすぐ浅瀬限定になります。それは湖畔に近い浅瀬に今、生息しているスタテル硬貨一枚を飲んだ魚をターゲットに捕らえさせるためでした。
この魚は正式にはマトウダイといわれるコイ科の深海魚で、その大きな口は長く伸びるのが特徴です。小魚を口で掃除機のように吸い込んで丸呑み捕食でき、冬の寒い時期には浅瀬に来ます。そのため多分、湖畔の堤防沿いを散歩していた誰かが誤ってポケットから湖中に「ぽろっ」と落としたスタテル硬貨一枚を、冬に浅瀬で「すっ」と魚が吸い込んだと思われます。まさに驚異です。
イエス様は湖中の一匹の魚の口中の事情まで知られるとは!
ちなみにこの魚はスタテルコインー枚丸呑み可能な口のサイズから全体像を考えると、型と味のいい成魚の食用可能サイズのはず!冬季の旬で脂ものって美味しかったことでしょう。弟子もコイン摘出で納税後、焼いて食べたと思います。
【イエス様が語った知識の言葉 その2】
また、別のケースでもイエス様は「知識のことば」で言われました。
「向こうの村へ行きなさい。そうするとすぐに、ろばがつながれていて、いっしょにろばの子がいるのに気がつくでしょう。それをほどいて、わたしのところに連れて来なさい。」 (マタイ二十一章二節)
なんと、遠距離から隣村に備えられたまだ見ぬ一匹のろばの子の存在とその主人を知っておられました!
過越祭でもイエス様は「知識のことば」で言われました。
「都にはいりなさい。そうすれば、水がめを運んでいる男に会うから、その人について行きなさい。そして、その人がはいって行く家の主人に、『弟子たちといっしょに過越の食事をする、わたしの客間はどこか、と先生が言っておられる。』と言いなさい。するとその主人が自分で、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれます。」(マルコ十四章十二節)
イエス様は女性の仕事である水がめを運ぶ珍しい男性と主人と二階の部屋事情までも遠地から知られました。
魚・動物・人・命なき室内環境、どんな境遇も隠された事情もイエス様は知られます。これらのうち必要な知識が部分的、断片的に私たちの心の思いか夢や幻で示されたとき、それが「知識のことば」となります。
これは聖霊様から啓示されたクイズやパズルのような限定的情報や知識をヒントに問題解決の有益なアドバイスを自ら受けたり、他人へ与えたりできる賜物です。
ほかに、「知識のことば」を賜物に持つ人物として、旧約聖書中の預言者エリシャがあげられます。エリシャは、アラムの王の寝室で語る言葉までも知っているとうわさされましたが、当の本人は弟子の前で主が示されるときのみ、必要な知識を得ることを謙遜かつ正直に告白しました。参考(第二列四章二十七節 六章十二節)
賜物の主権も栄光も主にあり、聖霊様が必要とされるときのみ啓示されます。
使徒ペテロは聖霊様に示されてアナニヤ夫婦の隠された罪悪の偽善行為を見抜きました。私たちも誰かの偽善や罪過が超自然的に啓示されたとき、言いふらさず執り成し祈ることが要求されています。〈つづく〉
【泉パウロ】