
創11:1 さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。11:2 そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。11:3 彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。11:4 そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」11:5 そのとき【主】は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。11:6 【主】は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。11:7 さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」11:8 こうして【主】は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。11:9 それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。【主】が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、【主】が人々をそこから地の全面に散らしたからである。
バベルの塔以降、人々の言葉は分裂し、一致が困難な時代になりました。しかし、イエス様は一致を求めておられます。事業でも教会でもどんな集いでも一致団結することは大きな力です。神様ご自身がこう言われた通りです。
「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。」
「聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。」
ヨハ17:21 「それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。17:22 またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。17:23 わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。」
現代では、教会のクリスチャンたちでさえ、様々な異なる教えで言葉が違う混乱があります。例えば、
7年前に携挙? 中間? 7年後? 答えは7年大患難前にイエス様は迎えに来てくださいます。
天皇家はユダ族?エフライム? 答えはユダ族の末裔です。
異言や預言、聖霊の賜物についての解釈の違い。
教会ごとの強調点の違いがあります。
ひどいものではセカンドチャンスという名の救いの教理に関わる危険な異端さえ教会内にあります。
しかし、全国統一できる唯一の同じ教えもあります。それが異言の祈りを捧げる結果であり、十字架のことばです。
異言の祈りと十字架のことばで知性と理性と聖霊で一致できます。
パウロは異言を否定せず積極的に話して感謝しています。
Ⅰコリ14:18 「私は、あなたがたのだれよりも多くの異言を話すことを神に感謝していますが、14:19 教会では、異言で一万語話すよりは、ほかの人を教えるために、私の知性を用いて五つのことばを話したいのです。」
ですから個人的には感謝の心でたくさん異言で祈り、教会の会衆に対しては五つのことばを話すべきです。
五つのことばとは、
第一のことばは「新生の福音」です。罪赦され生まれ変わった神様の子供になれます。
Ⅰヨハ4:9 「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」
Ⅰヨハ2:12 「子どもたちよ。私があなたがたに書き送るのは、主の御名によって、あなたがたの罪が赦されたからです。」
第二のことばは「聖霊様の福音」。助け主なる聖霊様に支えられた誘惑と悪魔に打ち勝つ清い生き方が出来ます。
Ⅰヨハ4:4 「子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。」
テトス3:5 「神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。3:6 神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。」
第三のことばは「癒しの福音」です。イエス様の打たれた打ち傷で霊・魂・肉の病が癒されます。
Ⅰペテ2:24 「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」
第四のことばは「祝福の福音」です。呪いから解放された物質的にも豊かな人生が与えられます。
ガラ3:13 「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。」
Ⅱコリ8:9 「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」
第五のことばは「再臨の福音」です。やがて来られるイエス様の空中再臨の時、一挙に空中に引き上げられながら天国の新しい復活の体をいただき、永遠の天国にも入れます。
Ⅰコリ1:18 「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
Ⅱテモ4:18 主は私を、すべての悪のわざから助け出し、天の御国に救い入れてくださいます。主に、御栄えがとこしえにありますように。アーメン。」
これらの言葉で一致団結して悪魔と罪と肉欲に打ち勝てます。

苦難の後には必ず祝福が待っている!
ロシア文学の代表であるドストエフスキーの人生は、苦しみの連続でした。
信仰心の篤い母親は父親の虐待によって肺結核で死にました。
また父親は農民たちを暴力的に支配したため、逆に農民たちから殴り殺され、彼は18歳のとき、それを目撃し、生涯にわたるてんかんをわずらい続けるのです。
学校ではいじめられ、勉強もできず、孤独でした。
青年時代には文学と社会主義思想に傾倒し、キリスト教を権力にへつらう宗教と考え、憎んだ結果、社会主義者になりました。
革命組織に加わり、逮捕され、銃殺刑を宣告され、死刑台に上りました。
「ああ、この28年の人生はあっけなく幕を下ろすのか!しかしあまりにも悔しい」
と涙を流しているとき、1人の兵士が走ってきて、白いハンカチを振るのです。
「死刑を中止しなさい。中止しなさい。皇帝の命令です」。
皇帝の特赦を受けた彼は、シベリヤに流刑されました。
流刑地に行く途中、一人の婦人が彼に小さな聖書を渡してくれました。あらゆる凶悪犯罪者に揉まれ、酷寒と戦いながら、強制労働をしていました。そしてその間、聖書を取り出しては読んだのです。
彼は苦しみと悲しみの中で読んだ聖書を通して、御声を聞くのです。
その時、イエス様を心に迎え入れます。
こうして酷寒の地であるシベリヤで、熱心なクリスチャンとして成長して行きます。
彼はこう告白しています。
「だれかがキリスト教は真理では無いと言っても、私はイエス様と一緒にいたい!私は真理よりも、私のために十字架で血を流して死んでくださったイエス様とともにいたい」。
彼は4年間の収容所生活を終えて故郷に帰ってきた後に、その間の苦しみを通して得た体験と悟りを通して、人間の深層心理を深く捕らえた珠玉の小説を書きました。
それが、「罪と罰」、「カラマーゾフの兄弟」、「白痴」、「悪霊」、「死の家の記録」・・・・。
これらは不朽の名作です。
彼が体験した苦難がすべての作品の中に絶妙に染み込んでいるのです。
心の中に憎しみを抱き、神様と教会を忌み嫌った青年・・・・・
苦しみと寂しさの中で少年時代を過ごし、人々から相手にされないてんかん持ちの青年・・・・・
徹底的な無神論者で社会主義に心奪われ、挫折し、死刑宣告を受け、死ななければならなかった青年そんな彼が、神様の恵みで救い出され、イエス様に出会って、夢と希望を得て、奇跡を体験したのです。もし彼がイエス様を知らなかったら、酷寒の地、シベリヤで虚しく死んでいったことでしょう。
しかし、彼の流した多くの涙、悲しみは決して無駄にはなりませんでした。
かえって、それが心の畑を耕し、苗を育てる水分となり、ロシア文学の代表と言われるほどにまで変えられたのです。悲しみはそのままでは終わりません!
涙の祈りは、神様を動かすのです!喜び叫ぶ大きな慰めが待っているのです!
「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。
種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る」(詩篇126:5-6)
「今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。」(第二コリント4:17)