愛が熱意を産み、忍耐力を養います。時を忘れるほど没頭できる何かを見つけることは大事です。お勧めはイエス様を愛することです。つらく厳しい仕事や残業、この世の険しい旅路もイエス様との挙式、天国を思えば試練の年月も数日感覚になります。

 

創29:20 ヤコブはラケルのために七年間仕えた。ヤコブは彼女を愛していたので、それもほんの数日のように思われた。

 

ヤコブのように愛する対象があれば、厳しい環境の時間に短縮効果があります。

 

内村鑑三は言いました。「人生の成功とは実は他の事ではない、自分の天職を知って、之を実行する事である」

 

福沢諭吉は下級武士の家系でしたが、体育系のヤットコ稽古はダメでした。しかし学問の事なら何時間でも何日でも食事さえ忘れて書斎にこもりました。後の学問の父となり一万円札の肖像にもなりましたが、成功の秘訣は自分の好きなこと、学問に専念したことです。

 

宇宙の話し これを通じて、神の愛と英知と配慮を悟って、より強い信仰になることを願います。

 

ビッグバン理論によれば、最初の宇宙は点のように小さく熱くて濃い状態でした。その後、最初の1秒間に、光や素粒子が誕生。数分後には、水素やヘリウムといった最初の元素ができ、やがて重力でガスが集まり、暗黒星雲で最初の星や銀河が生まれたと言います

ビッグバン理論は、アインシュタインの一般相対性理論に基づいて構築されたものですが、彼は、「私は神がどのような原理に基づいてこの世界を創造したのか知りたい。そのほかのことは小さなことだ」と言います。

ビッグバン以前の宇宙は、無からの誕生であり、この理論は、どのようにしてビッグバンが起こったかという最大の問題は棚上げ状態で、ビッグバンが起こった、 そこから理論が始まります。

ハビタブルゾーン(地球の走路)にそって地球は、太陽の周りを、1年(365日)かけて1周しますが、それは公転運動と言います。しかし、だれがこの走路を決めたのでしょうか?太陽と地球の微妙な距離関係、それは神様の英知です。

地球は岩石惑星だから人が住めますが、太陽よりもっと遠いガス惑星や氷惑星では人が住めません!

 

太陽との丁度良い間隔を保って、地球は好転しています。しかも平均気温はちょうどいい15度!

太陽から地球が近過ぎても遠すぎても人は住めません。

水星はもっと太陽に近いから平均地表温度が167℃!熱すぎます。

金星は地球と同じくらいの大きさでも空気がないので平均地表温度が464℃!熱すぎます。

地球よりもっと太陽から遠い火星なら、マイナス65℃。寒すぎです。

離れればどんどん氷惑星で海王星はマイナス200℃です。

 

しかし、地球はちょうどいい温度です。

こんな偶然はありえません。

偉大な神様の英知による、人住めるように作られた地球です。

太陽の温かさ、光、最適です。

他の惑星のように空気がなければ生きられません。

空気があっても食糧がないと生きられません。

植物があるのは地球だけです。

 

伝7:29 私が見いだした次の事だけに目を留めよ。神は人を正しい者に造られたが、人は多くの理屈を捜し求めたのだ。


ロマ1:18 というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。1:19 それゆえ、神について知られることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです。1:20 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。1:21 それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。

 

初めてのキリスト教  紙芝居付き 人の一生と救い主イエス 奇蹟の岩石惑星:地球 純福音立川教会 泉パウロ 2026.2.1

 

 

 

 

 

 

初めてのキリスト教  紙芝居付き 人の一生と救い主イエス 奇蹟の岩石惑星:地球 純福音立川教会 泉パウロ 2026.2.1

 

祈りと愛の忍耐で信じ続けて癒す

 

20世紀初め、ボストン郊外に重度の精神障害を対象とした施設があり、患者にリトル・アーニーという女の子がいました。彼女は誰に対しても全く反応せず、職員は彼女を助けようとしましたが、成功しません。ついに彼女は施設の地下独房に監禁され、見放されました。しかし、ここで働いていた一人のクリスチャン女性は思いました。「愛を注ぎ続けるなら、この子はきっと変わる」

彼女は毎日、昼の時間をアーニーの部屋の前で過ごすことに決め、アーニーのために聖書を読み、

彼女が口を開くように祈り続けました。何ヶ月もアーニーは無反応で愛してることを知ってもらおうと、お菓子を持っていきましたが、一度も受け取ってもらえません。やがて癒しを信じて祈り2年間。

アーニーは施設を出て、普通の生活をすることができると診断されました。しかし、彼女はそこを出ないと言います。なぜなら、自分のために愛を捧げ続け、時間を捧げ、労してくれたクリスチャン女性に心から感謝し、自分も彼女のように弱く傷ついた人のために人生を捧げたかったからです。
 

名も無いクリスチャン女性の愛で癒されて救われたリトル・アーニーの別名はアン・サリバンです。

約50年後、ヘレンケラーの栄誉をたたえる式典で新聞記者から「目も見えず、耳も聞こえないハンディキャップを乗り越えた秘訣は何でしたか」と聞かれたヘレンケラーは答えました。「アン・サリバン先生のおかげです」と。ヘレンケラーという目が見えず、耳も聞こえず、暴れまわったり、叫び続けたりする少女をあきらめずに愛し続け、その可能性を信じたアン・サリバン先生も過去に名も無いクリスチャン女性によって癒され救われ、やがて教師となってヘレンケラーという奇跡のクリスチャンを生み出し、世界の人々が光を見出す大きな励ましを得ました。愛は連動して愛を呼ぶのです。

 

ナポレオンの時代にシャロネットという男が無実の罪で牢獄に何か月も入れられてしまい自暴自棄になり、死を覚悟しました。その独房には毎日、わずかな日の光が差し込むスポットがありました。ある朝、シャロネットは、驚いたことに固い土の中から小さな草が芽を出しているのに気が付きました。彼にはそれが、神が与えてくださった希望の光のように思えたので、感謝と喜びをもって、毎日その草に水をやりました。やがてその草は大きくなり、ついに美しい紫と白の花を咲かせました。この一連の出来事を見守っていた看守たちは、この話を家に持ち帰って妻たちに話しました。やがてこの話は、ナポレオンの妻ジョセフィーヌの耳にも届きました。彼女はこの話に心を動かされ、これほど花を愛する者が犯罪者であるはずがないと確信し、ナポレオンに裁判のやり直しを願い出ました。その結果、彼の疑いは晴れて釈放され、自由の身となったのです!小さなことから感謝を始めましょう!

 

コロ2:7 「キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。」

 

 

初めてのキリスト教  紙芝居付き 人の一生と救い主イエス 奇蹟の岩石惑星:地球 純福音立川教会 泉パウロ 2026.2.1

 

母親に捨てられた子の未来(ビル・ウィルソン)


「ここで待っていなさい」ニューヨークの下街の配水管の上に座らされた13歳のビルは、母親からこう言われてずっと待っていました。そのまま飲まず食わずで三日経ちました。
でも母親は戻って来ませんでした。捨てられたのです。不安と孤独と空腹の中で絶望していた少年を見かねたある男性が、彼を教会に連れて行ってくれました。そこで生まれて初めて神の愛に触れた彼は、素直に自分の罪を告白して、イエス・キリストを救い主として信じ受け入れました。
破綻した家庭で育ったビルは、それまで一度も父母から愛されたことはなく、聖書を読んだこともなかったのです。しかし、その後の彼の人生は一変しました。
牧師夫妻に愛されて教会で暮らすようになった彼は、大きくなって牧師になりました。

このビル・ウィルソン牧師は、今やニューヨークのスラム街で数万人の子どもたちを助けながら、たくさんの車を改造した移動教会学校で、子どもたちに聖書と神の愛を教えています。困っている子ども、苦しんでいる子どもを見かけると、ビル先生は黙って立ち去ることができないのです。
自分の体験をバネに彼らの寂しさや苦しみが本能的に分かるからです。
諦めずに手を差し伸べてくれる人が一人でもいれば、命が助かる子どもたちが大勢います。
その子たちが大きくなったら、困っているほかの人たちを助けるようになるのです。
左の頬を拳銃で撃ち抜かれても、ギャングに殺されそうになっても、
三度の飛行機事故で命を失いそうになっても、律法的な教会や愛のないクリスチャンたちに批判されても、ビル先生は、キリストの十字架の愛に燃えて、決して諦めることなく、今日も貧しい子どもたちを助けるために、世界中を駆け回っています。

 

 

 

ピストル自殺を思いとどまらせた力


精神的に行き詰った母親がいました。彼女は絶望的な気持ちに陥っていました。
そして、こめかみに拳銃を当て、まさに自殺しようとしていたのです!
その時、電話がなりました。息子さんからです。
「お母さん~!学校でギデオンの聖書をもらったよ~!」
息子が息を弾ませて、あまりにも喜んでいる声を聞いた母親は我に返りました。
自殺を思いとどまりました。そして、息子がもらって来た聖書を読み、イエス様を信じ、クリスチャンとなり、現在、彼女は喜びに満ちた生活です!

「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい」(第二テモテ4:2)

「弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。」(第一コリント9:22)

1人が一歩踏み出すなら・・・

 

Ⅰコリ15:3 私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、15:4 また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、 15:5 また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。 15:6 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。15:7 その後、キリストはヤコブに現れ、それから使徒たち全部に現れました。 15:8 そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました。


初めてのキリスト教  紙芝居付き 人の一生と救い主イエス 奇蹟の岩石惑星:地球 純福音立川教会 泉パウロ 2026.2.1

 

 

 

女優業で成功したマリリン・モンロー、ことノーマ・ジーンは36年間の短い生涯で離婚3回、自殺未遂3回、中絶手術13回と波乱万丈でしたが、その元凶は両親不在で放置された呪いと幼少時代受けた深い心の傷です。

 

マリリンは疲れ果て、憂鬱症と自殺願望 自暴自棄になりました。マリリンは当時母親が一緒にフィルム工場に勤めていた男との間、入籍せず生まれた私生児です。マリリンの母も祖母も美女でしたが、彼女たちの周辺は放置された家系的呪いが血筋にありました。曽祖父は首吊り自殺。

祖父は梅毒の精神障害により全身麻痺で死亡。

祖母は精神病院で死亡。

母親も精神分裂病、そう鬱病で生涯すべてを精神病院生活。

故にマリリンは里子にだされ、たらい回しにされ、9歳で性的暴行を受け、15歳で妊娠、出産。

16歳で一度目の結婚。

その後、境界性パーソナリティ障害を発症し、2回自殺未遂。

20歳で夫と離婚。

パーティで莫大な資産家ジョニー・ハイドと出会ったおかげで次々と映画出演。

しかし資産家は死に24歳でマリリンは三度目の自殺未遂。

27歳のマリリンはアメリカ野球界の人気者と二度目の結婚。

9ヶ月で離婚。

29歳のマリリンは13回目の中絶手術。

30歳。劇作家と結婚。

マリリンは精神的に不安定で睡眠薬や興奮剤を多用し、それをアルコールと一緒に飲んで何度も死にかけました。

35歳で三度目の離婚。精神病院に入院。ジョン・F・ケネディとその弟ロバート・ケネディと関係を持ちました。
36歳で自宅ベッドで死去。死因は睡眠薬の大量服用による急性バルビツール中毒。

マリリンには自殺説、事故死説、ケネディ愛人隠ぺい目的の暗殺説などがあり死因は迷宮入りですが、分かっていることは、諸悪の根源が断ち切られなかった親子三代の放置された呪いと、三度の離婚と自殺未遂、元凶は幼少時代に私生児としてたらい回しにされた不幸な生い立ちの結果です。

 

当時の養女受け入れに毎度、補助金を与えるという誤まった政策も災いして、いつも一つの家庭には長くいられない、排除され続けた少女の心に傷は深く、学習したことは「自分は一つの家庭には長くいられない、やがて捨てられる時期が来る」その深層心理こそ不安定な環境から抜け出したい一心で16歳という早熟結婚を招き、その後も繰り返し富豪たちとの華やかな結婚生活を自ら破綻させることになりました。

夫婦間の些細なトラブルさえ「そろそろ捨てられる時期だ」と、過去の負のリンクで「どうせ捨てられ、傷付くなら、傷深く受ける前に離婚で自分を守らねば」という自己防衛本能が過剰に働いたのでしょう。

 

イエス様を信じて呪いを断ち切り、過去の心に刻まれた誤った自画像を取り換え、心の傷を早期に癒さないと後から症状が出てきます。誰でも皆、心の傷の癒しを祈りましょう。

 

 

 

 

「異言を話すことを禁じてはいけません。」

 

異言の祈りは聖霊様の力強い注ぎを解き放つからです。長時間祈られる著名な牧師たちの多くの祈りは異言です。知性ではどうしても一時間位しか祈れませんが、異言を用いればさらに長く深く祈れます。そこに解き明かしも加えて求めれば、もっと聖霊様に満たされた時を過せます。

「私は、あなたがたのだれよりも多くの異言を話すことを神に感謝していますが、教会では、異言で一万語話すよりは、ほかの人を教えるために、私の知性を用いて五つのことばを話したいのです。」(第一コリント 十四章十八~十九節)

 

使徒パウロは史上最大の伝道者ですが、その秘訣は異言祈祷であり、彼は誰よりも多くの異言を話すことを神様に感謝していました。

しかし、教会ではさらに役立つ知性を用いた「五つのことば」があると言います。

 

ダビデは五つのなめらかな石の一つで巨人ゴリヤテを倒しましたが、それは、イエス様を信じると与えられる「五つのことば」の武器です。これらのうち一つでも当たれば素晴しいです。「五つのことば」を語ってみましょう。

 

イエス様を信じれば・・

第一のことばは「新生の福音」です。罪赦され生まれ変わった神様の子供になれます。

第二のことばは「聖霊様の福音」です。助け主なる聖霊様に支えられた誘惑と悪魔に打ち勝つ清い生き方が出来ます。

第三のことばは「癒しの福音」です。イエス様の打たれた打ち傷で霊・魂・肉の病が癒されます。

第四のことばは「祝福の福音」です。呪いから解放された物質的にも豊かな人生が与えられます。

第五のことばは「再臨の福音」です。やがて来られるイエス様の空中再臨の時、一挙に空中に引き上げられながら天国の新しい復活の体をいただき、永遠の天国にも入れます。

アーメン。使徒パウロは教会では指導する場所、という意識の中で福音のすべてを語り、隠れたところでは多くの異言の祈りに長い時を費やしたようです。

 

ストレスの多い現代社会はいよいよグローバル化の流れの中で海外を意識しながら複雑になっています。特に先進国は日々躍進する国際市場に即した法整備が急務とされ、各種の既存規則自体が時に現状と将来の経済発展を妨げていることも多くあります。

聖書はこのような時代を預言するかのように、疲れた現代人を癒す御言葉をかねてから与えています。

「まことに主は、もつれた舌で、外国のことばで、この民に語られる。主は、彼らに「ここにいこいがある。疲れた者をいこわせよ。ここに休みがある。」と仰せられたのに、彼らは聞こうとはしなかった。主は彼らに告げられる。「戒めに戒め、戒めに戒め、規則に規則、規則に規則、ここに少し、あそこに少し。」

(イザヤ二十八章十一~十三章)

 

 「神秘的現象の科学的分析」というテーマでABCTVのニュース特集で報道されていましたが、ペンシルベニア大学病院放射線科A.ニューバーグ博士は中立の立場から「宗教と科学の状態」をテーマに研究し、異言についてレポート発表しました。

同州のゲテスバーグ、フリーダムバリー教会ストルツフー牧師が協力して実験のため異言を語るときの脳のスキャンを撮影しました。その画像分析では脳の動きが変化に伴い、赤、オレンジ、黄色、青等、色の移り変わりで部分ごとの動きが識別できますが、同氏が通常の英語で知的に祈っているときは言語をつかさどる前頭葉は赤色、すなわち活発に動いていますが、異言で霊的に祈っているときは色の変化なく落ち着いていました。このことから博士はこう説明します。

 

「(異言の)祈りに没頭しているときには前頭葉の活動は沈静化するものです。(異言の祈りが)自発的な動きではないということですが、これは異言は自分でやっているのではなく、神から動かされて語っていると言う(信者の)証言とも一致しますね。」

 

博士は牧師だけでなく別の信者たちのデーターも取りましたが、そこでも同様の結果がもっと顕著に現れました。異言の祈りは前頭葉を活発に使うことなくむしろ沈静化する。人ではなく聖霊様に舌が動かされて語る。これらのことが科学的に立証されつつあるということです。博士は以前、仏教の僧侶たちやキリスト教の修道女たちが祈っている時の脳も調べたことがありますが、異言を語っている人たちの脳だけは彼らとまったく違って沈静化していることも分かりました。博士はこう言います。

「仏教の僧侶やキリスト教の修道女たちのデーターとは正反対ですね。こちらの場合、前頭葉がむしろ活性化していましたから。」

 

「異言」の祈りとは、疲れた魂に確かな「いこい」と「休み」を与えます。異言で長時間祈りこんだ後に本来の経済活動に身を投じると平安な落ちついた心が思考の土台になるため、多くの優れた創造的アイディアと諸間題解決の英知が与えられ、もっと効率よく多くの高成果を上げることが出来ます。心に「いこい」と「休み」がないままでただ闇雲にあくせくしても事はうまくいきません。

 

栄華を極めたソロモン王は言いました。

「競走は足の早い人のものではなく、戦いは勇士のものではなく、またパンは知恵ある人のものではなく、また富は悟りのある人のものではなく、愛顧は知識のある人のものではないことがわかった。」(伝道者の書 九章十一節)

 

すべての人が人生の只中で成功できる時と機会に出会います。そのときにうまくチャンスをつかめる冷静な判断力は落ちついた心から生じます。心に「いこい」と「休み」を持つ人こそ本当のビジネスチャンスを正確に見きわめてつかむことができます。

昔の人が「あわてるものはわらをつかみ、冷静なものはあわをつかむ。」と言われている通りです。

 

経済活動のみならず、すべて優れた芸術作品、小説、絵画等は冷静沈着な心から始まります。多くの若者たちが優れた才能を持っているのに心が落ち着かず、放蕩に傾く為、学業にいそしめず、重要な時期に将来の道を自ら閉ざしていることは悲しいことです。

 

仕事も学業も競争も戦いもすべては、冷静で平安な「いこい」と「休み」を心に満たすことから始めなければなりません。そのためにこそ疲れ荒みがちな現代人の心をやさしく包んで癒す異言の祈りが重要なのです。異言でよく祈る人はいつも冷静で大きなミスを回避できます。異言でよく祈る人は聖霊様の導きをよく知るため、無駄な行動をなくせます。

 

 

 

 

 

 

創11:1 さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。11:2 そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。11:3 彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。11:4 そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」11:5 そのとき【主】は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。11:6 【主】は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。11:7 さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」11:8 こうして【主】は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。11:9 それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。【主】が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、【主】が人々をそこから地の全面に散らしたからである。

 

バベルの塔以降、人々の言葉は分裂し、一致が困難な時代になりました。しかし、イエス様は一致を求めておられます。事業でも教会でもどんな集いでも一致団結することは大きな力です。神様ご自身がこう言われた通りです。

「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。」

「聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。」

ヨハ17:21 「それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。17:22 またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。17:23 わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。」

 

現代では、教会のクリスチャンたちでさえ、様々な異なる教えで言葉が違う混乱があります。例えば、

7年前に携挙? 中間? 7年後? 答えは7年大患難前にイエス様は迎えに来てくださいます。

天皇家はユダ族?エフライム? 答えはユダ族の末裔です。

異言や預言、聖霊の賜物についての解釈の違い。

教会ごとの強調点の違いがあります。

ひどいものではセカンドチャンスという名の救いの教理に関わる危険な異端さえ教会内にあります。

 

しかし、全国統一できる唯一の同じ教えもあります。それが異言の祈りを捧げる結果であり、十字架のことばです。

異言の祈りと十字架のことばで知性と理性と聖霊で一致できます。

 

パウロは異言を否定せず積極的に話して感謝しています。

Ⅰコリ14:18 「私は、あなたがたのだれよりも多くの異言を話すことを神に感謝していますが、14:19 教会では、異言で一万語話すよりは、ほかの人を教えるために、私の知性を用いて五つのことばを話したいのです。」

 

ですから個人的には感謝の心でたくさん異言で祈り、教会の会衆に対しては五つのことばを話すべきです。

五つのことばとは、

第一のことばは「新生の福音」です。罪赦され生まれ変わった神様の子供になれます。

Ⅰヨハ4:9 「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」

 

Ⅰヨハ2:12 「子どもたちよ。私があなたがたに書き送るのは、主の御名によって、あなたがたの罪が赦されたからです。」

 

第二のことばは「聖霊様の福音」。助け主なる聖霊様に支えられた誘惑と悪魔に打ち勝つ清い生き方が出来ます。

Ⅰヨハ4:4 「子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。」

 

テトス3:5 「神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。3:6 神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。」

 

第三のことばは「癒しの福音」です。イエス様の打たれた打ち傷で霊・魂・肉の病が癒されます。

Ⅰペテ2:24 「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」

 

第四のことばは「祝福の福音」です。呪いから解放された物質的にも豊かな人生が与えられます。

ガラ3:13 「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。」

 

Ⅱコリ8:9 「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」

 

第五のことばは「再臨の福音」です。やがて来られるイエス様の空中再臨の時、一挙に空中に引き上げられながら天国の新しい復活の体をいただき、永遠の天国にも入れます。

Ⅰコリ1:18 「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。

Ⅱテモ4:18 主は私を、すべての悪のわざから助け出し、天の御国に救い入れてくださいます。主に、御栄えがとこしえにありますように。アーメン。」

 

これらの言葉で一致団結して悪魔と罪と肉欲に打ち勝てます。   

苦難の後には必ず祝福が待っている!
ロシア文学の代表であるドストエフスキーの人生は、苦しみの連続でした。
信仰心の篤い母親は父親の虐待によって肺結核で死にました。
また父親は農民たちを暴力的に支配したため、逆に農民たちから殴り殺され、彼は18歳のとき、それを目撃し、生涯にわたるてんかんをわずらい続けるのです。
学校ではいじめられ、勉強もできず、孤独でした。
青年時代には文学と社会主義思想に傾倒し、キリスト教を権力にへつらう宗教と考え、憎んだ結果、社会主義者になりました。
革命組織に加わり、逮捕され、銃殺刑を宣告され、死刑台に上りました。
「ああ、この28年の人生はあっけなく幕を下ろすのか!しかしあまりにも悔しい」
 と涙を流しているとき、1人の兵士が走ってきて、白いハンカチを振るのです。
「死刑を中止しなさい。中止しなさい。皇帝の命令です」。
皇帝の特赦を受けた彼は、シベリヤに流刑されました。
流刑地に行く途中、一人の婦人が彼に小さな聖書を渡してくれました。あらゆる凶悪犯罪者に揉まれ、酷寒と戦いながら、強制労働をしていました。そしてその間、聖書を取り出しては読んだのです。
彼は苦しみと悲しみの中で読んだ聖書を通して、御声を聞くのです。
その時、イエス様を心に迎え入れます。
こうして酷寒の地であるシベリヤで、熱心なクリスチャンとして成長して行きます。
彼はこう告白しています。
「だれかがキリスト教は真理では無いと言っても、私はイエス様と一緒にいたい!私は真理よりも、私のために十字架で血を流して死んでくださったイエス様とともにいたい」。


彼は4年間の収容所生活を終えて故郷に帰ってきた後に、その間の苦しみを通して得た体験と悟りを通して、人間の深層心理を深く捕らえた珠玉の小説を書きました。
それが、「罪と罰」、「カラマーゾフの兄弟」、「白痴」、「悪霊」、「死の家の記録」・・・・。
これらは不朽の名作です。
彼が体験した苦難がすべての作品の中に絶妙に染み込んでいるのです。
心の中に憎しみを抱き、神様と教会を忌み嫌った青年・・・・・
苦しみと寂しさの中で少年時代を過ごし、人々から相手にされないてんかん持ちの青年・・・・・
徹底的な無神論者で社会主義に心奪われ、挫折し、死刑宣告を受け、死ななければならなかった青年そんな彼が、神様の恵みで救い出され、イエス様に出会って、夢と希望を得て、奇跡を体験したのです。もし彼がイエス様を知らなかったら、酷寒の地、シベリヤで虚しく死んでいったことでしょう。
しかし、彼の流した多くの涙、悲しみは決して無駄にはなりませんでした。
かえって、それが心の畑を耕し、苗を育てる水分となり、ロシア文学の代表と言われるほどにまで変えられたのです。悲しみはそのままでは終わりません!
涙の祈りは、神様を動かすのです!喜び叫ぶ大きな慰めが待っているのです!
「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。

 種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る」(詩篇126:5-6)

「今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。」(第二コリント4:17) 

 

 

 

 

 

夢を通じた預言

 

以前、ある大学生を伝道した後、異言で祈ると私は不思議な連続する二つの夢を見ました。

最初の夢では、打出の小槌(こづち)が見えました。あれは日本神話で小槌を振るだけで努力なく小判がどんどん出てくる、人を堕落させるその類の悪だと思って見ていると次に夢の場面が変わり、その大学生が一匹の二足歩行する大きな犬と仲良く手をつないで私の方に近づき、いきなり犬は私の手を馴れ馴れしくつかんで力任せに握手しました。

「痛い!この野郎!」と思いながら犬に怒りがこみ上げて目覚めました。

この生意気な犬が悪魔を象徴することはすぐ分かりましたが、打出の小槌と小判とは、なんとも時代錯誤で昔風、神話的な偶像臭い印象残る夢だったので、後日その大学生に話しかけてみました。

「兄弟、最近私は神様から特別な啓示を受けたのですが、正直に話して欲しい。お金のことで何か悪いことをしていませんか?」するとこの大学生は驚きながら罪を告白しましたが、内容が本当に小判がらみで驚きました。

詳細なノウハウは言えませんが、見本のような沢山の種類の小判がガラス張りの大きな額縁に一枚一枚並べて貼られているものを通信販売で大量購入して、ここから小判だけをはがして裏技転売することで不当な利益を10数万円も荒稼ぎしていたそうです。

これが法的には違法と知りつつ儲かるので止められなかったそうで、祈りを導いてあげました。

「兄弟、それはご法度ですよ。御前に悔い改めましょう。」

「おお主イエスよ!兄弟が小判を不正に・・・」その祈りはまるで現代版大江戸事件簿千両箱不正両替商人捕物帖でした。

 

 

またある時、異言で祈ると、埼玉県にある教会の牧師と役員が挨拶に来られ、後日その教会に特別集会のため呼ばれました。

その間、その初対面の役員の夢を見ました。

集会日には道中、私の一本先の電車で人身事故があり、遅れて教会に到着してメッセージを短めに終えましたが、集会後、牧師室で私は夢で示された内容を語りました。

私の夢ではその役員が過去に数億円の借金を抱えていたのに、私に出会った直後にすべてが解決される!その後、彼はアメリカに行き、福音ビジネスのチャンスを掴み、その後は教会関係の仕事を始めるという内容でした。

あまりに突拍子もない内容だから正直、話すか否か悩みました。大胆に神様の啓示と思って話して外れたら恥ずかしい講師となって私は自爆です。しかも私が何者だからといって私に出会った直後に数億円の借金すべてがなくなりアメリカでしょうか。

現実、数億円の借金、そんな人は多くはいませんし、外れた場合この紳士的なご年配の役員を侮辱しかねない失礼な内容です。一方、内なる聖霊様は「大胆に語りなさい!」と私をうながされるので、内なる葛藤の後、賜物の力を信じて決断を下し、自爆覚悟で語りました。「あの、お伝えしたい神様の啓示があるのですが、外れたらすいませんね。」とみじめな前置きをしてから謙遜に半分だけ、借金が全額なくなるところまで語りました。

するとその役員いわく「数億円の借金・・・。今まで事業でこぼした総額はそれ位でしょう。あと残りの負債は五千万円で私の最後の家と土地を売却して最後の負債がなくなりますが、実はちょうど明日、一年以上かかった財務処理の決算がようやく降りて完済するところです。明日から借金は全額なくなります。当たってます。」

的中!正直で謙遜な人だと感心しましたが、その後のアメリカの希望も加えて話し、励ましてあげました。後日、消息をお聞きしますと、まさにそのとおりの歩みをされていました。

 

更に宿泊後の翌朝、牧師の息子の夢を見ました。白い宗教的な服を着て私にこう言いました。「出家します」

彼の霊的状態が悪いようです。

そこで翌朝、アドバイスしたら実はその通りと言っていました。聖霊様の賜物は自爆を恐れず、人間的計算を捨てて、勇気で大胆に用いなければなりません。イエス様を信じると確かに不思議なことが沢山あります。

 

「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。」

(ヨエル書二章二十八 二十九節)

 

 

申29:12 あなたが、あなたの神、主の契約と、あなたの神、主が、きょう、あなたと結ばれるのろいの誓いとに、入るためである。29:13 さきに主が、あなたに約束されたように、またあなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われたように、きょう、あなたを立ててご自分の民とし、またご自身があなたの神となられるためである。29:14 しかし、私は、ただあなたがたとだけ、この契約とのろいの誓いとを結ぶのではない。29:15 きょう、ここで、私たちの神、主の前に、私たちとともに立っている者、ならびに、きょう、ここに、私たちとともにいない者に対しても結ぶのである。

モーセの時代、神様と結ばれた契約には、当時まだ生まれていなかった私達も含まれていたのです。「きょう、ここに、私たちとともにいない者」という御言葉がそれです。つまり、私達が知なくてもすでに契約に含まれていて、知らずに契約違反した生き方をすると苦難のペナルティーが現実にあるのです。これは知らないと大損です。世界を秩序正しく収める神様の法則があります。これは法律や条約、校則や社内則、交通法規、自然法則などと同様に霊の世界を秩序正しく保つうえで必要な全世界を支える不可視で大事な法則です。知らなくても違反者には制裁が下ります。


四季の法則に反して極寒に薄着は風邪をひき、自然法則の引力を無視して高い所から落ちれば怪我します。交通違反同様に、標識を知らなかったでは済まないのが定まった規則です。霊の世界にもいのちの御霊の原理と、罪と死の法則のいずれかが働いて影響しています。いのちの御霊の原理はイエス様に近付けば近付くほど祝福され、罪と死の法則はイエス様から遠ざかれば遠ざかるほど厳しくなるのがこの世です。聖書を学んで知らずに神様の祝福を失う反聖書的な行動をしないよう知識が必要です。


幸いなことは、イエス様の十字架で家系に代々働く罪と死の法則から解放できます。
エレ31:29「その日には、彼らはもう、『父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く』とは言わない。31:30 人はそれぞれ自分の咎のために死ぬ。だれでも、酸いぶどうを食べる者は歯が浮くのだ。31:31 見よ。その日が来る。主の御告げ。その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。」

 

異言について

 

現地人は言葉の違いをすぐ聞き分けます。天国では異言の違いをすぐ聞き分けます。

私達には同じように聞こえる異言の祈りも、天国では微妙な感情の変化や心の思いをくみ取って、その言わんとしている心からの祈りのリクエスト、悩み、苦しみを現地である天国ではすぐに聞き分けて理解し、救済の御手を伸べてくださいます。 異言が天国に属する言葉だからです。

 

士12:5 ギルアデ人はさらに、エフライムに面するヨルダン川の渡し場を攻め取った。エフライムの逃亡者が、「渡らせてくれ」と言うとき、ギルアデの人々はその者に、「あなたはエフライム人か」と尋ね、その者が「そうではない」と答えると、12:6 その者に、「『シボレテ』と言え」と言い、その者が「スィボレテ」と言って、正しく発音できないと、その者をつかまえて、ヨルダン川の渡し場で殺した。そのとき、四万二千人のエフライム人が倒れた。12:7 こうして、エフタはイスラエルを六年間、さばいた。ギルアデ人エフタは死んで、ギルアデの町に葬られた。

 

ギルアデ人エフタは微妙な言葉のなまりを聞き分けて、ギルアデ人を装ったエフライムの逃亡者であるかどうかを見抜きました。エフライムが如何にうまく偽装しても、言葉のなまりまでは真似できなかったのです。ギルアデ人が聞けば、すぐにその違いは判りました。異言は天国の言葉ですから、天国の神様はすぐに聞き取ります。異言は人にとって如何に複雑で難解な音声でも、現地の天国では聞き分けて、祈る人の心の思い、言いようのない深いうめきがすぐに伝わります。 

旧約の御言葉は新約でも再現されます。類似のメッセージがあります。 

 

マタ26:73 しばらくすると、そのあたりに立っている人々がペテロに近寄って来て、「確かに、あなたもあの仲間だ。ことばのなまりではっきりわかる」と言った。26:74 すると彼は、「そんな人は知らない」と言って、のろいをかけて誓い始めた。するとすぐに、鶏が鳴いた。26:75 そこでペテロは、「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います」とイエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。

 

ペテロのガリラヤなまりもまた、現地人には明白でした。

 

教会で小さな子供を持つ母親たちが我が子の泣く声を聞くと、雑踏の中でもすぐにその泣き声を聞き分けて、走って行くという光景は何回見ても不思議です。

無関心な一般の人には同じ種類の子供たちの声に聞こえるものですが、母親だけは違います。わが子への特別な愛があるからです。

さらに驚異は「オギャー」と泣いているその声の微妙なトーンの変化をとらえて子供がおしめを取り替えて欲しいのか、お腹が空いているのか、どこか体調が悪いのか、おおよそ見分けてしまうのは愛の不思議です。

 

私たちが神様に捧げる異言の祈りも同様の愛の不思議があります。私たちには人の異言の祈りも自分の異言の祈りもいつも同じように単調に聞こえるものですが、私たちに深い愛と関心を寄せておられる神様は全く違います。その霊的トーンの微妙な変化をとらえ、私たちの間題が何であるか、悩み苦しみが何であるか、その必要としている祈りのリクエスト一切が何であるか等を見事に聞き分けて瞬時に完全理解してくださるのです。

 

神の霊の宿っているヨセフ(創世記四十一章三十八節)

 

彼も、パロ王の夢の意味を解き明かしたように、異言の祈りも聖霊様が宿る時、意味を解き明かすことが出来ます。

世界にはおそらく非常に多くの種類のことばがあるでしょうが、意味のないことばなど一つもありません。異言の祈りにも意味があります。解き明かす賜物の人は通訳者と同じです。他人や自分の異言を冷静に聞いて、その意味を知性の言葉で説明できる特殊能力です。

 

私は以前、ある男性と地下鉄のホーム出入り口で伝道用トラクト配りに出かけた際、まずは車内で一緒に異言でとりなし祈りました。その際、私の異言の祈りが突然、ある人の名前を繰り返し呼ぶ祈りに変わりました。なぜこの人の名前が繰り返し私の唇から出るのか不思議に思いながら、祈りが終わり兄弟と共に伝道目的で地下鉄ホーム出入り口に立ちました。すると五分ほどすると先ほど私の口から名前が繰り返し出ていたその人の父親が車でそこにやってきました。話を聞くと迎えに来たのだと言っていましたが、私はこの息子の安全のために祈らされたのか?あるいはこのような霊的な不思議な世界にもっと目が開かれるよう聖霊様が体験学習を与えられたのだと思いました。

 

また、私の知り合いの整骨院医師は事業が行き詰まった時期に異言で祈ると、その祈る自分の声が耳元で「はり、はり、はり、鍼」と聞こえて、そこにヒントを得てその後、針灸治療院に事業変えをして現在はビルを建てるほど大成功しました。

 

「兄弟たち。では、どうすればよいのでしょう。あなたがたが集まるときには、それぞれの人が賛美したり、教えたり、黙示を話したり、異言を話したり、解き明かしたりします。そのすべてのことを、徳を高めるためにしなさい。もし異言を話すのならば、ふたりか、多くても三人で順番に話すべきで、ひとりは解き明かしをしなさい。」

(第一コリント 十四章二十六~二十七節)

 

ある時、夜の祈り会でこの御言葉に基づいて、皆で異言で熱く析った後、全く静まって異言の解き明かしを求めて祈りました。私は当時まだ救われて間もない頃で、一人の祈り手として黙って座っていましたが、先輩の祈りの導き手の兄弟が導くままにこう言いました。

「誰か異言の解き明かしが賜物としてくだった方いませんか?心に示される方はぜひ大胆に証ししてください。」

さらに十分間ほどの真剣な沈黙が続きました。すると一人の姉妹が、目を開けて謙遜にゆっくり語り始め、皆が注目しました。「あの。今、私は幻をずっと見ていたのですが、話してもいいでしょうか?」

「ぜひ、どんなことでも示されたことがあれば、証ししてください。」「実は、綺麗な川を見ていました。とっても綺麗な流れで、その流れの中にはとても綺麗な魚がたくさん泳いでいました。…しかし、もう一つの川も流れていました。それはとても汚い真っ黒な、どぶ川でその中には何か汚い魚が泳いでいました。」

そこまで話すと姉妹は何かこれ以上は話すべきか否か悩んでいるようでしたが、決意してすまなそうに話を続けました。「そして、申し訳ないのですが、そのどぶ川の中に入っている人がいました。」

祈りの導き手の兄弟が興味深く質問しました。「それはどんな人ですか?」

「はい。それは泉兄弟です。それともう一人いるようですが、よく分かりません。」

これを聞いて私は内心「ドッカーン!何で私が?」と思いましたが、考えるとすぐにその意味がわかり、これは確かに聖霊様による異言の解き明かしの啓示であると確信するに至りました。というのはちょうどその日のことでした。いつものように私は教会内で暇をもてあそんでいた兄弟を連れて街に出て行き、空いた時間を生かして路傍伝道していました。ある街角に来るとアンケート用紙を手に持つ調査員のふりをした統一原理協会の信者である若者が彼らの勧誘活動をしていました。そこで私は熱心に彼らに救い主イエス様を宣べ伝えましたが、一向に救われません。そこで言葉の限りを尽くして伝えたのに変化がないので、この異端者である青年がとてもかわいそうに思い、その場で思いっきり抱きしめて逃げられない状態で一方的に熱く涙でお祈りしてあげました。数分の熱い祈りの後、私が目を開けて両手を開いて開放してあげると目の前の青年は相変わらず冷静で変化なく、救われていませんでした。そこで私は失望と落胆を胸にこらえて疲れきって教会に帰りました。この夜の祈り会での異言の解き明かしは、私にとって革命的なメッセージでした。その意味は異端者ヘの集中伝道は私には御心でなかったのに、熱心あまってあまりに多くの異端者たちに関わっていた自分に気付かされました。それ以降、いままで異端者伝道にかけていた時間と労力を一般の特別宗教を持たない人たちに移行しました。するともっと簡単に人々が教会に導かれるようになり伝道の本調子が戻りました。なるほど異言の解き明かしは重要な賜物であるとここに教訓を得ました。

 

「私は、見張り所に立ち、とりでにしかと立って見張り、主が私に何を語り、私の訴えに何と答えるかを見よう。主は私に答えて言われた。幻を書きしるせ。これを読む者が急使として走るために、板の上にはっきり書きしるせ。」(ハバクク二章一節~二節)

 

預言者ハバククは一方的に祈っただけでなく、祈りの答えをしっかり待ち望みました。異言の祈りができる方は祈った後、その解き明かしも求めてください。もしや聖霊様からの貴重な語りかけがすでにそこに準備されているかもしれません。