「夜中になって、主はエジプトの地のすべての初子を、王座に着くパロの初子から、地下牢にいる奴隷の初子に至るまで、また、すべての家畜の初子をも打たれた。それで、その夜、パロやその家臣および全エジプトが起き上がった。そして、エジプトには激しい泣き叫びが起こった。それは死人のない家がなかったからである」(出エジプト12 : 30)

神様は、ご自分の民を特別に扱われ、守られるのです。コロナウィルスや大地震、戦争、核、飢饉、疫病など、様々なものが襲ってきたとしても、恐れることはありません。世の終わりの前兆について、イエス・キリストはこのように預言されました。
「「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を感わします。不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります」(マタイ24:4~13)

主イエスのこの言葉通り、方々で戦争の噂を聞き、様々な天変地異によって世の終わりの兆しがあります。しかし、そのような中にあって、主イエスに信頼する者は守られる、救われるのです。しかもその救いは「家族単位の救い」です。
「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われる」
出エジプト時においても、主なる神様を信じる者たちに一つの約束を与えられました。
「イスラエルの全会衆に告げて言え。この月の十日に、おのおのその父祖の家ごとに、羊一頭を、すなわち、家族ごとに羊一頭を用意しなさい。もし家族が羊一頭の分より少ないなら、その人はその家のすぐ隣の人と、人数に応じて一頭を取り、めいめいが食べる分量に応じて、その羊を分けなければならない。あなたがたの羊は傷のない一歳の雄でなければならない。それを子羊かやぎのうちから取らなければならない。あなたがたはこの月の十四日までそれをよく見守る。そしてイスラエルの民の全集会は集まって、夕暮れにそれをほふり、その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と、かもいに、それをつける」(出エジプト12: 3~8)

家の入り口の門柱に子羊の血を塗った家は、神様の裁きが過ぎ越すという約束です。思えば、この時イスラエルの人たちの家には可愛い子羊が招き入れられ、それを家族で見守り、満五日間、一緒に生活する訳です。
「可愛いから、メリーくんと名付けよう!」と。可愛がって、愛着もわいてきた頃、一家のお父さんは玄関の前に穴を掘り、そこで子羊を殺してその血を鴨居に塗りつけます。しかも、その日の夜はジンギスカン・パーティーです。これを行えというのが、神様の命令です。なぜ、神様はこれほど残酷と思えることを命じられたのでしょうか?それは、人間の罪は、この可愛いかわいい罪なき子羊のメリーくんが血を流して、死んでしまう犠牲を捧げなければならないほど人間は罪深い者だということを教えるためであったのです。
私たちにとっての本物の「メリーくん」は?そうです。我らの救い主なるイエス・キリスト、神の子羊です。

Ⅰヨハ1:1 「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、1:2 ──このいのちが現れ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現された永遠のいのちです。」

捧げ物は「あなたがたの羊は傷のない一歳の雄でなければならない」とありました。羊にとっての「一歳」というのは人間でいうならば成人です。これは大人を象徴しています。イエス様は30歳から公生涯を始められました。
14日、イエス様はこの同じ日に十字架の上で殺され、民の身代わりとなられたのです。そして、イエス様が「完了した」という最後の言葉を残して息を引き取られた午後の15時というのは、ユダヤ暦ではまさに出エジプト時に小羊を屠った「夕暮れ」時だったのです。出エジプトにおいては、神様は更に子羊を屠った後に以下のようにせよ命じられています。
「その夜、その肉を食べる。すなわち、それを火に焼いて、種を入れないパンと苦菜を添えて食べなければならない。それを、生のままで、または、水で煮て食べてはならない。その頭も足も内臓も火で焼かなければならない。それを朝まで残してはならない。朝まで残ったものは、火で焼かなければならない」(出エジプト12: 9、10)

主イエスは言われました。「わたしは、渇く」。これは、イエス様ご自身が「全焼の犠牲」であったという象徴です。また、「種を入れないパンと苦菜を添えて食べなければならない」という部分にも意味があります。「種を入れないパン」とは、罪が全く無いお方であるイエス・キリストを表しています。罪がある存在は「救い主」にはなれないからです。そして、「苦菜」とは、イエス様のにがい苦しみを象徴しているのです。
「朝まで残してはならない。朝まで残ったものは、火で焼かなければならない」とありますが、これはイエス様の十字架の翌日は祭りの終わりの大いなる日であったので、「明日は祭りの最終日、遺体を朝まで残してはならない」と言われながら、その足の骨を折られることもなく十字架から降ろされました。イエス様の死を確認するために、ローマ兵が槍で脇腹を突き剌します。その時、イエス様の脇腹からは「血と水」が分かれて流れ出たと聖書にあります。これは槍で心臓あるいは大血管系を突き剌したために、すでに血清と血餅に分離した血液が流れ出たと考えられます。血液を容器に入れて、しばらく静かに放置しておくと、上は血清、下は血餅に分離します。同じことが心臓、大血管系の中で起こっていたと考えられるのです。それは、人間の死の中で最も苦しいと言われる心臓破裂によって息を引き取られたということを無言に物語っています。

「あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。この日は、あなたがたにとって記念すべき日となる。あなたがたはこれを主への祭りとして祝い、代々守るべき永遠のおきてとしてこれを祝わなければならない」(出エジプト12 : 13、14)
「代々守るべき永遠のおきて」とあります。今は、私たちの心の門柱とかもいにイエス様の血潮を塗って、神の裁き・災いが過ぎ越すようにと祈っていく必要があります。私の罪のためにイエス様が十字架にかかって死んでくださったこと、三日目に死人の中からよみがえってくださったということを心から信じて、そのことに感謝する。これがイエスの血潮信仰を持つということです。心に悪いものが入ってこないように、子羊イエスが守ってくださるということです。
かつて出エジプト時にイスラエルの民の家々があったとされるゴシェンの地から、沢山の住居跡が発掘されています。その中で、考古学者たちが驚くのは、その家々の入り口の真ん前、玄関に穴が空いていることだと言います。それは何を意味するのでしょうか?本来なら、家の出入り口の玄関一歩目に穴があったなら、邪魔でしょうがないでしょう。これは、出エジプトの時に子羊を屠るために掘られた穴であり、と同時に「もうこの家には戻らない」という信仰による決意の表れでもあったのです。
イエス様が十字架にかかられた時にも、実は地面に穴が掘られました。十字架を立てるためです。その穴に十字架の木を差し込み、イエスは十字架上で足にも釘打たれました。そして、まるで門柱の左右に血を塗るかのように、広げた両手にも釘を打たれました。そして、上部のかもいにも血を塗ったように、いばらの冠によって流された血潮が頭上には流れていました。
私の心の入口の左右の門柱にイエス様の御手の左右の血を塗り、かもいの頭上には茨の血を塗り、足元にはほふられた小羊の穴の中の血を塗りましょう。扉はムチ打たれた全面の打ち傷の血潮を塗ります。
イエス様が守りとなって滅びの悪魔は心に入れず過ぎ越します。
「イエス様の血潮を感謝します」と賛美することはとても重要なことです。
イエス様の血潮をたたえる賛美は天国でも永遠に続きます。イエス様の血潮には癒しの奇蹟も伴います。病んだ人や老いた人々も共に出エジプトしたように、イエス様の血潮信仰を持つものは病いの癒しも受け取ることができるのです。
神様は「ひとり残らず」脱出すると言われました。出エジプトのメンバーはすべてのヘブル人です。

出11:1「主はモーセに仰せられた。「わたしはパロとエジプトの上になお一つのわざわいを下す。そのあとで彼は、あなたがたをここから行かせる。彼があなたがたを行かせるときは、ほんとうにひとり残らずあなたがたをここから追い出してしまおう。」

詩105:37「主は銀と金とを持たせて御民を連れ出された。その部族の中でよろける者はひとりもなかった。」

神様が出エジプトさせたイスラエルの人々は「ほんとうにひとり残らず」全員です。皆、病気も癒されて足腰が強くなって「よろける者はひとりもなかった。」のです。その晩、「明日は私を置いて行ってくれ。寝たきりの病弱だから。」
「ご覧、私は足が悪いから旅立つことは無理だ。」そんなことを言っていた家族が、その晩、イエス様の血と肉を象徴する、小羊の血を門柱とかもいに塗って、ジンギスカンにして肉を食べたら、翌朝には元気に癒されたのです。足腰は丈夫にもはや、よろけない。すべての病人が癒されて本当に全員、健康に旅立てたのです。ですから、イエス様の十字架の血潮を賛美して、聖書の言葉を読むとき、肉を食すことになります。聖書を読んだら元気になります。こうして、天国のカナンに旅立つのです!
 

【第七の災い】雹を降らせる(9:13-35)

 

今度は7つ目の災い、氷のかたまりです。

「さあ、今度は、あすの今ごろ、エジプトにおいて建国の日以来、今までになかったきわめて激しい雹をわたしは降らせる。それゆえ、今すぐ使いをやり、あなたの家畜、あなたが持っている野にあるすべてのものを避難させよ。野にいて家へ連れ戻すことのできない人や獣はみな雹が落ちて来ると死んでしまう。』」(出エジプト9:18、19)

 

氷の塊です。黙示録にもやがて「1タラント」の雹が不信者の頭上に降るという記事が登場します。

「また、一タラントほどの大きな雹が、人々の上に天から降って来た。人々は、この雹の災害のため、神にけがしごとを言った。その災害が非常に激しかったからである」(黙示録16: 2 1)

ある学者の研究によれば、1タラントの雹とは34キロに相当すると言い、あるいは別の人に言わせれば50キロに相当すると言います。中間をとって40キロとしましょう。いずれにしても、相当な大きさの氷の塊です。それが、イエス・キリストを信じない人たちの上にズドンと落ちてくるというのです。恐ろしいです。

この出エジプト直前の災いにおいて、神様が雹を降らせるに当たって劇的な演出効果があります。

 

「モーセが杖を天に向けて差し仲ばすと、主は雷と雹を送り、火が地に向かって走った。主はエジプトの国に雹を降らせた」(出エジプト9:23)

 

雷と火が混じっていたと言います。凄い大変な災いです。しかし、ここでも神様の奇蹟を見ることができます。このように書いてあります。

「ただ、イスラエル人が住むゴシェンの地には、雹は降らなかった」(出エジプト9:26)

 

確かに、異常気象と連動する雹災害も世の終わりに近づくに従って増えるでしょう。南極での最高気温が過去最高の20度を記録するなど、これまでの常識ではあり得ないことが起こっています。しかし、神様はその愛する民を守られるのです。今年も記録的猛暑になるようです。

 

【第八の災い】イナゴを放つ(10:1-20)

 

「もし、あなたが、わたしの民を行かせることを拒むなら、見よ、わたしはあす、いなごをあなたの領土に送る。いなごが地の面をおおい、地は見えなくなる。また、雹を免れて、あなたがたに残されているものを食い尽くし、野に生えているあなたがたの木をみな食い尽くす」(出エジプト10: 4、5)

 

これはイナゴの大群です。アモス書にもイナゴの大発生による災いの警告が神様から下されています。そこでは、預言者アモスが民のために執りなして祈る姿が記録されています。

「神である主は、私にこのように示された。見よ。王が刈り取ったあとの二番草が生え始めたころ、主はいなごを造っておられた。そのいなごが地の青草を食い尽くそうとしたとき、私は言った。『神、主よ。どうぞお赦しください。ヤコブはどうして生き残れましょう。彼は小さいのです。』

主はこのことについて思い直し、『そのことは起こらない』と主は仰せられた」(アモス書7:1)

 

このアモス書の時の「イナゴ大発生による災い」は、アモスの執りなし祈祷のゆえに神様が思い直され回避されました。

ほかに、ヨエル書においてもイナゴによる災いについて記されています。ヨエル書での警告については、民は結局、悔い改めることをせず、この預言による警告は現実のものとなってしまいました。

「これをあなたがたの子どもたちに伝え、子どもたちはその子どもたちに、その子どもたちは後の世代に伝えよ。かみつくいなごが残した物は、いなごが食い、いなごが残した物は、ぼったが食い、ばったが残した物は、食い荒らすいなごが食った」(ヨエル1:3)

 

イナゴの災害についての過去の教訓から学ぶため、「これをあなたがたの子どもたちに伝え、子どもたちはその子どもたちに、その子どもたちは後の世代に伝えよ」とヨエル書は語っています。

過去にこのような災いにあったのは私たちの罪のためであり、へりくだって悔い改めましょうというのが、ヨエル書のメッセージでした。

これらの聖書箇所から受け取る教訓は、「子どもたち」と繰り返されていますが、私たちも子どもたちのために祈らなければならないということです。子どもたちをイナゴの害から守らなければならないということです。

 

私たちの子どもの頃、人気テレビ番組の「仮面ライダー」シリーズが大人気でした。仮面ライダーとは改造人間キメラなのですが、実はこれのデザインのモチーフとなったのはイナゴでした。仮面ライダーは、カッコいいバイクにまたがり、悪者のショッカーらをバッタバッタと倒し、カッコよく思ってしまうのです。

当時、まだ小学生だった私は、仮面ライダーの影響で暴れ、そこで学んだ格闘の知識を持って学校の友達とも戦いとなる訳です。1号ライダーである本郷猛に扮する役者の藤岡弘がバイクシーンの撮影中に事故で大腿部複雑骨折の重傷。

全治3~6ヵ月と診断され、出演は不可能となったと言います。ヒーローが骨折で番組中止というのでは具合が悪い。

そこで、当初は予定になかった「仮面ライダー2号」を登場させようということになったそうです。するとどうでしょう。2号ライダーは益々、カッコいい!そこで視聴率は更にアップしてしまう。

当時の私は、また朝から晩まで仮面ライダーに夢中でした。おやつはというと、仮面ライダースナックを買うのです。

そのスナックに仮面ライダーの絵柄が入ったカードがついてくるからです。栄養が偏り、カードを集め、テレビをポカ~ンと目と口を開けて見ている。勉強はしない。このような状況を「イナゴの害」というのですね。

更に仮面ライダーは4号、5号…と続き、今でも続いているというのですから驚きです。

仮面ライダーに種類が多いのはバッタだからでしょうか?

噛み付くバッタ、イナゴなど、バッタは種類が多いものですから。

 

このように、幼少期からバッタなる仮面ライダーに慣らされた者が大人になったらどうなるでしょうか?

例えば、私の場合は今でもカッコいいバイクが好きです(2号ライダーの一文字隼人は、一文字乗りという特殊なバイクの乗り方をするため。多くの人が影響され、バイクや自転車で真似をします。そこで事故が起こる訳です)。

仮面ライダーは、「変~身!」と言ってポーズをとると姿が変わりますが、同様にごく普通のイナゴもある時、仮面ライダーのように「変~身!」する時があります。それは突然変異であり、数も異常発生し、目が黄緑から黒色に、はねが長く足が短くなる。頭幅が大きくなり、胸の上がへこむ。触角の感覚子の数が減少する。普段は互いに離れようとするのに、互いに近づこうとする産卵前期間が増加し、羽化後生存日数が減少し、産卵回数、産卵数が減少する。食べなかった植物まで食べるように変質するのです。度々、この変種の群れがアフリカや中国などで大発生しています。

イナゴの害から守られるように私たちも気をつけて子供たちと世界のために祈らなければなりません。

 

【第九の災い】暗闇がエジプトを覆う(10:21-29)

 

「主はモーセに仰せられた。『あなたの手を天に向けて差し仲べ、やみがエジプトの地の上に来て、やみにさわれるほどにせよ。』モーセが天に向けて手を差し伸ばしたとき、エジプト全土は三日間真、暗やみとなった。三日間、だれも互いに見ることも、白分の場所から立つこともできなかった」(出エジプト10 : 21~23)

 

これは恐ろしい災いだったことでしょう。三日間、誰も立ち歩くことも出来ないほどの暗闇です。

ところが、それに続く聖書の言葉が素晴らしいのです。

「しかしイスラエル人の住む所には光があった」(出エジプト10 : 23)

 

この御言葉を現代に当てはめるなら、神様からの災いは、神様に信頼するあなたには一切降りかからないという約束であると信仰によって受け止めることができるのです。暗闇は経済不況も意味します。

宇宙から衛星画像を見ると、北朝鮮と韓国は夜間の光の照度が違います。一般的に街灯も商店営業も少ない途上国は夜に暗いです。311やコロナ禍の時は、日本も計画停電や街が夜間営業を自粛して時短で商店街は暗くなりました。

 

 

【十の災い】

 

さて、その後、モーセはパロ王の所に出て行って、イスラエルの民を奴隷から解放せよと、奴隷解放宣言の力強い器として用いられていきます。出エジプト記7章以降、具体的に神様がどのような奇蹟をもってイスラエルの民を奴隷から解放して出エジプトさせたのかが記されています。

神様は、イスラエルの民を解放するために10の災いをもたらされ、かたくななパロ王の心を低くしました。

今から、出エジプトに至るまでの10の災いのエピソードから、現代も起き得るこれらの災いの中で神様がどのように私たちをまもられるのかを見てゆきたいと思います。

 

【第一の災い】

 

ナイル川の水を血に変える(7:14~25)〉

心を頑なにして、イスラエルの民を解放しないパロ王に対して、モーセは神様の命令通り以下のように告げます。

「主はこう仰せられます。『あなたは、次のことによって、わたしが主であることを知るようになる。』ご覧ください。私は手に持っている杖でナイルの水を打ちます。水は血に変わり、ナイルの魚は死に、ナイルは臭くなり、エジプト人はナイルの水をもう飲むことを忌みきらうようになります」(出エジプト7:18)

 

ある学者は、この箇所を文字通りには受け取らずに「赤潮のような現象が起きただけ」と言ったりします。しかし、この記述の通りに、実際に「血に変わった」と私は信じています。海の巨獣とよばれるナイル川の哺乳類の大量死や魚の大量出血死などありえます。水が汚染されました。

 

私たち日本人は、実はこの災いとよく似た災いを過去に経験しています。2011年3月11日に起こった東日本大震災とその後の福島原発事故により、放射能汚染によって水が飲めない、水を飲むことが怖くなるという事象が起こりました。実際に伝道チームが被災地に赴き、ペットボトルを無料配布するという尊い働きをしていたことを覚えています。

聖書にこのような言葉があります。

「正義を行なう者、まっすぐに語る者、強奪による利得を退ける者、手を振ってわいろを取らない者、耳を閉じて血なまぐさいことを聞かない者、目を閉じて悪いことを見ない者、このような人は、高い所に住み、そのとりでは岩の上の要害である。彼のパンは与えられ、その水は確保される」(イザヤ33 : 15、16)

 

私たちが神様に信頼して歩むなら、「パンは与えられ、その水は確保される」と信じましょう。

 

【第二の災い】=カエルを放つ(8:1-15)〉

 

主はモーセに仰せられた。「パロのもとに行って言え。主はこう仰せられます。『わたしの民を行かせ、彼らにわたしに仕えさせるようにせよ。もし、あなたが行かせることを拒むなら、見よ、わたしは、あなたの全領土を、かえるをもって、打つ。かえるがナイルに群がり、上って来て、あなたの家にはいる。あなたの寝室に、あなたの寝台に、あなたの家臣の家に、あなたの民の中に、あなたのかまどに、あなたのこね鉢に、はいる」(出エジプト8:1~3)

 

第二の災いは、カエルの災いです。そこら中がカエル、カエル、カエル。ご飯の中にまで入り込み、「カエルご飯」!気持ちが悪いですね。この時、なんとエジプトの呪法師たちも彼らの秘術を使って、同じようにかえるをエジプトの地の上に、はい上がらせたとあります。この災いに困り果てたパロ王は、モーセとアロンを呼び寄せてこう言いました。

「かえるを私と私の民のところから除くように、主に祈れ。そうすれば、私はこの民を行かせる。彼らは主にいけにえをささげることができる」(出エジプト8:8)

モーセが祈ると主はモーセのことばどおりにされたので、かえるは家と庭と畑から死に絶え悪臭となりました。

実はこのことにおいても、東日本大震災の時にも同様のことが起こっています。私たちも、何度も被災地に赴きましたが、津波によって披災したエリアに入りますと、やはり様々な打ち上げられた海産物や汚物のためか悪臭がしました。

エジプトでのカエルの災いの時、これ以上の悪臭がしたに違いないと思わされたものです。

 

【第三の災い】ぶよを放つ(8:16-19)〉

 

さて、第一、第二と災いを経験したエジプトとパロ王ですが、パロは息つく暇のできたのを見て、強情になり、彼らの言うことを聞き入れませんでした。

そこで神様はモーセにこう仰せられました。

「アロンに言え。あなたの杖を差し仲ばして、地のちりを打て。そうすれば、それはエジプトの全土で、ぶよとなろう」(出エジプト8:15)

ぶよを実際にご覧になったことはあるでしょうか。それは小さく見えない災いですが、確実に人体に攻撃を加えてくるようなものです。他の災い同様に、この日本で起きた東日本大震災になぞらえるなら、つまり放射能漏れがそれに当たるかもしれません。放射能は見えない有害物質、しかも、私たちを恐れさせるものです。

新型コロナの大気汚染、見えない有害生物、見えない敵なる悪霊の攻撃や痛み、すべての疫病から主は守られます。

 

【第四の災い】アブを放つ(8:20-32)〉

 

アブは大きなハエのような姿をしています。ぶよとアブでは、その攻撃方法が違っています。アブはガブッと噛み、血が出たところを舐めます。家畜にだけつくアブというものもあります。私たちも、ぶよのように小さく痛みがないが、知らないうちに刺されているような災いやサタン、悪霊からの攻撃もあれば、アブに噛まれたように「痛い!」とわかるけれども防ぎようがなかった災いというものを経験することがあります。

 

敵なるサタンは、神様の真似をして、ぶよのような内的攻撃、アブのような外的攻撃その両方を用いて私たちを攻撃してきます。ある時にはぶよのような「あなたは醜くなったな」とか「太った」とか、心を刺すような言葉のようなものかもしれません。後になって「なんであんなこと言われなきゃいけないの」と思い出して落ち込んだり嫌な気持ちにさせられたり、不快な思いをさせられたり、これが内的攻撃です。

外的攻撃とは、実際に殴られたりする迫害がそれに当たるかもしれません。この世は大気汚染のごとく、偽りの言葉、悪口雑言、作り話に満ちています。そのような偽りに耳を貸さないようにしなければなりません。

 

【第五の災い】家畜に疫病流行(9:1-7)〉

 

次は、家畜に対する災いです。

「もしあなたが、行かせることを拒み、なおも彼らをとどめておくなら、見よ、主の手は、野にいるあなたの家畜、馬、ろば、らくだ、牛、羊の上に下り、非常に激しい疫病が起こる」(出エジプト9:2、3)

 

この災いにおいても、東日本大震災を思い起こすことができます。放射能汚染された家畜たちの殺傷処分です。多くの放射能汚染されたと思われる披災地の家畜たちが殺傷処分されたと言います。しかし実のところは、私たちの教会から復興支援に向かった車に乗っていた教会員らの証言によりますと、「いついつまでに家畜の県外移動を禁止します」という政府からのお達しの期日前に、ラッシュアワーのように家畜を大量に積んだトラックが県外に出てゆく所を目撃し、そのような車と多数すれ違ったと聞いています。

しかし、安心してください。主なる神様に信頼するなら「疫病から守られる」のです。

 

【第六の災い】腫れ物を生じる(9:8-12)

 

「主はモーセとアロンに仰せられた。『あなたがたは、かまどのすすを両手いっぱいに取れ。モーセはパロの前で、それを天に向けてまき散らせ。それがエジプト全土にわたって、細かいほこりとなると、エジプト全土の人と獣につき、うみの出る腫物となる』」(出エジプト9:8、9)

 

この災いは、疫病です。私たちはケムトレイルや疫病から守られます。 

「主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。 主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。あなたはただ、それを目にし、悪者への報いを見るだけである」(詩篇91:3~8)

 

私の解釈では、この聖書箇所「主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。」のごとく、文字通り「羽で」覆って守ってくださると信じています。

天のみ使いには羽根のある天使と羽根のない天使がいると言います。

もし、様々な疫病や災いが降りかかりそうな時、力の強いみ使いを神様が遣わしてくださって、私たちをその翼で覆ってくださいます。信じてください。

「主よ!み使いを送って、私をその翼の陰にかくまってください」と祈ってみてください。主なる神様は文字通り、あなたを覆って守ってくださいます。


伝10:20 「王をのろおうと、ひそかに思ってはならない。寝室でも富む者をのろってはならない。なぜなら、空の鳥がその声を持ち運び、翼のあるものがそのことを告げるからだ。」


「翼のあるもの」であるみ使いは日々私たちを見守り、祈りのリクエストと地上の状況を報告に天国に行き来しています!

 

多分、「翼のない御使い」
創28:12 「そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。」

 


 

 

 

 

モーセには、我らにとっての聖霊のごときアロンが肋け手として与えられていたのですが、神様は更に「しるしを行う力」をモーセに授け、三つの不思議な能力をもってエジプトのパロの心を動かしたのです。

今、イエス・キリストを宣べ伝えようとする私たちにも、モーセと同様三つの不思議な能力が与えられます。

 

【一つ目 サタンの力を無力化する力】

 

この三つの能力が与えられています。

「主は彼に仰せられた。『あなたの手にあるそれは何か。』彼は答えた。『杖です。』すると仰せられた。『それを地に投げよ。』彼がそれを地に投げると、杖は蛇になった。モーセはそれから身を引いた。主はまた、モーセに仰せられた。『手を伸ばして、その尾をつかめ。』彼が手を仲ばしてそれを握ったとき、それは手の中で杖になった。『これは、彼らの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主があなたに現われたことを、彼らが信じるためである。』」(出エジプト4:3~5)

 

モーセが主なる神様のおっしやる通り杖を地に投げると、なんとその杖は蛇になり、またその蛇に手を伸ばして尾をつかんだ時、蛇が杖に戻ったのです。蛇は悪魔を象徴します。私たちは、思いのままに蛇なるサタンの尻尾を掴み、頭を掴み、無害・無力化してしまう悪魔を制する力が与えられているのです。

「信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を迫い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます」(マル16 : 17、18)

 

【二つ目 病いの癒しの力】

 

「主はなおまた、彼に仰せられた。『手をふところに入れよ。』彼は手をふところに入れた。そして、出した。なんと、彼の手は、らいに冒されて雪のようであった。また、主は仰せられた。『あなたの手をもう一度ふところに入れよ。』そこで彼はもう一度手をふところに入れた。そして、ふところから出した。なんと、それは再び彼の肉のようになっていた」(出エジプト4:6、7)。

 

主なる神様の民には、病いを癒す能力も与えられていると言うことです。どうぞイエス様を信じた皆さんは、病んでいる方々と出会ったなら、手を置いてイエス様の御名で祈ってあげてください。

「信仰による祈りは、病む人を回復させます」

 

【三つ目 奇蹟を行なう力】

「たとい彼らがあなたを信ぜず、また初めのしるしの声に聞き従わなくても、後のしるしの声は信じるであろう。もしも彼らがこの二つのしるしをも信ぜず、あなたの声にも聞き従わないなら、ナイルから水を汲んで、それをかわいた土に注がなければならない。あなたがナイルから汲んだその水は、かわいた土の上で血となる」(出エジプト4:8、9)

 

水を血に変える奇跡です。信じる人は奇蹟を行なうことができます。

 

【アロンの杖】

 

「モーセとアロンはパロのところに行き、主が命じられたとおりに行なった。アロンが自分の杖をパロとその家臣たちの前に投げたとき、それは蛇になった。そこで、パロも知恵のある者と呪術者を呼び寄せた。これらのエジプトの呪法師たちもまた彼らの秘術を使って、同じことをした」(出エジプト7:10、11)

 

なんと、神様に言われた通り杖を蛇に変えたアロンに対抗し、パロ王に使えていた呪術者たちも杖を蛇に変えたのです。アロンが行なったのは奇蹟でしたが、呪術者たちが行なったのは、恐らくこんなところではないでしょうか。蛇を撫でて催眠をかけると真っ直ぐの硬直した棒になり、それを手に持って杖の棒のように見せかけておいて、地面にパッと解き放った瞬間に我に返った蛇がにょろにょろと動き出す。そのようなマジックかと思いますが、アロンの杖が変身した蛇の方が強く、呪術者たちの蛇を飲み込んでしまったのです。

「彼らがめいめい自分の杖を投げると、それが蛇になった。しかしアロンの杖は彼らの杖をのみこんだ」(出エジプト7:12)

呪術者たちの蛇は「めいめい」と二匹の二本であったことが分かります。

 

このアロンの杖は、アーモンドの芽を出した特別な杖となり、やがて契約の箱に納められた杖と同じなら面白いです。

旧約聖書の民数記17章にこんな記述があります。

「イスラエル人に告げて、彼らから、杖を、父の家ごとに一本ずつ、彼らの父祖の家のすべての族長から十二本の杖を、取れ。その杖におのおのの名を書きしるさなければならない。レビの杖にはアロンの名を書かなければならない。彼らの父祖の家のかしらにそれぞれ一本の杖とするから。あなたはそれらを、会見の天幕の中のわたしがそこであなたがたに会うあかしの箱の前に置け。わたしが選ぶ人の杖は芽を出す。こうしてイスラエル人があなたがたに向かってつぶやく不平をわたし自身が静めよう。』モーセがイスラエル人にこのように告げたので、彼らの族長たちはみな、父祖の家ごとに、族長ひとりに一本ずつの杖、十二本を彼に渡した。アロンの杖も彼らの杖の中にあった。モーセはそれらの杖を、あかしの天幕の中の主の前に置いた。その翌日、モーセはあかしの天幕にはいって行った。すると見よ、レビの家のためのアロンの杖が芽をふき、つぼみを出し花をつけ、アーモンドの実を結んでいた」(民数記17: 8)

 

アロンの名があるレビの杖だけに神様の選びの奇蹟が起きました。

その後、後々の人たちへの証しとして、それは契約の箱の中に収められることになります。

アロンの名がある杖の他に、モーセの石板、マナの入った壷が一緒に契約の箱に納められました。 

 

この三つの話しがのちに「三種の神器」として海と大陸を越えて日本にも伝わったと考えられます。

昭和の三種の神器と言えば、「掃除機、洗濯機、テレビ」でしょうか?皇室では、八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)です。

聖書では、三種の神器である八咫鏡(やたのかがみ)はモーセの十戒の石の板、草薙剣(くさなぎのつるぎ)はアロンの名が書いたレビの杖、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)はマナが本当の原点です。

八咫鏡(やたのかがみ)は鏡です。自分の乱れを見て発見できるように十戒なる聖書は、心の乱れを見て発見して正します。草薙剣(くさなぎのつるぎ)はアロンの杖と形が似た長い棒です。八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)はマナのような形で、ユダ族の天皇が永遠に朽ちないマナのように永遠に生きる願いを込めて奉納した聖書の本物の三種の神器のレプリカの宝です。

 

アロンの実を結んだ杖は、今も契約の箱の中にあると考えられます。いつの日か、これが発見される時が来るでしょう。

アロンの名があるレビの杖が収められている契約の箱の所在については、考古学者のロン・ワイアット氏の発見であるエルサレム旧市街北部の「エレミヤの洞窟」にあると言う説が有力なのではないかと考えます。

彼は自身の著書『契約の櫃』(徳間書店)の中で発掘調査の様子や証拠について言及しています。

 

ワイアット氏によれば、これはイエス・キリストが処刑された十字架跡地の更に地下6メートルの地点にある真下の小洞窟に安置されており、世の終わり、ちょうど良い時にそれは再び世に出てくると思われます。

契約の箱は純金製です。金は何千年経っても錆びません。

やがてその契約の箱が発見され、その蓋を開けて中を覗くと、一本の古びた杖がドライフラワーの残骸のようにアーモンドの花と実をつけて出てくるでしょう。 

当然、科学技術を駆使してレントゲン・スキャンや成分や年代を分析し調べ上げるでしょう。

すると、「これは!間違いない。アーモンドの枝だ」となる。

そして、その杖を更に分析して行くと、なんと、杖の中にヤンネとヤンブレの小さな杖が二本入っているではないか!

これはどう言うことだろう?

そして、聖書を読むと、出エジプト記にその記述、アロンの杖の蛇が魔術師たちの杖の蛇を飲んだ、とある。

「そうか!やはり聖書の記述は本当だったんだ!」と気づく。なんてことがあるかもしれません。

 

しかし、よく読むと蛇を二匹飲んだのは12部族長の杖です。族長のひとりレビの杖にアロンの名を書いた杖であって、アロンが持っていた蛇を飲んだ杖をレビ族長に大切なプレゼントして与えていなければ、これは別のレビ自身の杖です。

もし、アロンがレビに自分の奇蹟の杖を与えていれば、将来の大発見時に面白くなります。杖の中に杖を二本発見と。

そうでなくても杖が芽をふき、つぼみを出し花をつけ、アーモンドの実を結んでいる状態の残骸は聖書の真実性を立証します。

いずれにせよ、これらが別々の二本の杖、つまりレビの杖がアーモンドの実を結んだものと、アロンの蛇を飲んだ杖であっても、あるいは同じであっても重要なメッセージがあります。それは、しがないありふれた木製の杖が奇蹟を起こしたのです! 

イエス・キリストの十字架の木の杖は、しがないありふれた木製ですが、それを通じて神様は悪魔を滅ぼし、私達を選民として花開き認証した奇蹟の証拠なのです!イエス様の十字架が私たちの勝利と天国認証です! 

 

Ⅱテモ3:8 「また、こういう人々は、ちょうどヤンネとヤンブレがモーセに逆らったように、真理に逆らうのです。彼らは知性の腐った、信仰の失格者です。3:9 でも、彼らはもうこれ以上に進むことはできません。彼らの愚かさは、あのふたりの場合のように、すべての人にはっきりわかるからです。」

 

 

 

 

「イスラエル人の住むところには光があった」

 

「あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの

所を通り越そう。わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。この日は、あなたがたにとって記念すべき日となる。あなたがたはこれを主への祭りとして祝い、代々守るべき永遠のおきてとしてこれを祝わなければならない」(出エジプト12 : 13、14)

 

かつて神様は解放者モーセを選び出し、430年来エジプトで奴隷となっていたイスラエル人を脱出させました。

そして、「乳と蜜の流れる約束の地カナン」へと彼らを導き入れました。

この記述は、現代を生きる私たちへの教訓でもあります。

この行程は、当時の古代エジプトのような罪の世界である「この世」から解放され、約束の地カナンに象徴される「天国」に導き入れられることを教えています。

 

また、砂漠のような迷い多いこの世にあって、私たちは寄留者であり、旅人であることを教えています。昼は雲の柱、夜は火の柱をもって神の民を導かれた主なる神様。この「雲の柱」「火の柱」とは、現代においては「聖霊なる神様」を象徴しています。イエス・キリストを自らの救い主として信じ、その血潮を受けた私たちを天国の約束の地カナンまで、無事に、安全に日々、導いておられます。

さて、神様がモーセを召し出した経緯は次の通りです。

 

「神は柴の中から彼を呼び、『モーセ、モーセ。』と仰せられた。彼は『はい。ここにおります。』と答えた。神は仰せられた。『ここに近づいてはいけない。あなたの足のくつを脱ぎなさい。あなたの立っている場所は、聖なる地である。』また仰せられた。『わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』

モーセは神を仰ぎ見ることを恐れて、顔を隠した。主は仰せられた。『わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所に、彼らを上らせるためだ。見よ。今こそ、イスラエル人の叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプトが彼らをしいたげているそのしいたげを見た。今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。』」(出エジブト3:4~10)

 

80歳の高齢に加えて、雄弁家ではないということの故に、彼は「自分など到底リーダーになどなれない」と考えて、神様に対してこう答えています。

「モーセは主に中し上げた。『ああ主よ。私はことばの人ではありません。以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。私は口が重く、舌が重いのです』」(出エジプト記4:10)

 

「絶対、無理!」と答えた訳です。しかし、神様はそんなモーセのことをよく理解しておられ、助け手を備えられました。それは、モーセより三つ年上の兄アロンでした。アロンは雄弁家でした。世の中には、沈黙であまりお話好きでない人もいれば、おしゃべり好きで雄弁な人もいます。アロンは後者でした。

 

「あなたの兄、レビ人アロンがいるではないか。わたしは彼がよく話すことを知っている。今、彼はあなたに会いに出て来ている。あなたに会えば、心から喜ぼう。あなたが彼に語り、その口にことばを置くなら、わたしはあなたの口とともにあり、彼の口とともにあって、あなたがたのなすべきことを教えよう。彼があなたに代わって民に語るなら、彼はあなたの口の代わりとなり、あなたは彼に対して神の代わりとなる」 (出エジプト記4:14~16)

 

「アドナイ・イルエ」=「主が備えてくださる(計らってくださる)」、すなわち備え主であると言う名を持つ我らの神様は、準備して、適材適所、相応しい人財を備えておられるのです。うまくおしゃべりのできない口下手なモーセが何かを語ると、雄弁家のアロンが分かりやすい言葉に翻訳して人々に伝えたのです。

 

このモーセとアロンの関係は、私たちと聖霊様との関係を象徴しています。

私たちも、イエス様を宣べ伝えたいのに、うまく語れない。何をどう祈ったら良いのかが分からない。

しかしそんな時、聖霊様に満たされる時、私たちがどう宣べ伝えたら良いのか、どう祈ったら良いのかを示してくださいます。ですから、私たちは恐れる必要は全くありません。弱い時にこそ、私たちを励まし、必要な言葉を語れるように私たちの舌をうまく解いて、語らせてくださいます。

 

「人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです」(マタイ10 : 19、20)

 

聖霊様は、「不思議な助言者」。私たちにとってのアドバイザーです。

 

「密議をこらさなければ、計画は破れ、多くの助言者によって、成功する」(蔵15:22)

 

「あなたはすぐれた指揮のもとに戦いを交え、多くの助言者によって勝利を得る」(蔵言24: 6)

 

聖霊様の助言に従う時、私たちは成功し勝利することが出来ます。聖霊様の不思議な助言を大切にしましょう。

「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる」(イザヤ9:6)

 

モーセには、我らにとっての聖霊のごときアロンが肋け手として与えられていたのですが、神様は更に「しるしを行う力」をモーセに授け、三つの不思議な能力をもってエジプトのパロの心を動かしたのです。

今、イエス・キリストを宣べ伝えようとする私たちにも、モーセと同様三つの不思議な能力をいただけます。

 

 

口で告白する法則

 

日々の告白を変えましょう。

ヤコブ3:3 馬を御するために、くつわをその口にかけると、馬のからだ全体を引き回すことができます。3:4 また、船を見なさい。あのように大きな物が、強い風に押されているときでも、ごく小さなかじによって、かじを取る人の思いどおりの所へ持って行かれるのです。

 

箴18:21 死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。

 

アブラム「高貴な父」 100歳と90歳から出産できるほどの体力回復のアンチエイジング法  言葉の力

創17:4 「わたしは、この、わたしの契約をあなたと結ぶ。あなたは多くの国民の父となる。17:5 あなたの名は、もう、アブラムと呼んではならない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。17:6 わたしは、あなたの子孫をおびただしくふやし、あなたを幾つかの国民とする。あなたから、王たちが出て来よう。

 

サラ「高貴な女性」

創17:15 また、神はアブラハムに仰せられた。「あなたの妻サライのことだが、その名をサライと呼んではならない。その名はサラとなるからだ。17:16 わたしは彼女を祝福しよう。確かに、彼女によって、あなたにひとりの男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、国々の民の王たちが、彼女から出て来る。」

 

ヤコブ ヘブライ語で「かかとをつかむ者=人を出し抜く者」

「イスラエル」(「イシャラー(勝つ者)」プラス「エル(神)」の複合名詞)。これが後のイスラエルの国名の由来で「神は勝利される」、「神は争われる」の意味

創32:26 するとその人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」しかし、ヤコブは答えた。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」32:27 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は答えた。「ヤコブです。」32:28 その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」

 

ナバル 愚か者の名の通り、ダビデを裏切って恩をあだで返して侮辱し、最後は死んでアビガイルもとられた。

Ⅰサム25:25 ご主人さま。どうか、あのよこしまな者、ナバルのことなど気にかけないでください。あの人は、その名のとおりの男ですから。その名はナバルで、そのとおりの愚か者です。このはしための私は、ご主人さまがお遣わしになった若者たちを見ませんでした。

 

山田涼介

したいことがあったら過去形で言葉にする。「ドラマに出たい。」ではなく「ドラマに出ました。」と宣言する。

実際に「ドラマに出ました。」と言っていたら金田一少年のドラマの出演が決まった。

 

有村架純

夢を叶えるためには声に出すことがすごく大事だなと思っています。声のお仕事をマネージャーさんとやりたいね、てずっと言っていたらオーディションの話が来ました。最初は正直「受かるかな~。」て言っていましたが、途中から「いや、受かる!大丈夫!」って言っていたら本当にそうなって。言霊ってあるんだなと思いました。「私はダメだ。」じゃなく「大丈夫。」と口に出してみてほしい。未来のいい自分をイメージすることが大事かなと思いました。

 

読者モデルのくみっきー。(舟山久美子)

人生を楽しむためには→マイナスな言葉を口に出さない。日々の色んな出来事は全て将来ためになることなので、嫌なことも逃げずに一生懸命先の楽しみを想像しながら毎日を過ごすこと。夢や目標を口に出すことも大切。

沢山いる読者モデルの中で成功する子は、潜在意識を活用している気がする

 

浜崎あゆみ

ツイッター、風邪なんてひいてない。って30回唱えてから寝よう!

 

矢沢永吉 口癖  俺ってBIG!

 

肯定的な聖書の約束の御言葉を告白しましょう。

 

詩1:2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。

 

イエスが言ったことは、ことごとく実現している

・「静まれ!」とイエスが命じると、嵐は静まりました。(マタイ8章26節)

・人にとりついている悪霊に「出て行け!」と言うと、悪霊は出て行きました。(マルコ1章25節)

・死んで墓に葬られ4日もたっているラザロに、「ラザロよ、出てきなさい!」と大声で叫ぶと、ラザロは生き返って墓から出てきました。(ヨハネ11章43節)

・実が成っていないイチヂクの木に向かって、「今から後いつまでも、おまえには実がならないように!」と言うと、そのイチヂクの木は枯れてしまいました。(マタイ21章19節)

・ペテロがガリラヤ湖の水の上を歩きたいと言ったとき、イエスが「来なさい」と言うと、ペテロは水の上を歩くことができました。(マタイ14章29節)

 

「天から雨が降り、雪が落ちてまた帰らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種をまく者に種を与え、食べる者に糧を与える。このように、わが口から出ることばも、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶことをなし、わたしが命じ送ったことを果す」(イザヤ55章10、11節)

 

ナイジェリアの牧師で著名なテレビ伝道者セグン・オシナガ

ご主人に先立たれたケニアのある未亡人Aさんは、広い土地を相続しました。ところが、その土地の大半は小高い山によって占められていて、放牧にも耕作にも適しません。Aさんは次第に経済的に困ってきました。「この山さえなければ、穀物を植えたり、羊を飼ったりできるのに!」。いつもこう思っていました。

Aさんは、あるとき、新約聖書のマルコの福音書11章23、24節を読んで、非常に心を打たれました。「これはすごい! うちの山に向かって『平らになれ!』と言って、心に疑わないで信じるなら、そうなるのだ!」

ちょうどその頃、近くの教会でアメリカ人の宣教師が集会を開いていました。Aさんはさっそく宣教師をたずねて質問しました。Aさん「マルコの福音書11章23、24節は、イエス・キリストが語られたことばですか?」

宣教師「もちろん、そうですよ!」

Aさん「それでは、ここで語られていることは本当のことですか?」

宣教師「もちろん、本当のことです!」

Aさん「それでは、うちの土地にある山に向かって『平らになれ!』と言えば、そうなるのですね?」

宣教師「とんでもないです。あなたはなにを言っているんですか! そんなばかなことがあるはずがないでしょう。イエス・キリストはここで、「本物の山」について語られたのではなく、比喩として、「問題の山」について語られたのですよ!」

Aさんは最後にこう聞きました。「でも、この聖句は本当にイエスさまが語られたのですよね?」。宣教師は、「そうです。本当にイエスさまが語られたことばです」と答えました。

Aさんは家に帰るやいなや、その日から毎日山に向かって「主イエスの御名によって命じる。目の前にある山よ、平らになれ!」と叫んで命令しました。1週間たち、10日たちましたが、何事も起こりません。Aさんは聖書のことばを信じて、毎日命じつづけました。

1カ月たち、2カ月が過ぎました。しかし、山はびくともしません。それでもあきらめずに、毎日命じつづけました。

3カ月たちました。何の変化もありません。そしてついに、4カ月たちました。

Aさんが山に命じ始めて、ちょうど4カ月が過ぎたときのことです。誰かがAさんの家を訪ねてきました。その人はケニア政府の建設省の役人でした。

彼はこう言いました。「ケニアの道路建設のために大量のアスファルトの原料が必要です。ナイロビ大学に調査をさせたところ、お宅の山は、アスファルトを作るためのコールタールの原料のかたまりだとわかりました。そこで政府としては、ぜひお宅の山を全部買い上げたいのです!」

「神さまがついに、私の祈りを聞いてくださったんだ!」。こう確信したAさんは、大喜びで買い取り値段を聞きました。政府の役人は、「100万ドルではどうか?」と言います。「とんでもない、そんな安い値段では売れません!」とAさんは売却を拒絶。「それでは、200万ドルではどうか?」「いやだめです!」と交渉して、ついに400万(米)ドルで売却が決まったそうです。

ケニアの貨幣価値から考えると、この金額はぼう大なものです。あっという間に、山は崩されて平地になりました。

 

韓国のある平坦な街も丘を越えて教会行く夫人が毎日、丘に向かって『平らになれ!』と言って、命じ続けて、やがて日本軍の飛行場になった。

 

 

パウロとシラスは投獄された試練の中で痛みをこらえて賛美しました。体と心の激痛の獄中で賛美 

その後、救いと脱出の奇蹟が起きました。

使16:23 何度もむちで打たせてから、ふたりを牢に入れて、看守には厳重に番をするように命じた。16:24 この命令を受けた看守は、ふたりを奥の牢に入れ、足に足かせを掛けた。16:25 真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。

 

24人長老は地上が艱難時代の只中で感謝しました。神様の正しい白い御座の裁きがその後始まります。

 黙11:16 それから、神の御前で自分たちの座に着いている二十四人の長老たちも、地にひれ伏し、神を礼拝して、11:17 言った。「万物の支配者、今いまし、昔います神である主。あなたが、その偉大な力を働かせて、王となられたことを感謝します。

 

ヨブは破産と子供たち死別の只中で賛美しました。ヨブはその後に失われたすべての2倍の祝福を受けました。

ヨブ1:21 そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」

 

ヨナは大魚の胃袋の中。暗く死に向かう絶望環境の只中で感謝祈祷です。その後のヨナは死から救われニネベ宣教で活躍します。 

ヨナ2:9 しかし、私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえをささげ、私の誓いを果たしましょう。救いは主のものです。」2:10 主は、魚に命じ、ヨナを陸地に吐き出させた。

 

イエス様は宣教を拒まれた只中で賛美ができた達人です。イエス様の宣教はその後、使徒の働き同様、世界中でリバイバルです。

ルカ10:21 ちょうどこのとき、イエスは、聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。

 

イエス様は僅かしかない食糧難の只中で感謝されました。その後、パンは増えて会衆と弟子たちの必要を満たしました。

ヨハ6:11 そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。

 

イエス様は依然ラザロ死んでいる只中で感謝されました。ラザロはその後、復活しました。

ヨハ11:41 そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて、言われた。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。11:42 わたしは、あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました。しかしわたしは、回りにいる群衆のために、この人々が、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じるようになるために、こう申したのです。」

 

試練の時につぶやかないで神様に感謝と賛美を捧げましょう。その優れた信仰を見て神様が奇蹟をもって救ってくださいます。

 

 「18種類の祈り」 

 

1,大声の祈り エレ33:2 「地を造られた主、それを形造って確立させた主、その名は主である方がこう仰せられる。わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事をあなたに告げよう。」例)盲人バルテマイ  ヘブル5:7 キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」

 

2,静かな祈り マタ9:20 「すると、見よ。十二年の間長血をわずらっている女が、イエスのうしろに来て、その着物のふさにさわった。「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」と心のうちで考えていたからである。」 例)ハンナ

 

3,誓願の祈り ヤコブ 創28:19 イエス様 マタ26:29 「ただ、言っておきます。わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」

 

4,先取り感謝と後から感謝の祈り イエス様 ヨハ11:41 「そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて、言われた。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。わたしは、あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました。しかしわたしは、回りにいる群衆のために、この人々が、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じるようになるために、こう申したのです。」そして、イエスはそう言われると、大声で叫ばれた。「ラザロよ。出て来なさい。」

 

5,期間を定めた祈り ダニエル21日 イエス様40日 モーセ40日 エリコ7日 エステル3日 ダニエル3度

 

6,朝の祈り マル1:35 イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。

 

7,徹夜の祈り イザ38:13 私は朝まで叫びました。主は、雄獅子のように私のすべての骨を砕かれます。

 

8,知性の祈りⅠコリ14:15 「ではどうすればよいのでしょう。私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。」

 

9,異言の祈りⅠコリ14:2 異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。

 

10,ねばり強い祈り エリコ城攻略7日間 ヨシュア6:10  ナアマン将軍7回入水  エリヤ7度確認の祈り

イエス様 3時間ゲッセマネの祈り 盲人癒し2回の祈り

 

11,断食の祈り 部分ダニエル21日間 バプテスマのヨハネ 完全エステル エズラ8:21 イエス様40日間

 

12,主の祈り マタ6:9 御名をあがめる 主の7つの御名 

1、ヤウェ・エレ(備えられる神)創22:13,

2、ヤウェ・ラファ(癒される神)出15:26, 

3、ヤウェ・ニシ(勝利の旗となる神)出17:8, 

4、ヤウェ・ シャローム(平安の神)士師6:24, 

5、ヤウェ・ロイ(牧者の神)詩篇23:1, 

6、ヤウェ・チィディケヌ (正義となる神)エレミヤ23:6, 

7、ヤウェ・シャマ(そこにいます神)エゼキエル48:35

 

13,しるしを求める祈り ギデオン 士師6:36 羊の毛で戦争勝利のしるしを求めた 御心を求める祈り

ダビデ Ⅱサム2:1 「この後、ダビデは主に伺って言った。「ユダの一つの町へ上って行くべきでしょうか。」すると主は彼に「上って行け」と仰せられた。ダビデが「どこへ上るのでしょうか」と聞くと、主は、「ヘブロンへ」と仰せられた。」

 

14,見つめる祈り ヤコブ 創30:37 羊とヤギの群れに適用 アブラハム 創15:5 無数の子孫を星に適用

 

15,御言葉で告白、宣言の祈り イエス様 ルカ4 と書いてある ペテロ 使徒3:6 パウロ 使徒14:9

 

16,命じる祈り イエス様 対レギオン 無花果の木 山 湖 12歳の死んだ少女 ラザロ

 

17,とりなしの祈り エズラ 祖国のため モーセ 民族のため イエス様 個人のため ペテロ

 

18,悔い改めの祈り ルカ18:9 「自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスはこのようなたとえを話された。」

 

ピリピ4:6 「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」

 

マル11:24 「だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」

 

Ⅰペテ3:11 「悪から遠ざかって善を行い、平和を求めてこれを追い求めよ。3:12 主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行う者に立ち向かう。」

 

 

 

創49:9 「ユダは獅子の子。わが子よ。あなたは獲物によって成長する。雄獅子のように、また雌獅子のように、彼はうずくまり、身を伏せる。だれがこれを起こすことができようか。49:10 王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。」

 

今はまだ、反日の隣国が少しありますが、「ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。」との預言通り、日本こそ、聖書の民、ユダ族の末裔と世界が知り、イスラエル国土は、実は元々、天皇の祖先たち、イスラエルから渡来してきた日本人のものだったと世界が知る時が来ます。

 

聖書外典エズラ書第4書13:39

「あなたは、彼が別の穏やかな群衆を自らの許に集めるのを見たが、これらはヨシア王の時代に捕えられ、その領土から 連れ出された九つ(別訳、十つ)の部族である。アッシリア王シャルマネサルがこれを捕虜として連れて行き、河の向こうへ移した。こうして彼らは 異国に連れて行かれた。しかし彼らは異邦人の群れを離れ、かつて人のやからが住んだことのない更に遠い国へ行こうと相談した。それは自分の国で は守っていなかった律法をそこで守るためであった。こうして彼らはユーフラテス川の狭い径を通って入って行った。その時、至高者は彼らに対して 奇蹟を行ない、彼らが渡るまで川の流れを止められた。道程はその地方を通って1年半の遠さであった。その地域はアルツァレトと呼ばれる。それから彼らはそこに終わりの時まで住んでいた。」

 

(当時、十部族100万人。「アルツァレト」は古代地図になく、「最も遠い地(果ての地)エレツ・ア ヘリト」、「もう一つの土地 エレツ・アヘレト」の意味)

 

「アルツァレト」で最後に「極めて多数の奇蹟」が起こるリバイバルも預言されています。彼らはヒゼキヤ王41歳。

息子インマヌエル王子21歳。預言者イザヤ60歳の時に祖国を捨てて東の果て、日の出ずる国、日本に向かい出港しました。

 

同13:48-50「しかし、またあなたの民の中から生き残った者たち、私の聖地(アルツァレト)に見出される者も救われるであろう。だから至高者(神様)は集まった諸国の民の群れを滅ぼす時、生き残った民を保護するであろう。そしてその時、主(神様)は彼らに極めて多数の奇蹟を示すであろう。」

 

アルツァレトとは日本です。

 

しかし、最後の日本勝利より遥かに大事なことがあります。イエス様の十字架が如何ほど凄惨な大艱難であり、私のため支払われた偉大な神様の犠牲愛でした。その身代わりの死こそ、私たちが地獄に落ちないための神様ご自身が十字架で地獄体験された真の身代わりの死だったのです。そして死後、三日目に復活されたイエス様を信じれば、私たちはイエス様の血で洗われて罪赦され、神の子となって永遠の素晴らしい天国に誰でも入れます。

 

ヨハ5:28-29「このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子(イエス)の声を聞いて出て来る時が来ます。善を行った者は、よみがえっていのちを受け、悪を行った者は、よみがえってさばきを受けるのです。」

 

Ⅰコリ15:3-4 「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと」なのです。

 

私たち罪人が救われるには、どうしても神様の御子イエスの十字架の犠牲が必要だったのです。イエス様の地獄の受難のすべては私の地獄の受難の身代わりです。イエスの様の天国の復活は私の天国の復活です。

 

ヨハ14:6 「イエスは彼に言われた。「私が道であり、真理であり、いのちなのです。私を通してでなければ、誰ひとり父のみもとに来ることはありません。」

 

 

 

セルフイメージを変える法則

 

ロマ12:2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

 

誰かがあなたを悪く評価して誹謗中傷ちゅうしょうしても気にするな。神様が高価で貴いと認めている。

この世と調子を合わせてはいけません

この世の声とは、

学校の担任教師が子どもたちにいかに誤った評価を下しているかを示す一覧表です。
トーマス・エジソン

「この少年は頭が悪くて何一つ学ぶことができないので、これ以上学校へ来ても無駄である」

アブラハム・リンカーン

「4ヶ月しか学校へ行ってないことを思えば学業成績は優秀、しかし、空想家でよくバカげた質問をする」
アルバート・アインシュタイン

「彼はクラスでも特殊な存在。10歳になるのに、ようやく簡単な読み書きが出来るようになったばかりである。頭は悪いし、友達とは遊べないし、バカげた空想の世界にいつまでも浸っている。この子に対して、あまり高い成果を求めるべきではない」

エンリコ・カルーソー「彼は声が良くないから、とても歌手になんかなれない」

オペラ史上において有名なテノール歌手

ルイ・パスツール「化学の成績が22人中15番では、将来性はあまりないと思える」
近代細菌学の祖と呼ばれたフランスの生化学せいかがく者・細菌学者


アレクセイ・トルストイ「彼は何も学ばず、学ぶ気もない」
ロシアの生んだ世界的な小説家


これらの人々は教師や上司といった、権威ある人間の自分に対する否定的な評価を決して受け入れませんでした。私たちは、それぞれ神の最高傑作です!
「私たちは神の最高傑作であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです」(エペソ2:10)

 

ローマの哲学者 マルクス・アウレリウス 「人生とは、自分の考えが作るものである」 

 

ウォルト・ディズニー 「夢見ることができるのなら、それは可能である」 

 

ウィンストン・チャーチル 「将来の帝国とは、心の帝国である」 

 

人生は考えた通りになるとあらゆる成功者や偉人が言っています。あなたが信じているのは成功者の常識ですか、それとも90%の常識ですか?

 

ヴィックという名前の少年が15歳の時、学校の先生からこう言われました。
「お前は決して学校を卒業できないだろう。今のうちに中退して、何か職を身につけるべきだ!」
彼はその通りにし、その後の17年間は様々な仕事を転々としました。
ところが、ある日、1つのテストを受けました。 その結果、ヴィックのIQは161もあり、天才であることが判明したのです。それからのヴィックはどうなったでしょうか?
彼は自分を天才と自覚するようになり、天才らしく行動するようになったのです。
彼は著作活動をし、数多くの特許をとり、ビジネスマンとしても成功しました。中途退学、劣等性との烙印を押されていたヴィックがです!そして、ついにアメリカのインターナショナル・ソサイエティ(IMS)の会長に選ばれましたこのIMSの資格はIQが140以上です!

 

北川景子

一日の始まりに『今日は絶対いいことがある!お願いします!悪いこととかは考えないようにしてる。
その代わりに自分をほめてあげるんです。

 

武井咲たけい えみ

化粧品のイメージガールになるのが夢だった。鏡を見ながら自分を誉めている。

 

西田敏行

映画俳優に憧れるようになり、小学五年生の時から映画のスクリーンに映る自分を想像するようになった。

 

アーノルド・シュワルツネッガー

若い頃の話だけど自分が思い通りの人間になって、思い通りのものを手に入れてる姿を想像してた。必ずそうなるんだって完全に信じ込んでたんだ。初めてミスター・ユニバースに出た時だって会場へ行ったときには優勝したつもりになってた。タイトルはとっくに俺のものだってね。心の中で何度も優勝してるから、自分が勝つことをこれっぽっちも疑ってないわけさ。その後、映画の世界に入ったときもやっぱり同じ。大スターになってがっぽり儲けている自分を心に描いた。そしたら、もうすっかり成功した気分だ。全部その通りになる!ただそう信じてたんだ・・・

 

羽生結弦選手

ソチオリンピックで金メダルを取るために、金メダルの画像を眺める

 

アーノルドパーマー 

ゴルフの優勝体験の80%はイメージトレーニングの成果だった

 

長嶋茂雄

立教高校の野球部員 ダイヤモンドベースを走りイメージトレーニングしていた

 

アンソニー・ロビンズ 何万人もの人生を成功させているカウンセラーは、
『成功する根拠がなくても、成功体験を繰り返しイメージすることで、次々と不可能を可能にすることができる』

『人間の脳は、“実体験”と“想像上の体験”の違いがわからない。成功者は例外なく、“自分の成功を確信する”能力がずば抜けている。』

 

ヘブル11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。

 

負のイメージトレーニングも現実になる

ヨブ ヨブ3:24 実に、私には食物の代わりに嘆きが来て、私のうめき声は水のようにあふれ出る。3:25 私の最も恐れたものが、私を襲い、私のおびえたものが、私の身にふりかかったからだ。3:26 私には安らぎもなく、休みもなく、いこいもなく、心はかき乱されている。

 

侍従 Ⅱ列王7:2 しかし、侍従で、王がその腕に寄りかかっていた者が、神の人に答えて言った。

「たとい、主が天に窓を作られるにしても、そんなことがあるだろうか。」そこで、彼は言った。

「確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない。」

意識変化 とあるビルの清掃員が毎日だらだらと仕事をしていて、それを見かねた社長が清掃員に清掃員ではない肩書きを与えました。「Lifekeeper(ライフキーパー)」というものです。

すると、その清掃員は次の日からまじめに仕事をするようになり、ビルで働く人がより心地よい空間を作ろうとし始めました。 この清掃員はなぜこんなにも変わってしまったのか?それは清掃員からライフキーパー(いのちを保つ)という重要な使命感ある職業意識でセルフイメージアップにつながったからです。仕事も給与も変わらないのにイメージが上がっただけで人間はこんなにも変わってしまうのです。

 

Ⅱコリ5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

 

ガラ6:15 大事なのは新しい創造です。

 

イザ43:18 先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。43:19 見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。

 

グレース・ベデルという11歳の少女はアブラハム・リンカーンの頬がやせ細った顔写真を見ながら、

大統領選挙目前に「存在感を示すために、あごひげを生やした方がいい」という手紙を送った。

「私には4人の兄がいます。何人かはあなたに投票するに違いありませんが、もしあなたがお髭を生やすようにしたら、残りの兄弟もあなたに投票するでしょうし、あなたの顔は引き締まってもっと良く見えるようになりますよ。お髭が好きな女性は旦那さんにあなたに投票するようにせっつくでしょう。そうなればあなたが大統領です。」

アドバイスにこたえて1ヶ月後、リンカーンは豊かなひげを伸ばし、大統領選挙に当選した。

 

セルフイメージ改革で重要なのは、意識変化 群れの法則

 

創世記で生き物が同じ種類ごと群がる法則。カラスとスズメは群がらない。 

創1:20 神は仰せられた。「水には生き物が群がれ。鳥が地の上、天の大空を飛べ。」1:21 神は、海の巨獣と、種類にしたがって、水に群がりうごめくすべての生き物と、種類にしたがって、翼のあるすべての鳥を創造された。神はそれを見て良しとされた。1:22 神はそれらを祝福して仰せられた。「生めよ。ふえよ。海の水に満ちよ。また鳥は地にふえよ。」1:23 夕があり、朝があった。第五日。1:24 神は仰せられた。「地が、種類にしたがって、生き物を生ぜよ。家畜や、はうもの、野の獣を、種類にしたがって。」そのようになった。1:25 神は、種類にしたがって野の獣を、種類にしたがって家畜を、種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。神はそれを見て良しとされた。

 

成功者同士が互いに集まって情報交換しながらますます成功を極めるものであり交際相手をよく選ばなければなりません箴言20:18「相談して計画を整え、すぐれた指揮のもとに戦いを交えよ。」

 

漫画家たちの聖地と言われたトキワ荘

漫画家の世界でトキワ荘といえば有名漫画家を多く輩出したアパートとして有名ですが、手塚治虫さんをはじめ、赤塚不二雄さんや藤子F・不二夫さんなど後になって世界的に著名な漫画家が多く一箇所から輩出されたことは 時にライバル意識を高め、彼ら漫画家志望で情熱を燃やす若者たちが互いに情報交換しながら、相乗効果的にいい作品を出すようになった。 箴言27:17「鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる」

いい意味でのライバル意識を高めて熱意を起こさせる同業者の友を見出してください。

しかし、事の真実は・・・

同じ漫画家志望の若者たち貧しいボロアパート暮らし。ある日、黒い服とユダヤ帽子の太ったフリーメイソン使者がやって来た。「あなたの夢をかなえましょう。たった一つの条件だけ守ってくださいね。それは我々の組織のことは絶対口外しないこと。そして我々の教える通りのストーリーやロゴマークを漫画に描いてくださいね。ドーン。」

そこからテレビヒットした鉄腕アトム、ドラえもん、仮面ライダー、サイボーグ009、天才バカボン、秘密のアッコちゃん。トキワ荘をよく訪問していた横山光輝みつてるは鉄人28号、バビル2世。

 

日本の近代史でも群れの法則が不思議と明確に現れています。植物学者であり、実質、キリスト教伝道者でもあったクラーク博士のいた札幌農学校(今の北海道大学)では、後に著名なキリスト教思想家、内村鑑三やキリスト教教育者で国際連盟事務次長の渡戸稲造、植物学者の宮部金吾、中高学校で英才教育指導の岩崎行親が同級生であり、内村が単身上京して有馬学校英語科に入学すると同級生に後の日本銀行総裁となる三島弥太郎がいました。内村鑑三が、東京外国語学校の下等第四級に編入しすると、ジャーナリストで政治学者の末松謙澄がいて、経済学者衆議院議員、早稲田大学学長の天野為之や北海道帝国大学初代総長、日本初の農学博士、佐藤昌介。さらに後の首相となる加藤高明がいました。

これらの人々は西洋文化に憧れ、キリスト教に大志をいだき、向学心を持って一致して集まっている。

 

ドナルド・トランプ

第45代アメリカ合衆国大統領。世界中でホテルやゴルフ場などの不動産開発を手がけ、超高層ビルのトランプ・タワーを完成させた。「最高の人材しか雇わない」「情報を手に入れることが重要で、かたっぱしから人に会いに行け」「1日3時間は内省しろ」と言っている。

 

 
外典聖書 ヨブの遺訓
 

1章

ヨバブと呼ばれる者、ヨブの言葉の書。

病に倒れた日、身の回りのことを整理し始めた、彼は7人の息子と3人の娘を呼んだ。
彼らの名前はテルシ、コロス、ヒュオン、ニケ、フォロス、フィフェ、フォラン、ヘメラ、カシア、アマティアス・ホーンである。彼は子供たちを呼んで言った。「集まれ、我が子たちよ、私のもとに集まってくれ。主が私にしてくださったこと、そして私に起こったすべてのことをお前たちに見せよう。私はお前たちの父、ヨブであり、耐え忍んできた者だ。お前たちは選ばれた栄誉とヤコブの種から授かった恵みの中にいる。お前たちの母の父、ヤコブの種である。私はエサウの子孫であり、ヤコブの兄弟だ。お前たちの母ディナもそこから来ている。彼女との間にお前たちをもうけた。私の前妻は他の10人の子供たちと共に悲惨な死を遂げた。だから聞け、我が子たちよ、私に起こった出来事をお前たちに示そう。

 

2章

さて、私はかつてヨバブと呼ばれていたが、主が私をヨブと名付けた。その後、私はヨブと呼ばれるようになり、崇拝される偶像の神殿のすぐ近くに住んでいた。そこでは常に全焼のいけにえが捧げられているのを目にしていたが、私は心の中で考え始めた。「本当にこれが天と地、海、そして私たち自身を創造した神なのだろうか?どうすればそれを知ることができるのだろう?」

 

3章

ある夜、私は床に就いていたとき、非常に明るい光の中で大きな声が私に響いてきた。「ヨバブ、ヨバブ」と。そのとき私は「はい、ここにおります」と答えた。するとその声が言った。「立ち上がれ。お前が知りたがっている者をお前に示そう。彼らが全焼のいけにえを捧げ、酒のささげものを注いでいる者は神ではない。その力は人間の本性を欺く悪魔のものである。」

これを聞いたとき、私は床に伏して礼拝し、「私の魂の救いのために来てくださった主よ、どうかお願いです。本当にこれが人々を欺くサタンの場所ならば、私にその場所を清める権威を与えてください。そこで彼に注がれる酒のささげものを止めることができるように。私はこの地域を治めているので、誰がそれを禁じることができましょうか?」

 

4章

その光は私に答えて言った。「お前はこの場所を清めることができる。しかし、主が私に伝えるよう命じたすべてのことをお前に示そう。」私は言った。「主が僕に命じたことは、何であれ聞き入れ、行います。」

再びその声が言った。「主がこう言う。もしお前がサタンのこの場所を清めようとするなら、彼はお前に対して怒りを持って戦いを挑むだろう。しかし彼はお前を殺すことはできない。多くの災いをお前にもたらし、お前の財産を奪い、お前の子供たちを連れ去る。しかし、お前が忍耐強く耐えるならば、私はお前の名を世の終わりまで全地に知られるようにする。そして再びお前の財産を返す。それは倍返しになるであろう。こうして主が偏りなく、従う者すべてに良いことを与えることを知るだろう。またお前は復活の日に立ち上がり、痛みを耐えながらも冠を得る競技者のようになる。そのとき、お前は主が公正で真実であり、選ばれた者たちに力を与える強いお方であることを知るであろう。」

 

5章

我が子らよ、そこで私は、「死ぬまで耐え忍び、一歩も引き下がりません。」と彼に答えた。天使によって封印された後、彼が去ったとき、私は翌晩、50人の若者を連れて偶像の神殿へ行き、それを地に倒して破壊した。そして家に戻り、戸がしっかりと閉められるように命じた。

 

6章

聞け、小さき我が子たちよ、不思議に思うがよい。私が家に入り、扉をしっかりと閉めたとき、私は門番にこう命じた。「今日、誰かが私を尋ねてきても、何も知らせず、彼は忙しくて時間がないと言うように」。その間、私は家の中にいたが、サタンが物乞いに変装して扉を叩き、門番にこう言った。「ヨブに会いたいと伝えてくれ」と。門番がそのことを私に伝えたとき、私は「今は時間がない」と答えるように言った。

 

7章

サタンはその言葉を聞くと立ち去り、肩に荷を背負って戻ってきた。そして門番に「ヨブに伝えてくれ。パンを一切れ渡してほしい。食べたいのだ」と言った。そこで私は焼け焦げたパンを門番の娘に渡し、彼に渡すように言い、「もう私のパンを食べることは期待するな。お前は私から遠ざけられたのだから」と伝えた。しかし、娘はその焼け焦げたパンを渡すのが恥ずかしく、彼がサタンだとは知らずに、自分の良いパンを彼に渡してしまった。

サタンはそのパンを受け取ると、何が起こったのかを悟り、娘に言った。「去れ、悪い召使よ。私に与えるべきパンを持ってこい」。娘は深い悲しみで泣きながら言った。「本当に、あなたは私を悪い召使だと言うでしょう。もし私がそうでなかったならば、主人の指示通りにしたはずです」と。

娘が戻ってくると、焼け焦げたパンをサタンに渡し、「私の主がこう言っています。もうお前に私のパンを食べさせることはない。私はお前から遠ざけられたからだ。しかし、何も渡さなかったと非難されないように、このパンを与える」と伝えた。

サタンはこれを聞くと、娘を私のもとに送り返し、「このパンが完全に焼けているように、私もお前の体を同じようにするだろう。一時間以内にお前を打ち倒し、破壊してやる」と言った。私は彼に答えた。「お前の望むことをやれ。お前が私に何かをもたらそうとしているならば、私はお前が与えるどんな苦痛にも耐える準備ができている」

 

8章

彼が私のもとを去り、大空の下から離れた後、彼は主に懇願し、私の財産に対する権限を得ようとした。そして、彼がその権限を得たとき、再び戻ってきて、私の全財産を奪い去った。

 

9章

だから聞いてくれ、私に起こったすべてのこと、そして私の損失についてお前たちに示そう。

私はかつて13万匹の羊を持っていたが、そのうち7,000匹を孤児や未亡人、貧しい者や困窮した者のために毛を刈るために指定していた。また、80匹の犬が私の羊の群れを守り、さらに200匹の犬が家を守っていた。私は9,000頭のラクダを持っていたが、そのうち3,000頭を各都市で働かせ、良いものを積んで街や村に送り、困窮した者や貧しい者、すべての未亡人に分け与えるよう命じていた。また、14万頭の放牧されている雌ロバを持っていた。そのうち500頭を選び、その子供たちを売って貧しい者や困っている者に与えるように恒常的な指示を出していた。さまざまな地域から人々が私に会いに来るようになり、私の家には4つの扉が常に開かれていた。私は召使に、これらの扉を常に開けておくよう命じていた。なぜなら、誰かが施しを求めて来て、私が扉の前に座っているのを見て、恥ずかしくて引き返してしまうかもしれないからだ。そこで、彼らが私を1つの扉で見かけたときは、別の扉から入り、必要なだけ取っていけるようにしていたのだ。

 

10章

また、私の家には常に30のテーブルを設けて、常に旅人たちのために食事を提供していた。さらに、12のテーブルは未亡人のために特別に設置していた。どんな旅人が施しを求めて来ても、彼はまず私のテーブルで食事をしなければならなかった。その後に施しを受けることができた。また、誰も私の家を空のポケットで出ることを許さなかった。私は3,500頭の牛を持っており、その中から500頭を選び、耕作用として指定していた。それらを使う者がどのような分野でも使用できるようにし、その収穫物を貧しい者のために確保していた。さらに、50のパン屋を持っており、それらを利用して貧しい者たちのために食事の支援をしていた。

 

11章

また、私の熱心さを見て、助けを申し出る旅人もいた。彼らの中には、当時は資源もなく、投資するものもない者たちがいて、「どうか私たちにも彼の奉仕に参加させてください。私たちは何も持っていませんが、私たちに慈悲をかけ、遠くの町へ商売に出るための資金を貸していただければ、最も貧しい者のために奉仕し、その後に必ず返済します」と頼んできた。

これを聞くと、私は喜び、彼らが貧しい者のために私から何かを取っていくことを許した。そして、彼らの要求に応じて、書面を受け取り、望むだけの金額を貸し出した。担保は書面だけで、私の費用で彼らが出発するのを見守った。時には彼らが商売に成功し、貧しい者たちに施しをすることもあったが、他の時には略奪に遭い、戻ってきて「どうかお待ちください。返済の方法を見つけるまでお許しください」と懇願した。

その時、私は書面を取り出し、読み上げながら、その書面を取り消すと宣言した。「私は貧しい者のためにお前たちを信頼していたので、何も取り戻すことはしないし、借金を取り立てることもない。」

 

12章

時折、心から喜んでいる男が私のもとに来て、「私は裕福ではなく、困窮者を助ける力はありませんが、今日、あなたのテーブルで貧しい者のために奉仕したい」と言った。合意が成立すると、その男は奉仕し、夕方には食事をとり、帰ろうとする際には、私から賃金を受け取るように強いられた。私は「お前が働く者であり、賃金を期待していることは知っているので、受け取らなければならない」と言った。また、賃金を受け取る者たちが私の家に留まることは許さなかった。

 

13章

牛の乳搾りをする者たちは疲れ果て、山々には乳が流れ、道路にはバターが広がっていた。私の家畜は岩や山に寝かされ、鳥たちのために乳が山々を洗い流し、固まったバターのようになった。未亡人や貧しい者たちのために食事を準備していた私の召使たちも疲れ果て、「誰が彼の肉を一部分でもくれるのだろうか」と私を軽蔑して呪うこともあった。それにもかかわらず、私は非常に親切であった。

 

14章

私は6つの詩篇と10弦のリラを持っており、未亡人たちに食事を与えた後、毎日自分を奮い立たせてリラを取り出し、演奏して彼女たちに賛美歌を歌わせていた。これにより、神を思い起こさせ、主を称えるようにしていた。もし私の女中たちが不平を言い始めた場合、私はリラを取り、弾きながらその報酬として彼女たちを黙らせることで、不平を止めさせていた。

 

15章

奉仕が終わった後、私の子どもたちは毎晩夕食をとり、年長の兄のもとに行って彼と共に食事をし、3人の姉妹も一緒に連れて行った。急用の問題は女中たちに任せ、私の息子たちは召使たちと一緒にテーブルに座っていた。そこで私は、彼らのために300羽の鳩、50匹の子ヤギ、12匹の羊を犠牲として捧げた。また、儀式が終わった後に残ったものを貧しい者たちに与えるように指示した。そして「これらの儀式後の残り物を取って、私の子どもたちのために祈ってください。おそらく私の息子たちは、尊大に『我々はこの裕福な男の子どもであり、これらの財産は我々のものである。なぜ我々も奉仕するのか』と言って、主の前に罪を犯したかもしれません。誇りは神の前で忌まわしいものです」と言った。また、神の祭壇に選ばれた雄ヤギを捧げて、私の息子たちが神に対して悪い考えを持っているかもしれないことを祈った。

 

16章

私がこれらのことを行っていた7年間、天使が私に啓示を与えた後、サタンは権限を受けると、無慈悲に降りてきて、未亡人のために指定していた7,000匹の羊、3,000頭のラクダ、500頭の雌ロバ、500頭の牛を焼き払った。これらすべてを自らの手で破壊した。サタンが受けた権限に従って、私に対して行ったのだ。残りの家畜は、私によく扱われていた同胞たちによって押収され、彼らは私に対して立ち上がり、残りの動物を奪っていった。彼らは私に財産の破壊を報告したが、私は神を称え、冒涜することはなかった。

 

17章

その後、悪魔は私の心を知り、私に対して策略を巡らせた。ペルシャの王に変装して私の街に現れ、街のすべての悪党たちを集めた。そして、自分を誇示しながら彼らに言った。「この男ヨブは、地上のすべての善を破壊し、何も残さなかった。乞食や盲人、足の不自由な者たちに施しを施した者であり、また偉大な神の神殿を破壊し、飲み物の供え物の場所を平らにした。だから、私も彼が神の家に対して行ったことに見合う報いをしよう。さあ、彼のすべての動物や残されたものを略奪して、自分たちのものにしよう。」彼らは応じて、「彼には7人の息子と3人の娘がいる。彼らが他の土地に逃げて、私たちに対して訴えるかもしれないし、私たちに立ち向かい、最終的には私たちを殺すかもしれない」と言った。すると彼は言った、「心配することはない。彼の財産のほとんどはすでに火で破壊した。他のものは押収したし、彼の子どもたちも殺してしまうだろう。」

 

18章

彼がこれらのことを彼らに話すと、去って行き、私の子どもたちの上に家を崩壊させて彼らを殺した。私の同胞たちは、言われたことが本当に起こったのを見て、私を追い詰めて攻撃し、私の家のすべてを奪い始めた。私の目には、安っぽく価値のない者たちが私のテーブルやソファに座っているのが見えた。私は疲れ果てて何も言えず、まるで出産の苦痛で骨盤が麻痺している女性のようだった。主が天使を通して予告した戦いと、私に語られた勝利の歌を最もよく思い出し、私はある都市に入ってその富を発見し、その栄光の一部を得たいと望む者のようになり、また、貨物を載せた海行きの船に乗り込み、大洋の中で風に逆らって第三の波を見たとき、船とその荷物よりも良いものを得るためにすべてを失う覚悟で荷物を海に投げ入れるように、自分の財産を天使たちが語った都市に比べて何もないものと考えた。

 

19章

最後の使者が来て、私の子どもたちの喪失を知らせたとき、私は深く動揺し、衣服を引き裂きながら報告を持ってきた者に「どうしてあなただけが助かったのか?」と尋ねた。そして、何が起こったのか理解したとき、私は大声で泣き叫びながら、「主は与え、主は取り去られた。主が良しとされたように、そうなったのだ。主の名は祝福されるべきだ」と言った。こうして、私のすべての財産が消え去った。

 

20章

サタンは、私を軽蔑させることができないと判断し、私が座っているときに私の体を主から取り上げるように頼んで、私に病を負わせるために使わせてくれるよう求めた。その後、主は私の体に関してはサタンの手に渡したが、私の魂に対しては権限を与えなかった。サタンは私の子どもたちの喪失を嘆きながら玉座に座っている私のところに来て、大きな暴風のようになり、私の玉座をひっくり返した。私は玉座の下に3時間も閉じ込められ、逃げることができなかった。そして、頭から足の先まで激しい病に打たれ、困難と苦悩の中で私は街を離れ、糞尿の山の上に座った。体は虫にたかられ、体からの分泌物が地面を湿らせた。体の中には多くの虫がいて、もし虫が体から落ちたときは、それを拾い上げて元の場所に戻し、「指示があるまで、ここに留まっていなさい」と言っていた。

 

21章

私は、48年間糞尿の山の上で病に苦しみながら過ごしました。その間、私の妻が水を運んでいるのを目撃しました。それも、ある貴族の家で女中として働きながら、パンを手に入れて私に持ってくるためにです。私は驚き、「この街の者たちのなんという冷酷さだろう。どうして彼らは私の妻を奴隷のように扱うのか」と言いました。その後、私は冷静さを取り戻しました。

 

22章

11年間の後、彼らは私にさえもパンを禁じ、彼女が自分の食べ物さえもわずかにしか持てないようにしました。彼女が食べ物を手に入れたときは、自分と私のために分け与え、「なんと痛ましいことか、もうすぐ彼には十分なパンさえもないだろう」と嘆きながら言いました。彼女は市場に行って、パンの貯蔵庫からパンを焼いて私に持ってきて、私が食べられるようにしていました。

 

23章

サタンがこれを知ると、彼はパン屋の姿に変装しました。偶然にも、私の妻が彼のところに行き、彼が普通の人間だと思ってパンを乞いました。サタンは彼女に、「値段を払って、お好きなものを取ってください」と言いましたが、彼女は「どこでお金を得られるでしょうか?私たちに降りかかった悪を知らないのですか?もし私に憐れみを持っているのなら、慈悲を示してください。そうでなければ、あなたに見せることになるでしょう」と答えました。サタンは「もしあなたがこれらの悪に値しなければ、受け取ることはなかったでしょう。今、手元にお金がないのなら、髪の毛を差し出しなさい。そして、これらの三つのパンを取ってください。おそらく、あと三日間は生き延びることができるでしょう」と言いました。彼女は、自分の髪の毛が空腹の夫と比べて何の役に立つのかと考え、髪の毛を軽蔑しながら「どうぞ、取ってください」と言いました。すると、サタンはハサミを取り出し、彼女の髪を刈り取って三つのパンを渡しました。周囲の人々が見守る中、彼女はパンを受け取り、それを私に持ってきました。サタンは彼女の後をこっそりと歩きながら、彼女の心を惑わせました。

 

24章

妻が近づき、涙を流しながら私に言いました。「ヨブ、ヨブ、どれだけ長くこの糞尿の山の上に座っているつもりですか?ほんの少しだけ待って、救いの希望を持っているだけですか?私はさまよい歩く女中で、あちこちを回っているのです。あなたの記憶は地上から消え去り、私の苦労の末に生まれた息子たち、娘たちも同様です。あなたはここで虫に侵された腐敗の中で夜を過ごしており、私は一日の労働と夜の苦痛に浸かっています。たった一つのパンを提供し、持ってくるために、わずかに自分の食べ物を受け取り、それをあなたと私で分け合っているのです。あなたが病気であるだけでなく、パンも十分に得られないことに心の中で疑問を感じながら、私は恥ずかしげもなく市場に行く決意をしました。たとえ心が痛んでもです。パン屋は『お金を出せばパンをくれる』と言いましたが、私は私たちの困窮を示し、彼から『お金がないなら、髪の毛で払え。そうすれば三つのパンを渡す。おそらくあと三日間は生き延びられるだろう』と聞きました。私は思い切って『髪を切ってください』と言い、彼は市場で群衆の前で私の髪を恥ずかしく切り落としました。」

 

25章

周囲の人々は驚きました。「これがヨブの妻であるとは。彼女はかつて14枚の布を持ち、部屋を守り、内側に扉があった。彼女のもとに入ることはかなりの価値があった。しかし今や彼女は髪の毛と引き換えにパンを手に入れている。かつては良いものを積んだラクダが貧しい地域に向かっていたのに、今や彼女はパンのために髪を提供している。かつては家に7つの食事用のテーブルが用意され、貧しい人や異邦人が食べに来たのに、今や彼女は髪の毛をパンと交換している。かつては金や銀で作られた足浴器を持っていたのに、今や彼女は裸足で歩き、髪の毛をパンと交換している。かつてはリネンと金で織られた衣服を持っていたのに、今やぼろきれを着て髪の毛と交換している。かつては金と銀の自分専用のソファを持っていたのに、今や彼女は髪を売ってパンを得ている。ヨブよ、多くのことが一般的に語られているが、私はあなたに簡潔に話す。心が弱っている私の骨は砕けそうだ。立ち上がり、パンを受け取り、満足した後、神に対して何か言葉を述べて死んでしまいなさい。そうすれば、私もあなたの体の痛みからくる疲れから解放されるだろう。」

 

26章

そのとき私は妻に答えました。「見てごらん、私はこの17年間、体の中の虫たちに苦しみながら生きてきたが、私の魂がこれほどまでに苦しめられたのは、あなたの言葉が原因だ。『神に対して何か言葉を述べて死にましょう』と。確かに、私たちはこれらの苦しみを受けているし、あなたも同様に子どもたちや財産を失った。しかし、神の手から良いものを受け取ったならば、悪いことも耐え忍ぶべきではないか?私たちは神が憐れみを持って私たちに慈悲を示してくださるまで忍耐しようではないか。あなたは、悪魔があなたの後ろに立って、あなたの理性を揺さぶり、私を欺こうとしているのが見えないのか?彼は、あなたを無知な女性として私を誤らせるために利用しようとしているのだ。」

 

27章

再び私の妻の後ろに立っていたサタンに向かって私は言いました。「前に出て来い。隠れていないで出てこい。ライオンは檻の中で力を示すか?鳥のひなは籠の中で飛ぶか?出て来て戦え。」すると、サタンは私の妻の後ろから出てきて立ち上がり、涙を流しながら言いました。「見よ、ヨブ、私は疲れ果てている。あなたが肉体の苦しみを受けている一方で、私は精神的に深い苦しみにある。私はまるで、ある選手が他の選手と戦い、一方が他方を抑え込んで砂を口に詰め込み、四肢を打ちのめしたが、耐え続けることで、下にいる選手が勝利を収めたようなものだ。あなたが私の試練に耐え抜いたため、私は敗北を認めざるを得なかった。」こうしてサタンは恥ずかしそうに去り、私のもとから三年間離れました。そして私の子たちよ、すべての出来事において忍耐しなさい。忍耐こそが何よりも価値があるのです。

 

28章

私が病気の中で20年を過ごしていると、王たちは私のことを聞きつけ、各国から私を訪ねるために立ち上がりました。彼らは私を励まそうとしましたが、距離から近づくと私を認識できず、声を上げて泣き、衣を引き裂き、灰を撒きました。そして彼らは私の隣に七日七夜座り続けましたが、誰も私に話しかけませんでした。これは彼らが忍耐していたからではなく、彼らが私を以前の繁栄を知っていたからです。かつて私は彼らに貴重な石を見せたとき、彼らは驚き、手を叩いて言いました。「もし私たちの三つの王国の財宝を一つの場所に集めたとしても、それはあなたの国の輝かしい石に及ばないだろう。」私は東方の人々よりも高貴であったのです。しかし、彼らがアオシティスに来て、「ヨブはどこにいるのか」と尋ねると、町の人々は「彼は町の外の糞の山の上に座っている。20年間、町に戻っていない」と答えました。彼らは私の財産について尋ね、私に起こったことが彼らに示されました。

 

29章

彼らがそのことを聞いたとき、彼らは市を離れ、町の住民と共に私のところに案内されました。しかし、彼らは私がヨブであると認めず、異議を唱えました。彼らは全く疑念を抱いていました。そのとき、テマの王エリファズが私に向かって言いました。「あなたは私たちの王ヨブですか?」と。私は泣きながら頭を振り、灰を頭に振りかけて言いました。「確かに、私はヨブです。」

 

30章

彼らが私が頭を振るのを見たとき、彼らは地面に倒れ込んで気を失いました。彼らの兵士たちは、三人の王がまるで死んだかのように倒れているのを見て動揺しました。三時間後、彼らは起き上がり、一人一人が互いに言いました。「これは本当に彼であるとは信じられない。」その後、彼らは七日間私の事業を再確認し、私の家から出された多くの善行や、周辺の村や都市に分配された品物を思い出しました。「どうして、彼はこんなに深刻な状態に陥ったのか」と言いました。

 

31章

七日間の考慮の後、エリファズは他の王たちに言いました。「彼が本当にジョブなのかどうか、よく尋ねてみよう。」しかし、彼らは私からの悪臭のために約半スタディオン離れた場所にいたため、香水を手に持ち、兵士たちが私の周りに香を撒きながら近づいてきました。彼らは三日間かけて香を供え、その後、エリファズが私に向かって言いました。「あなたはジョブ、私たちの仲間の王ですか?あなたはかつて浴室のような華やかさを持っていましたか?あなたは昼間、土地の中で太陽のようだった人ですか?あなたは夜中に月や星のように輝いていた人ですか?」私は「そうです、確かにそうです」と答えました。すると、エリファズは泣きながら王の哀悼の歌を呼び起こし、他の王たちとその兵士たちはそれに応じて歌いました。

 

32章

これはエリファズの哀悼の歌です。彼はジョブの富のすべてを祝福しながら歌っています。

「あなたは貧しい人々のために七千匹の羊を用意した人ではないか。では、あなたの玉座の輝きはどこにあるのか?あなたは三千頭のラクダを貧しい人々に物資を運ぶために用意した人ではないか。では、あなたの玉座の輝きはどこにあるのか?あなたは千頭の牛を貧しい人々のために耕作に使うために用意した人ではないか。では、あなたの玉座の輝きはどこにあるのか?あなたは黄金の寝台を持っていたが、今は糞の山の上に座っている。今、あなたの玉座の輝きはどこにあるのか?あなたは宝石で飾られた玉座を持っていたが、今は灰の中に座っている。今、あなたの玉座の輝きはどこにあるのか?あなたが子どもたちの真ん中にいたとき、あなたは香り高い果樹の芽のように咲いていた。しかし、今、あなたの玉座の輝きはどこにあるのか?あなたは貧しい人々のために六十のテーブルを設けていたが、今はあなたの玉座の輝きはどこにあるのか?あなたは香の祭壇を持っていたが、今は悪臭の中で暮らしている。あなたは銀の台の上に黄金のランプを持っていたが、今は月の光を待っている。では、あなたの玉座の輝きはどこにあるのか?あなたは乳香の香油を持っていたが、今は困窮している。では、あなたの玉座の輝きはどこにあるのか?あなたは不正義と罪人を嘲笑していたが、今はあなたも嘲笑されている。では、あなたの玉座の輝きはどこにあるのか?あなたは広大な輝きを持っていたジョブであるが、今、あなたの玉座の輝きはどこにあるのか?」

 

33章

ジョブがエリファズと他の王たちに対して語った言葉です。「静かにしてくれ。今、私の玉座を示そう。その威厳の輝きは聖なる者たちの中にある。私の玉座は上の世界にあり、その輝きと威厳は父の右手から来ている。この世界は過ぎ去り、その栄光も色あせるだろう。そしてそれを求める者たちは、その滅びに加わるだろう。しかし、私の玉座は聖なる地にあり、その輝きは変わらぬ者の世界にある。川は干上がり、その波の傲慢さは深淵に沈むが、私の地の川は干上がることはなく、消えることもない。これらのものは過ぎ去り、支配者たちは去って行くが、その栄光や誇りは鏡のようなものだ。しかし、私の王国は永遠であり、その輝きと威厳は父の戦車にある。」

 

34章

エリファズはジョブの言葉に怒りを覚え、他の王たちに言いました。「我々が軍を率いて慰めに来たのは何の役にも立たなかった。見よ、彼は我々を非難している。彼はこの腐臭と虫の苦しみの中に座りながら、我々の国々を嘲笑っている。王国は滅び、支配者たちも去るが、彼は自分の王国が永遠であると言う。エリファズは深い悲しみに満ちて立ち上がり、『我々は慰めに来たのに、彼は我々を部隊の前で貶める。』と言って、去って行った。」

 

35章

バルダズはエリファズに対して言いました。「このような言い方をするべきではない。彼はただでさえ悲しみにくれているだけでなく、多くの病に苦しんでいる。たとえ我々が健康であっても、この悪臭の中で近づくのは難しい。香料を多く使っても、近づくのがやっとだ。エリファズ、あなたは自分が病にかかった時を忘れてしまったのか?それは二日間だけのことでさえ、苦しんだではないか。今は彼の本当の状態を見極めるために忍耐しよう。もしかしたら彼は精神的に不安定になっているかもしれない。以前の繁栄を思い出し、心が乱れているのかもしれない。誰が病に苦しむと、心が乱れないだろうか。私に彼に近づかせてくれれば、彼の状態を確認することができる。」

 

36章

バルダッドは私に近づいて言いました。「あなたはヨブですか?」と尋ね、私は「はい」と答えました。

バルダッドは続けて言いました。「あなたの心は安定していますか?」

私は答えました。「私の心は地上的なことに固定されていません。地球とそこに住む者たちは不安定ですが、私の心は天上的なことに固定されています。天には混乱がありません。」バルダッドは続けて言いました。「地球が不安定であることはわかっています。時には平穏で、時には戦の時期もあります。しかし、天は常に平穏であると聞いています。もし本当に心が安定しているなら、最初の質問に対して適切に答えてください。もしそれに冷静に答えれば、次の質問をし、その答えが冷静であれば、あなたが感情的に動揺していないことがわかるでしょう。」

 

37章

バルダッドはさらに言いました。「では、あなたは誰に希望を置いていますか?」と尋ね、私は「生ける神に」と答えました。

バルダッドは続けて言いました。「では、あなたの財産を破壊し、これらの疫病をもたらしたのは誰ですか?」と尋ね、私は「神」と答えました。

バルダッドは再び言いました。「では、神に希望を置いているのに、どうして神が不公平だと考えるのですか?もし神が与えてから奪うのであれば、実際には与えなかったほうが良いのではないでしょうか?王が自分の兵士を尊重しないことはありませんし、主の深い事を理解できる者はいません。誰が主に不正を帰すことを許されるのでしょうか?答えてください、ヨブ。」

さらにバルダッドは、「もしあなたが本当に冷静で知恵があるなら、なぜ私たちは太陽が東から昇り、西に沈み、再び早朝に東から昇るのかを説明できますか?これらのことを説明してみてください。もしあなたが神の僕であるならば。」

 

38章

私は答えました。「私は冷静であり、心は健全です。なぜ主の壮大な事を語らないべきでしょうか?また、私の口が全く失敗するべきではありません。私たちはただの塵と灰であり、天の事に忙しくすることはありません。今、私の心が健全であることを知ってもらうために、ここで私からの質問があります。

食物は口に入り、水も同じ口から喉を通りますが、便所に達する際にこれらは分けられます。誰がそれを分けるのですか?」

バルダッドは答えました、「それはわかりません。」

私は続けて言いました、「もしあなたが体の機能を理解できないのに、どうして天の事を理解できるでしょうか?」

するとバルダッドは答えました、「私たちは私たちの理解を超えた事について尋ねているのではありません。あなたが健全な精神を持っているかどうかを知りたかっただけです。今、私たちは本当にあなたの知性が影響を受けていないことを知っています。それでは、私たちに何をしてほしいのですか?」

「私たちは旅をしているので、三つの王国から医者を連れてきました。治療を受けることを望みますか?もしかしたら、救済を見つけるかもしれません。」私の答えは、「私の癒しと治療は、医者を創造した主から来るものです。」

 

39章

私がこれらのことを話している間、私の妻がぼろぼろの衣を着て、役人たちの仕役から逃れて到着しました。彼らは彼女が出て行くのを禁じており、もし他の王が彼女を見て捕らえるかもしれないと恐れていました。彼女は彼らの足元にひざまずき、泣きながら言いました、「エリファズ、あなたとあなたの二人の友人たち、私がどのような人であったかを覚えていますか?そして私がどのように着飾っていたかを。今、私のぼろぼろの姿をご覧ください。」

彼らが大きな哀悼の意を表し、疲れ切って静かになったとき、エリファズは自分の紫の外套を脱ぎ、それを私の妻の周りにかけました。しかし、彼女は彼らに頼みました、「お願いです。あなたの兵士たちに崩れた家の瓦礫を掘り起こしてもらい、少なくとも私の子供たちの骨だけでも保存できるようにしてください。私たちにはその費用がないので、せめて骨だけでも見たいのです。私の十人の子供たちが亡くなり、一人の葬式も準備できていません。私は牛や野生動物のような母親なのでしょうか?」

彼らは掘りに出かけましたが、私はそれを禁じました。「無駄に苦労しないでください。私の子供たちは見つからないでしょう。なぜなら、彼らは創造者である王によって天に召されたからです。」

彼らは再び私に答えました、「では、あなたが子供たちが天に召されたと言うとき、誰があなたが狂っていると言わないでしょうか?本当のことを教えてください。」

 

40章

私が彼らに答えました。「私を立たせてください。」彼らは私を立たせ、両腕を支えました。立ち上がったとき、私は父に賛美を捧げる歌を歌いました。そして、私が彼らに言った祈りは次の通りです。「目を東に向けて見なさい。天の栄光に冠された私の子供たちを。」

それを見た妻は地面にひざまずき、礼拝しながら言いました。「今、私は私のために主の前に記念碑があることを知りました。それで、私は立ち上がり、町に戻ってしばらく休み、そして仕役の仕事に備えて自分をリフレッシュします。」彼女は町に向かい、彼女が仕えていた支配者によって押収された牛の厩舎に行き、ある飼い葉桶の近くに横たわり、良い気分で亡くなりました。

彼女の支配者が彼女を探しましたが見つけることができず、夕方に家畜の囲いに入り、彼女が死んで広がっているのを見つけました。彼女を見たすべての人が哀悼の声を上げ、その音は町中に届きました。彼らは急いで何が起こったのかを確認しに行き、彼女が死んでいるのを見つけ、生きている動物たちが彼女の周りで泣いているのを見ました。彼女の葬儀を行い、彼女を子供たちの家が崩れた近くに埋葬しました。町の貧しい人々は大いに哀悼し、「これがかつての誇りと栄光の女、シティです。彼女はまともな埋葬さえも受けることができませんでした。」と述べました。

 

41章

エリファズと他の者たちは、これらのことの後、私のそばに座り、私に対して議論し、大声で非難し続けました。彼らは、私が多くの罪のために不正に苦しんでおり、もはや希望が残っていないと主張しました。私は怒りに満ちて強く反論しましたが、彼らは激怒して立ち去りました。その時、エリフが彼らに頼んで言いました。「もう少し待ってください、私が彼に問題を明らかにします。あなたたちは長い間ここに留まり、ヨブが正しい人だと自慢していましたが、私は最初からこの問題を持っていませんでした。私も彼の前の繁栄を思い出して悲しみましたが、今彼は天に座っていると誇らしげに語っています。今、私の言うことを聞いてください。彼の虚構の状態について話します。」エリフはサタンに影響されて、私に対して侮辱的な言葉を述べましたが、それはエリファズの書物の中に記されています。

 

42章

その後、エリフの傲慢な演説が終わった後、主は嵐と雲を通して明確に私に現れ、エリフを非難しました。主は、エリフの中で話していたのは人間ではなく獣であると示しました。そして、主が雲を通して私に話している間、四人の王たちもその声を聞きました。主が私に語り終えた後、彼はエリファズと他の二人の友人たちに言いました。「なぜあなたたちは罪を犯したのか。あなたたちは私の僕ヨブについて正しく語っていない。立ち上がり、ヨブにあなたたちのために犠牲を捧げさせなさい。そうすれば、あなたたちの罪が取り除かれるだろう。彼以外の者であれば、私はあなたたちを滅ぼしていた。」その後、彼らは私に犠牲のためのものを持ってきて、私はそれらを受け取り、彼らのために犠牲を捧げました。主はその捧げ物を喜ばれ、彼らの罪を赦しました。

 

43章

エリファズ、バルダッド、ゾファルが主が彼らの罪を赦してくださったことを知り、エリフがその恩恵に値しないと考えたとき、エリファズは立ち上がって話し始めました。他の友人たちとその部隊は祭壇の近くで彼に応答の歌を歌いました。エリファズは次のように語りました。

「私たちの罪は取り除かれ、私たちの不法は埋められた。エリフ、ただ一人の悪者は、生ける者の中に記念されることはない。彼の灯は消え、その光輝は滅び、彼の輝きは永遠の裁きへと逃げていく。この者は光の者ではなく、暗闇の者である。彼の栄光と威厳は暗闇の門番たちに引き継がれ、彼の王国は消え去り、彼の玉座は腐敗し、彼の天幕の名誉は冥界にある。彼は蛇の美しさを愛し、ドラゴンの鱗を求め、その毒と毒素が彼の食物となる。彼は主を自分に受け入れず、主を恐れなかったばかりか、彼の尊い者たちも主を怒らせた。主は彼を忘れ、聖なる者たちは彼を見捨てた。しかし、怒りと憤りが彼の天幕であり、彼の心には希望がなく、体には平安がない。彼の舌には蛇の毒がある。主は正しい、彼の裁きは真実であり、彼には偏りがない。彼は私たち全員を一緒に裁くだろう。見よ、主が来られた。見よ、彼の聖なる者たちは準備が整い、冠が賛美と共に先導している。聖なる者たちは喜び、心の中で喜び跳ねるがよい。彼らは待ち望んだ栄光を受けた。神は私たちの罪を清め、不法を除き、悪者エリフには生ける者の中に記念はない。」

 

44章

エリファズが賛美を止めた後、全員が彼に応答して歌い、祭壇を取り囲んでいたとき、私たちは立ち上がって都市に入りました。そこで私たちは主の喜びの中で盛大な祝賀を行いました。再び、私は貧しい者たちのために善行を行うことを決心し、以前私を知っていたすべての友人たちや恩恵を受けた人々が私のもとに集まりました。彼らは私に何を求めているのか尋ねました。貧しい者たちに再び善を施すことを思い出し、私は言いました。「それぞれが一匹の羊を私に提供してください。貧しい者たちのために衣服を作るためです。」すると、みんなが一匹の羊と一枚の金貨を持ってきました。そして主は私が所有していたすべての財産を祝福し、私の財産を倍増させてくださいました。

 

45章

そして今、私の子どもたちよ、見てください。私は死にゆく者です。何よりもまず、主を忘れないでください。貧しい者たちに善を施し、助けを必要とする者たちを見捨ててはなりません。見知らぬ者から妻を迎えてはいけません。私の子どもたちよ、私は自分のすべてを分け与えますので、それぞれが自分の持ち分を自由に管理できるようにしてください。

 

 

46章

そして、彼は相続のために財産を七人の息子たちだけに分配しましたが、娘たちには一切の財産を渡さなかったので、娘たちは悲しみ、父に言いました。「父上、私たちもあなたの子どもではないですか?なぜ私たちには一切の財産をくださらなかったのですか?」

それに対してヨブは答えました。「私の娘たちよ、心配しないでください。私はあなたたちを忘れていたわけではありません。あなたたちには兄たちよりも優れた相続を用意してあります。」

そうして、彼は娘のヘメラを呼び寄せ、「この印章を持って、金庫へ行き、三つの金の箱を持ってきなさい。あなたたちの相続を与えるためです。」と言いました。ヘメラはそれに従い、箱を持ち帰り、ヨブがそれらを開けると、中からは色とりどりの紐が出てきました。その見た目は言葉では表現しきれないほどで、地上のものでなく天からのもので、太陽の光のように火のように輝いていました。

彼はそれぞれの娘にその紐を渡し、「これを胸に巻きなさい。そうすれば一生の間、あなたに良いことがあるでしょう」と言いました。

 

47章

そのとき、もう一人の娘であるカシアが父に言いました。「父よ、これが兄たちよりも優れた相続だと言われていたものでしょうか?この珍しい紐を持っていても、生計を立てることはできませんよね?」

父ヨブは答えました。「私の娘たちよ、これを持っていることで生計を立てられるだけでなく、この紐たちはあなたたちをより良い世界、天の世界へ導くものなのです。これらの紐の価値を知らないのですか?主は私をこれらの紐にふさわしいと考え、私に慈悲を示す日、体から病や虫を取り去るためにこれらをお授けになりました。神は私に『立ち上がり、男のように腰を締めよ。私が質問するので、あなたは答えなさい』とおっしゃいました。そのとき、私はこれらの紐を巻くと、即座に体から虫も病も消え、私の体は力を取り戻し、まるで何も患っていなかったかのようになりました。心の痛みも忘れることができました。そして、主は私に力強く語りかけ、現在のことと未来のことを見せてくださいました。

だから、私の娘たちよ、これらの物を持っていれば、敵に直面することも、心配することもありません。これは父の守護のお守りです。私が死ぬ前に、これを身に着けて、私の魂のために来る者たちを見守り、神の創造物を驚きと共に見てください。」

 

48章

このように、ヘメラと呼ばれる娘は立ち上がり、父が言ったようにその紐を身に巻きました。すると彼女の心は変わり、もはや地上的なことに気を取られることはなくなりました。彼女は天使の言語で神に賛美の歌を捧げ、天使の賛美のスタイルに従って高揚した気持ちで歌いました。そして、彼女が高揚して歌っていると、彼女の衣装に霊が刻まれました。

 

49章

カシアも紐を結び、自らの心が変わり、もはや世俗的なことを気にすることはなくなりました。彼女の口はアーコンの言語を取り入れ、神の創造について賛美しました。もし誰かが天の創造について知りたいと思えば、カシアの賛美歌の中にそれを見つけることができるでしょう。

 

50章

そして、もう一人の娘、アマルテアの角も自分の紐を結び、彼女の口は高次の存在の言語で神を賛美しました。彼女の心もまた変わり、世俗的なことから離れました。彼女はケルビムの言語で美徳の主を称賛し、その輝きを示しました。もし誰かが父なる神の輝きをつかみたいと望むなら、アマルテアの角の祈りの中にそれを見つけることができるでしょう。

 

51章

その後、三人の娘たちが賛美歌を歌い終わると、主が現れました。それはヨブの兄弟ネリウスであり、聖なる天使も共にいました。私はヨブのそばのソファに座り、各々が互いに解説を行うのを聞きました。その内容をもとに、私はヨブの三人の娘たちから発せられた賛美歌のほとんどを含む完全な書物を作成しました。これらの事柄が保存されるためです。これらは神の壮大な事柄です。

 

52章

三日後、ヨブは痛みを感じることなく床に伏しました。オームの帯のために苦痛が彼に触れることができなくなっていました。三日後、彼は自分の魂を迎えに来た者たちを見たので、すぐに立ち上がり、リラを娘のヘメラに渡しました。カスヤには香炉を、アマルティアの角にはドラを渡しました。これらを持って、彼の魂を迎えに来た者たちに祝福を与え、賛美をさせるためです。彼女たちがそれらを受け取ると、彼の魂を迎えに来た輝く戦車を見て、各々が自分の独特の言葉で神を祝福し、賛美しました。

その後、大きな戦車に乗っていた者が降り、ヨブに挨拶しました。三人の娘と父自身がそれを見守る中で、他の者たちには見えない何者かが彼の魂を抱きしめ、戦車に乗せて東へと出発しました。ヨブの遺体は埋葬のために運ばれ、三人の娘たちは先頭に立ち、神を讃える賛美歌を歌いながら進みました。

 

53章

そして、私ネレウスと七人の息子たちは貧しい者や孤児、すべての無力な者たちと共にヨブの葬儀に付き添いました。私たちは涙を流しながら言いました。

「今日は二重の悲しみ、哀れな者の力が去り、盲目の者の光が失われ、孤児たちの父が去り、旅人たちの宿がなくなり、未亡人たちの衣も失われた。誰が神の人を悼まないだろうか?」

遺体が墓に運ばれると、すべての未亡人と孤児たちがそれを囲み、墓に入れることを禁じましたが、三日後、彼らはヨブを墓に安置しました。