異言 | 私的見解のキリスト教とは

私的見解のキリスト教とは

キリスト者の一人として真のキリスト教(イエスの教え)を考えていく

使徒の働き2章4節(新改訳聖書)


【みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国の言葉

で話しだした。】


主イエスを受け入れてから随分歳月が過ぎました。

十代の頃、ペンテコステ系の教会でイエス様を知り


私の救い主として受け入れました。

自分の生まれた教会を離れ福音派に所属したこともあります。


現在も教会に籍を有していますがほとんど母教会(2番目の

所属教会)には行かずに違う教会にたまに顔を出します。


ペンテコステ系の証の一つ異言に懐疑的な思いがあります。

私自身は多くの言語での異言を発しましたが現在は口を閉じています。


異言そのものは否定していませんがペンテコステ、聖霊派が

祈りの時(祈祷会)、賛美の時などに日常的に発する異言が


本物かどうかに対して疑いを感じています。


私が生まれた教会では聖霊のバプテスマを授かると聖霊様が内住し


口から新たな言葉(異言)を話す事が聖霊が宿ったしるしだと教えられ


救われた其の日の内に聖霊のバプテスマを受ける事を進められました。


進めるがままに聖霊の受け入れの祈り


そして異言を話すことを強要されます。


授ける側は必死です。(聖霊を受けたら必ず異言が話せると信じていたから)


もちろん異言を誰でも話す事が出来る様に誘導します。


授ける側は異言で祈り始めます。


当然、周りにいた信徒も一斉に異言で話し始めます。


でたらめな言葉(他国の言葉でも外国語でもない言葉)の大合唱


授けられる側は何かを発しないと気まずい……


授ける側は更なる誘導の言葉を言います『どんな言葉でもいいから話して


みて』


状況的に話さないと救われないと思った私は適当にでたらめな言葉を発し


始めました。


私が話し始めると周りの信徒達は大喜びショック!


私は無事に誘導によりガーン異言を話しました。


これが神の言葉かと表向きは信じるように勤めましたが実際はどうだったのか



その後、順調に異言を日々語っていました。


そして祈祷会や礼拝などでもたえず率先して異言を話し


いつしか教会の誰よりも多くの異言を話していたので、みんなから


○○兄弟は異言の賜物があるねと言われていましたが(勿論当時の私はその気に


なっていましたチョキ)


でも今思えばはてなマーク


異言自体は否定しません。


今の時代でも本当に異言(けしてでたらめでは無い他国語)を話す方もいるとは


思いますが。


絶対に訓練や誘導によって語られた異言が聖霊によって語ったなどと言えるでしょうか。


今でもいつでもどんなときでも流暢な異言を私は話せます。


自分の意思によって語ります。(聖霊の満たしとは関係なく)


人前(教会内)では話しません。


現在、異言を語ることを止めたには理由があります。


今一度もしあなたが異言を話せるのなら、よく考えて下さい。


本物と言えますか!?