私的見解のキリスト教とは

私的見解のキリスト教とは

キリスト者の一人として真のキリスト教(イエスの教え)を考えていく

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マルコの福音書16章17節18節(新改訳聖書)

【信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名(イエスキリスト)によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとえ毒を飲んでも欠して害を受けず、また病人に手を置けば病人はいやされます。】


上記の聖句はペンテコステ、カリスマ派に所属している人たちが大好きな御言葉の一つです。


私の生まれた教会ではこの御言葉は必ず実現されすべての信じる人たちに実現するとの事でした。


もちろん神様の奇跡は否定しません。


イエスさまが実際に行なった数々の業も信じますが、いやしの賜物を持っていると言うペンテコステ系の


先生方!!      ほんとですかはてなマーク


数々の聖会に行きました。    お手伝いもしました。   


あなたがた(いやしの)賜物があると思ってる牧師、伝道師)が触れると倒れては危ないので後ろで支えました。


時には倒れない人がいるので手で押しましたよねむっ


倒れないと不機嫌になり倒れない人は信仰がないとか意味不明なことブツブツ言ってましたよねむっ


みんな牧師や伝道師に責められたくないから自己暗示で自らの意思で後ろへ倒れてたのを知ってますかあせる


確かに神様は現代でもいやしを行ないます。


でもいやしの賜物を持っていると自称している牧師、伝道師の方々に言いたいプンプン


なぜあなががたは自分に栄光を帰すのですかグー


なぜ献金の額やお金を気にしてるのですかグー


なぜふんぞりかえっているのですかグー


表向きは謙遜なふりをしながら、その実は……


こう書く私自信もいやしの賜物に憧れ神様に何度も何度も何度もいやしの賜物を下さいと祈りました。


でも動機が不順な為(世界一のいやしの伝道者になりたかった)に神様は答えてくれんませんでした。


キャサリンクルーマンに憧れ真実を知るまでは目標でした。


未だにいやしを強調した伝道集会が開かれています。


いやしそのものには問題は無くとも、それを自己目的の為に利用する牧師、伝道師が後を絶ちません。


いい加減に治ってないのに治ったとホラ吹くのは止めて下さい。


ショータイムは終わりです。


神様は神様ご自身の計画にに沿って人をいやします。


けして人間のときでいやされるのではありません。












第一コリント14章6節(新改訳聖書)


【ですから、兄弟たち。私があながたのところへ行って異言を話すとしても、黙示や知識や預言や

教えなどによって話さないなら、あなたがたに何の益となるでしょう。】




昨日の続編となりますが本日も異言について


お話ししたいと思います。


キリスト教プロテスタントのペンテコステ系、聖霊派と呼ばれる集団、グループ、集まり


で育った私は体験による信仰を当時は重要視してきました。


その中でも異言は最初の聖霊内住のしるしと信じてきました。


異言を語ることが当たり前で自分は神に直接話すことが出来るとの選民意識がありました。


現にペンテコステでは当時、異言を話せない福音派などの諸派を見下す傾向にありました。


ただ福音派は福音派でペンテコステを異端視する人たちも沢山いましたがハートブレイク


(どっちもどっちですね叫び


ペンテコステの礼拝は大抵が賛美~異言~賛美~祈り~説教~へと続きます


必ず異言は未信者がいてもお構いなしに公然と語られます。


場合によっては大声で訳のわからない事を叫ぶ人(本人は神の言葉と信じてるがよく聞けば


意味の無い単語『どこの国の言葉でも無いデタラメな単語』の羅列)静かに語る人、様々ですが


未信者の人たちは動揺します。


最初は疑い徐々に洗脳され神の言葉だと信じようと葛藤し努力して


そして染まる!!    (疑うことは不信仰と教えられるから)


同じ仲間と一緒にいると異言を聞くだけで顔を見なくても誰が話し祈っているかわかるように


なります。   (同じ言葉の羅列を繰り返す人が多い為)


明らかに一部のペンテコステ教会で語られている異言は神の言葉と言えるのでしょうかはてなマーク


内なる聖霊が人を通して語ってるのはてなマークはてなマーク     疑問ですシラー


最近の良識あるペンテコステ系の教会では以前の礼拝とは異なり、まともな礼拝に戻って


きましたがニコニコ   未だにイケイケ系ペンテコステが根強く活動し場合によってはカルト化し


不健全な教会が後を絶ちません爆弾


そろそろ気がついて下さい。


自己満なペンテコステ系の傲慢なみなさん  その異言は本物ですか!?











使徒の働き2章4節(新改訳聖書)


【みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国の言葉

で話しだした。】


主イエスを受け入れてから随分歳月が過ぎました。

十代の頃、ペンテコステ系の教会でイエス様を知り


私の救い主として受け入れました。

自分の生まれた教会を離れ福音派に所属したこともあります。


現在も教会に籍を有していますがほとんど母教会(2番目の

所属教会)には行かずに違う教会にたまに顔を出します。


ペンテコステ系の証の一つ異言に懐疑的な思いがあります。

私自身は多くの言語での異言を発しましたが現在は口を閉じています。


異言そのものは否定していませんがペンテコステ、聖霊派が

祈りの時(祈祷会)、賛美の時などに日常的に発する異言が


本物かどうかに対して疑いを感じています。


私が生まれた教会では聖霊のバプテスマを授かると聖霊様が内住し


口から新たな言葉(異言)を話す事が聖霊が宿ったしるしだと教えられ


救われた其の日の内に聖霊のバプテスマを受ける事を進められました。


進めるがままに聖霊の受け入れの祈り


そして異言を話すことを強要されます。


授ける側は必死です。(聖霊を受けたら必ず異言が話せると信じていたから)


もちろん異言を誰でも話す事が出来る様に誘導します。


授ける側は異言で祈り始めます。


当然、周りにいた信徒も一斉に異言で話し始めます。


でたらめな言葉(他国の言葉でも外国語でもない言葉)の大合唱


授けられる側は何かを発しないと気まずい……


授ける側は更なる誘導の言葉を言います『どんな言葉でもいいから話して


みて』


状況的に話さないと救われないと思った私は適当にでたらめな言葉を発し


始めました。


私が話し始めると周りの信徒達は大喜びショック!


私は無事に誘導によりガーン異言を話しました。


これが神の言葉かと表向きは信じるように勤めましたが実際はどうだったのか



その後、順調に異言を日々語っていました。


そして祈祷会や礼拝などでもたえず率先して異言を話し


いつしか教会の誰よりも多くの異言を話していたので、みんなから


○○兄弟は異言の賜物があるねと言われていましたが(勿論当時の私はその気に


なっていましたチョキ)


でも今思えばはてなマーク


異言自体は否定しません。


今の時代でも本当に異言(けしてでたらめでは無い他国語)を話す方もいるとは


思いますが。


絶対に訓練や誘導によって語られた異言が聖霊によって語ったなどと言えるでしょうか。


今でもいつでもどんなときでも流暢な異言を私は話せます。


自分の意思によって語ります。(聖霊の満たしとは関係なく)


人前(教会内)では話しません。


現在、異言を語ることを止めたには理由があります。


今一度もしあなたが異言を話せるのなら、よく考えて下さい。


本物と言えますか!?















第一コリント12章28節(新改訳聖書)


【神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから

奇跡を行なう者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者などです。】



最初のブログ記事が牧師についてから始まりますが目


特別な思いがあり最初にした訳ではありません。


個人的には多くの牧師(宣教師、伝道師など含む)とは友好的関係にあると思いますが


最近の牧師と名乗る不祥事を起している牧師(多くは情報によって知った事)には不満があります。


こういった不祥事自体は私が知りうる限り20年以上前にも、表ざたにはあまりなりません


でしたが確かに存在していました。


*そう言う人たち(元牧師)を直接見てきました。そして牧師ではありませんでしたが私自身もそうでした。


当時はキリスト教会(一部)のカルト的な概念が無く牧師の権威は否定されませんでした。


牧師の任命は神の召しによるものでメッセージなどは牧師を通して神が語られると信じ


込まされてきました。


(時には神様が人を通して語ることは否定しません虹


実際には神からの召しの大半は牧師になりたい人たちの強い思いのみで神ご自信が


『あなたは牧師になりなさい。』と語り掛けたものではありません。


だからと言って牧師になりたいと思うことが悪いと言っている訳ではありませんが不順な


動機から牧師になりたいと思うクリスチャン達も見てきたので、あえて厳しく言わせて頂きます。


開拓伝道で孤軍奮闘で頑張る牧師もいれば最初から恵まれた環境(例えば教団所属とか)で


給与付き自宅付き(場合によっては信徒付きも)で伝道する牧師もいます。


本当の理由は世の中の仕事がしたくないから牧師になる人、世の中での人間関係が嫌だから


牧師になる人、賞賛を受けたいから(キリスト教界で成功したとか)牧師になる人など


キリストの福音を伝えるとの名の下に個人の願望を実現しようとする人たちが沢山います。パンチ!


もちろん純粋にキリストを証し同胞を救いたいと願う心が無いとは言いませんが、それとは別に


賞賛されたい気持ちありますよね。



もう20数年前になりますが私自身も献身者として立とうとした時期がありました。


その頃の仲間(同じく献身者)とよく将来の自分達が指導者(牧師など)になった時にこうゆう


教会にしたいと話したものです。


今考えれば一見、神様の為にと言いながら自分達に栄光を記す内容だったと思い起こされます。



人は弱いです。


すぐに報いを受けようと画策します。


私は結局なりませんでしたが当時の仲間の何人かは牧師として教師として伝道師として今も


その道にいます。(現在を知らないので辞めた人もいるかも??)


あっ! 一人だけ牧師を辞めて一信徒に戻った人がいましたね。


牧師もタダの人です。 男性であれば欲情もするし罪も犯します。


交通違反に倫理道徳の欠如、人を傷付け(心を)高ぶり傲慢になり、時に嘘をつき人を欺く


数え上げたらキリがありません。


自分達の作った規律(教団教理、規約など)に縛られ本来のイエスキリストが伝えた根本的な


福音が人の意思により曲げられました。


それでも主は愛して下さいます。


受け入れて下さいます。


今一度考えてみて下さい。


牧師とは何者なのかはてなマーク牧師の役目とは何かはてなマーク牧師の存在意義ははてなマーク教会に牧師は必要なのかはてなマーク