大航海時代、スペインに南米の国が次々と侵略されて行く。 

コロンブスのアメリカ大陸から始まって、スペインとポルトガルで世界中の大陸への侵略競争を繰り広げていた。 
競争の激化の中、当時スペインとポルトガルの共通の王であるローマ教皇へのスペインの申し入れもあって、地球の西側をスペイン、東側をポルトガルの領地として開拓することが決められた。(トリジャス条約) 

そんな中、1531年スペインのコンキスタドール(探検家)フランシスコ・ピサロがペルーを侵入を開始した。 
当時ヨーロッパ人がペルー人に対して抱いていたイメージが、スペインの南米博物館に絵として残ってる。 

その絵は、羽根を背負いパラシュートを頭に付けて飛んでる人や、頭が無く、胸に顔がある巨人など。 
そこには、まだ見ぬ先住民を恐れてる様子が画かれてる。 

逆にペルーの先住民はスペイン人をどう見ていたか。 

白人を見たのも初めて。 
馬を見たのも初めて。 
さぞかし、驚いただろうと想像がつく。 

それに加え、色が白く馬に乗った姿が、南米の神話に出て来る神の姿に似ていたことから、神が現れたと勘違いした人もいたと言われてる。 



これを聞く限りでは、お互いの相手に対しての感覚の中に物凄く差異があったんだなと、感じる。 

一方は、相手に人間と思ってない、どこか不思議な生き物の様に思ってたとも捉えられる。 

そして、一方はどこか崇高な存在と思ってしまう人がいる。 

これでは、ペルーは侵略されるなと感じずにいられない。 

その頃、ペルーはインカ帝国を築いて南米の広範囲に勢力を伸ばしていた。 
現在のボリビア、エクアドル、アルゼンチン、コロンビア、チリまで拡大していた。 

しかし、インカ帝国はスペインのコンキスタドールにあっさり滅ぼされる。 

それだけ、ヨーロッパの文明は進んでいたのか。 



スペイン人が南米に到達した後、天然痘などの疫病を持ち込み先住民達が激減した。 
そこでアフリカから、原住民を連れて来て現地先住民と共に奴隷として、過酷な労働をさせた。 

金山、銀山の発掘、サトウキビ農業。 
採掘された物は全てスペイン本国へと運ばれていく。 
奴隷は、品物の様に売買されていた。 


これまで、スペインとポルトガル植民地化を進めていたが、オランダ、フランス、イギリスなども植民地支配を進めて行く様になり、先住民やアフリカ人の奴隷の虐待が酷くなる一方であった。 

大航海の影にこういった負の遺産があったことも、忘れてはならない歴史であると言えるだろう。 


大航海を経てスペインに富みをもたらした、ピサロはスペイン国内で今でも英雄視されてる。 
帰国後、出身地トルヒージョに像が建っていて、ピサロの娘が征服者宮殿が建て、今でも子孫がそこに暮らしている。 


*この時代日本も奴隷の犠牲者がいた。 

1543年日本の種子島鉄砲伝来から始まり、火薬を買う代わりに、数十万人の農民がポルトガルへ奴隷として売られた。 
16世紀後半には、ポルトガル本国だけで無く、アルゼンチンにも労働力として運ばれて行った。