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結論

"素直な心だけが、あれ~ば~いい~"
 そう言える世界は素晴らしい。

前置き

 完璧な人間に出会ったことなんてない。

 全てを知る人なんていない。

 心の内にはその人しか知らないこともある。

 助言の全てが的外れかというと、それは違う。

 もちろん、的外れな助言も多々ある。(こう思っているのに、あの人はそれを知らずに言ってくる。なんてことよくある)

 本当に、ひたすらに、言われたことを全て聞き入れることで、万事良い方へと向かうのか?そんなはずない。

主論

 「愚者は自分の経験に学び、賢者は他人の経験に学ぶ」

 鉄血宰相ビスマルクの考えです。

 「ひとのふり見てわがふり直せ」と似てます。

 失敗したくなければ、人がしているのを観て、どうすれば良いかを考えなさいということです。

 実際に観ることはなかなかできませんよね。だから他人の経験を参考にするのです。

 同じ失敗をしないように自分の失敗を話してあげよう、と思う人は少なくないと思います。

 それは非常に有難いことです。自分の傷を見せることはなかなか辛い面もありますから。

 失敗について具体的なことを話さずとも、失敗から得た教訓だけを伝えることもできます。

 それが助言です。

 何で伝えるかというと、ほとんどの場合は言葉です。

 言葉で伝えることは非常に難しいことです。だから「素直になりなさい」のように曖昧な表現になるのです。

 助言を貰っても、理解できない愚者は失敗し、理解できる賢者は成功するのです。

 成功した賢者は愚者にこう言うでしょう。「素直になりなさい」

 すると愚者はこう思うのです。言われたとおりにすれば成功するのならば、言われたとおりにしよう。

 そして愚者はまた失敗するのです。

 すると、愚者は何も信じられなくなり、また新たな失敗をするでしょう。

 「素直になりなさい」に隠れた真意を理解できる賢者は「素直になりなさい」としか言わず、「素直になりなさい」に隠れた真意を理解できない愚者はやはり理解できないままなのです。

 誰もが上手くいく方法なんてありません。したがって助言も個々に適したものが有益なのです。

 助言が適切であるならば、きっとたくさん失敗する人でも自然に、素直に助言を聞き入れるでしょう。

 心の内にあるものを共有することが真の助言の第一歩なのです。

 「素直な心だけがあればいい」

 "心から通じあえる人に囲まれていたら"そうなのかもしれません。

一言

 夢の世界へ〜〜〜

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結論

 現在がどうなっているのか、皆が知るべきか、、、
 これは結論じゃないですねf(^_^;


前置き

 モザイク写真を知っていますか?モザイクアートです。

 複数の写真で一つの大きな絵をつくるものです。

 社会も同じに思います。

主論

 モザイク写真。
 全く関係のない写真を組み合わせて、一枚の絵をつくる。

 絵がある→近づけば個々の写真が見える

これを逆転すると、

 個々の写真がある→遠ざかれば大きな絵に見える

写真を人間に変換すると、

 個々の人生がある→遠ざかれば社会が見える



 大きな絵の場合、写真や貼り付ける位置を選んで作られたものですから、見事に絵になるのです。

 社会は一見ただのモザイクに見えるでしょう。

 ですが、選択して見れば、社会も一つの絵になります。

 例えば、坂本龍馬、中岡慎太郎、西郷隆盛、木戸孝允とくれば薩長同盟が浮かび上がりませんか?

 四人ではなく、何百人、何千人でつくると、より大きな絵ができあがります。



 自分はどんな絵の一部なのか気になりますか?

 目の前の人がどんな絵の一部なのか気になりますか?

 気にしないほうが良いのかもしれない。

 写真から離れすぎると、写真の中にある輝きを見落としかねないよ。

 でも、両方とも見られたほうが良いんだよなー、、、

 坂本龍馬は見えていたのかも、

一言

 短くできた!伝わるかな口笛


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結論
 愛着のあるものにこだわる意味はない。だからといって捨てる必要もない。

前置き

 "馬鹿と鋏は使いよう"
 ドキッとする言葉ですね。どちらかならば使う側にいたいと思うのは私だけではないと思います。

主論

 鋏は紙や布などを切る道具です。

 鋏の道具としての良し悪しは、いかに切れるかに拠ります。

 では切れない鋏は何なのか。"腐っても鯛"ではないですが、切れなくなっても鋏は鋏なのでしょう。

 切れなくなった鋏、あなたはどうしますか?使いようでは切れる物もあるらしいですが。

 私は新しいのを買います。そして古いのは捨てます。

 でも、その鋏に特別な想い入れがあったなら、、、

 例えば、誰かから貰ったとか、長年に渡って使い続けてきたとか。

 そんな鋏はきっと、捨てたくないと思うでしょう。

 でも、鋏が必要なのです。持っているのは切れない鋏です。

 ならば新しいのを買うのは自然でしょう。

 買ったならば、古い鋏はお役御免、道具箱から消えるでしょう。2つは入れておけない。

 どうしましょう。では鋏を鋏と呼ばず、"◯◯の思い出"とでも名付けて、目の見えるところに飾っておきましょう。

 その鋏には、鋏としての役割はなくなっても、何かの証としてそこに在ってもらったらいいんじゃないかな。

 そこに在るということは案外大きな意味があると思います。

一言

 何かに使えるかもしれない〜、は捨てましょう😗

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長いです。

結論

  誰かが言ったことは気にしなくていい。自分が主体的に考えればいい。それで辿り着けるのならば。

 誰が考えても、1つのところに辿り着くはず。

 そこには"複数の考え"がある場合もあるが、"複数の考え"があると認識することも、同じ"ところ"に辿り着いて初めてできることだ。

 惑わされずに生きていけたら、、、
 惑わされないようにするのは、
 たぶん不便でしょうね(^^;

 何もかもを信じられたら、とても楽なんでしょうね。

前置き

 "嘘をつく子供"という話を知っていますか?"オオカミ少年"とも呼ばれるものです。詳しくは調べてね。

 すこし小話を ~~~~~

砂漠を囲むように村がいくつかありました。

旅人が村々をまわってこう言いました。

「〇月〇日に砂漠の真ん中に来てください。
そこに来る人間は必ず一人で。
そこであることを決めたいと思います」

旅人の言うとおりに、各村から一人ずつ、砂漠の真ん中に集まりました。

Aさんは徒歩で、Bさんはラクダを連れて、Cさんは馬に乗って、、、

皆それぞれ異なる道を通って、、、

集まったとき、旅人が言いました。

「この砂漠で一番美しい景色はどこのどんな景色だろうか?この砂漠の良さを異国の人たちに伝えるには、それを決めてくれるととても良いのだが」

~~~~~

主論

 違う道を歩み、砂漠の真ん中に集まった人たちは、道中で、日の入り、満天の星空、日の出、他にも私には想像できないような絶景をそれぞれが見たとします。

 集まった人たちはなんと言うでしょうか?

 きっと、私が〇〇で見た〇〇はとても美しかった、と言うでしょう。

 そして、次のいずれかになります。

①、皆で候補の景色を全て実際に見てから話し合う

②、美しさは比べられないだとか、見る人それぞれだとか、はぐらかして一番を決めない

③、争って勝った人が決める

④、旅人のために取り敢えず決める

 皆さんならどうしますか?

 ①の場合は、面倒ですが、それぞれが自分の尺度で判断することができます。何が一番になろうと、自分の村に帰るとこう言うでしょう。"やっぱり〇〇で見た〇〇が一番美しい"と。

 ②は多くの人が賛同するでしょう。しかし、決めてくれないと旅人は困ります。

 ③で決めた場合は、勝った人の好みでしかありません。

 ④は安易な選択肢です。争わず、悩まずにすみますから。一時的に決定するにしても、旅人は去っていくのですから、後で変わったら、それを知ることはできません。


 "嘘をつく子供"に出てくる村人たちは、嘘を信じて行動し、 最後には嘘だと決めつけて行動し、羊を失います。

 その村人のように、砂漠の真ん中に集まった人たちが、互いの話を事実であると信じるとどうなるでしょうか。その中に嘘をついている人がいるとしたら、、、

 ①以外は嘘に気づけません。

 騙されないためだけではなくとも①を選択したとしても、旅人の求める"一つの答え"が出るとは限りません。人それぞれですから。

 実際、美しさなどの定性的なものには、絶対的な優劣は無いので、詰まるところ、好みでしか一番を決めることはできないのです。

 山や星や川などを比較しようだなんて、思わないですよね?

 集まった人たちは、美しい景色が5つあれば、5つあると知るまでです。

 もし、どうしても一番を決めるならば、旅人に委ねるのが良いでしょう。

 異国の人たちに伝えるのは旅人ですし、旅人自身に主観的に決めてもらうのです。

 ただし、それはあくまでも、旅人にとっての一番でしかありません。

 一番美しい景色を決めることはできない村人たちでも、砂漠の真ん中に集まったことで、いくつもの"美しい景色がある"という認識を共有することはできました。

 その認識を持って村に帰れば、皆がこう言うでしょう。"砂漠にはたくさんの美しい景色があるようだ"と。



 比較するものを定性的な"美しさ"から、定量的な"高さ"に変えるとどうでしょう。

 例えば、どの村に一番背の高い家があるか?と訊かれていれば、答えは一つしか無かったでしょう。



 "砂漠"を"人生"に置き換えてください。

 砂漠の村人たちのように、答え合わせができることなんて、少数でしょう。

 では、選択しなければならないとき、迷ってしまったとき、どうすればいいか。

 旅人が"一番美しい景色"を決めるように、自分で決めれば良いのです。

 定量的なものならば自分で計って、定性的なものならば自分の好みによって決めるのです。

 もちろん、助言はありがたく頂き、その都度、参考にしましょう。

 そうしたら、たくさんの美しい景色も、一番高い家も、自分で見つけることがより効率的にできるでしょう。



 "嘘をつく子供"の村人たちも、狼が来たかどうかを自分で判断していれば、"狼が来たぞ"という真偽不明な言葉に踊らされて羊を失うことはなかったでしょう。

 "狼が来たぞ"

 誰かが言っても、言わなくても、狼が来るときもある。

 羊を守るのは村人たち本人です。

 自分の人生をつくるのは私たち自身です。

 歩みたい道があるのならば、自らの判断で進みましょう!

一言

 村に帰ったとき"皆の笑顔が一番美しい"と言う、そんな世の中であってほしい(о´∀`о)ノ

 (今回も長い!笑)



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結論

 伝わったことが伝えたこと。国語って大事です。

 月はじめに、OECDの学習到達度調査(PISA)で、日本(中学三年生)の読解力の順位が下がったとの結果に、危機感を募らせる報道がありました。SNSが原因だとか、若者言葉がどうだとか、読書したらいいだとか、、、

 相対的に下がったようですが、日本の過去の点数と比較してどうだったのかな?と思ったらほぼ横ばいでした。

 ニュースを受け取るときは要注意ですね。言葉通りに解釈しても、綾もありますし、、、


前置き

 子供の頃、なぜだかある日、こんなことを考えたことがあります。

 "外国に行って、お腹が空いたらどうしよう。言葉は通じないし、お金もないし、、、いや、待てよ。おもいっきり念じながら「リンゴ!!リンゴ!!」って言ったら伝わるんじゃないか!?うん、きっと伝わる!!"

 もちろんすぐに、そんなわけない!と考え直しましたよ(^^;

主論

 人間は、目、耳、鼻、口、肌という感覚器官をもっています。

 それらで何を感じるかというと、光や音など総じて、身の回りの現実です。

 何も感じなければ、それは現実ではなく夢であるかもしくは感覚器官が機能していないかでしょう。

 そして、現実を認識しているのは脳です。

 今回は、その中でも音に関して考えます。

 音は空気が振動することで伝わり、人間は耳によって受け止め、脳で解析します。

 Aさんが「リンゴ」と言うと、隣のBさんは「リンゴ」という音を感じます。

 そしてBさんは、「リンゴ」という音の持つ意味を自分の記憶の中から探しはじめ、赤い皮、薄い蜜色の果肉、真ん中に種、大きさや形、触れた感触や味を想像するのです。

 Aさんの想像した"リンゴ"は言葉となり、Bさんの中にある"リンゴ"というものをBさんに想像させました。

 ここからが肝心です。

 リンゴには青リンゴなるものも在りますよね。もしも、Bさんが赤いリンゴを知らないとしたら、、、

 二人は違うものを想像することになります。

 はたまた、"リンゴ"という言葉を聞いたことが無ければ、、、

 誰かの名前?動物?お花?いったい何のことだ?と思ってしまうでしょう。

 Bさんが"赤いリンゴ"を想像できないことは仕方がありません。

 Aさんがどれだけ「リンゴ」と言っても、伝わらないのです。

 以上のことは単語に限りません。

(例えば、3つの作業、X、Y、Zがあり、通常はXYZの順に行うものとします。
 Aさんが「Zは早く終わらせなければならない」と言ったとします。
 Bさんはどのように認識するでしょうか?
 「ZXYの順に作業する」と言いたいのか
 「順番はいつも通りで、急いで作業する」なのか、それとも
 「今日はXとYはしなくてもいい。けれどもZは終わらせないといけない」なのか、、、
 "早く"というのは曖昧な言葉ですし、全体的に言葉足らずで、Bさんは具体的な想像ができません)



 毎回、相手が何を想像したのかを確認するのはとても面倒なことです。

 勘違いをなくすためには、予め双方が共通の認識をもち、適切な言葉を発することが大切です。

 人生いろいろです。知らないことがあるのは当然です。互いに補いあう気持ちをもって、誠心誠意、意思の疎通を図ることができれば、余計な悪いことは起きないでしょう。

 言葉を知り、意思の伝え方を知れば、理解できることが増えるはず。

 それを学ぶのが"国語"ならば、学校で一番尊重されるべき科目は国語なのではないかな?

一言

 国語、、、嫌いでした。もっと勉強していたらなぁ、なんて思います。


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結論

 事実は受け入れるものである。"受け入れること"は"知ること"から始まる。
 知りようがないならば、"知らない"ことを認めましょう。
 知らないということもひとつの事実なのさ。


前置き

 "不知の知"とは、"自分が何も知らないことを自覚する"ということです。詳しくはソクラテスの弁明について調べてね(^-^)

 あなたは、幽霊はいると思いますか?思いませんか?それとも、いることを知っていますか?

主論

 二通りの事実について考えます。

1、目に見える事実

 目の前でコップが割れたとします。

 目を瞑って、コップは割れていない、と言ってもコップは割れています。

 私たちはそのことを受け入れなければならない。

 他に挙げると、
 身近な人が死んだとします。
 世界中を探しても、同じ人はいません。

 目の前に、例えば、死者が布団に横たわっているとしましょう。眠っているように見えても、目を覚まして動くことはありません。いくら待っても腐っていくだけです。
 
 私たちはそのことを受け入れなければならない。

 目に見える事実については、どのように捉えるかではなく、受け入れてからどうするかを試されるのです。


2、目に見えない事実

 身近な人が遠くへ旅行に行っているときに行方不明になったとします。
 そのまま何年も帰ってきません。

 遺体はないけれど、現地では死亡したとして扱われます。

 そんなときは、まず確実なことを認めるのです。

 彼は生きているのか死んだのかを私は知らない、と。

 彼が死んだことを確認した人がいるならば、その人は彼を見つけたのでしょう。ならば遺体だけでも帰ってくるかもしれません。
 私たちは彼を見て初めて、彼の生死を知ることができます。

 「死んだだろう」と言う人がいたとしても、その人の推測にすぎず、その人の言葉を信じるに過ぎず、知ることはできないのです。

 つまり、いかなる事実も人伝に判明したときは、私たちは事実を"知る"のではなく、そうなのだと"信じる"だけなのです。


 しっくりこない人も多いと思いますが、次の例ではどうですか?

 私には霊感がないと思っています。しかし、1度だけですが、霊を見たことがあります。

 霊を見る前の私は、霊がいると信じていました。

 そして、私は霊を見て、しばらく経って冷静になると、本当に霊がいるのだなと思いました。

 私は霊がいることを知ったのです。

 私の言葉を信じる人も信じない人もいるでしょう。信じようが信じまいがあなたの自由です。

 ですが、どちらにしても、霊について知らないということは確かなはず。見たことがあれば、"信じる"とも"信じない"とも言えないのだから。

 知らないということは認めざるをえないでしょう?


 私にとっては、霊が存在するということは事実です。霊が存在すると信じている人にとっては、知らないということだけが事実です。

 その事実は受け入れなければならない。

一言

 う~ん、やっぱり長くなってしまう(^^;
 気長に読んでください。


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 一発目に何を書こうかと考えました。結果、まずは私がどんな考え方をするのかを感じてもらいたいと思い、これにしました。

(当ブログの記事は私の持論です。参考までに!!)

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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


ようこそ!🤡


結論
  幸せになりたかったら、

  腹八分食べて、寝て、起きて、食べて、便を出して、朝日を浴びながら大きく深呼吸する。そのあとはやりたいことをやる!

 これだけでいいのさ。(もちろん、法律は守りましょう)「忙しくてそんなことはできないっ!」ですか?できるように頑張れ!!

 生きる目的が無い人は↑を日々の目標にされよ。


前置き

「幸せになりたい!」「私を幸せにして!」「お幸せに!」

 なんて言葉、何かの節に聞いたことがあると思います。

 そんなとき私は、あなたの言う幸せって何?どういうことを指しているの?って訊いてみたくなります。

 どうせ答えられないだろうと思いながら( ・∇・)


 個々の持つ"幸せ"の概念は違いますよね。

 だからどうしても、幸せという言葉を他者と共有することは難しく、その意味を曖昧にしか認知できず、曖昧にしか使えないのです。

 「自分は幸せだ」という人もいますが、その人が思っているだけで、他人からして見れば浮かれているだけってこともあります。

 つまり、"幸せ"の意味はあまりにも広く、共感できない場合があるのです。

 では、誰もが幸せを実現するために、自分だけの術を模索しなければならないのかというと、少し違います。

 誰もが共有できる"幸せ"があるはずです。



主論

 マズローの欲求5段階説というものがあります。詳しくは自分で調べて(о´∀`о)ノ



 1,生理的欲求(食欲、睡眠欲など)
 2,安全欲求(身の安全を求める)
 3,社会的欲求(まともに扱われたい)
 4,承認欲求(優れた人だと思われたい)
 5,自己実現欲求(自分の理想を実現したい)
 (括弧内は私の解釈です)

 
 上記の5段階なんですけども、死の直前に言い残された6段階目がありまして、"自己超越"といいます。

 アブラハム・マズローさんは、1を満たされると2を求め、それが満たされると3を求め、、、という具合で段階的に求めるものだとしていますが、私は1,2を満たせば6に手を出せると思います。

 1と2は満たされていることが、特に現代の日本在住の人にとっては、当たり前のようになっています。そして、ほとんどの人が3を満たしており、4も満たしている人は少なくないでしょう。

 人間は貪欲で、次から次へと欲望が湧いてくるっていいますよね?

 それは仕方がないことでしょう。

 重要なのは、既に満たされている部分を見落とさずに、認識することです。

 どんなに欲望を抱いていてもいいんです。例えば、ステーキ、ラーメン、カレーライス、、、もっとたくさん食べたいと思ってもいいんです。

 無駄な欲求でも満たされれば、とても気持ちが良いものです。自分の欲求を満たそうとすることは悪いことではありません。憲法でも認められています。

 だけど次を求める前に、自分がけっして飢えてはいないことも知りましょう。

 そして、今自分が欲していることは、本当に満たされなければならないことなのか考えてみてください。

 そのほとんどは自分が望んでいるだけに過ぎないはずです。

 お腹がすいたら食べて、眠たくなったら寝て、朝ごはんを食べたら、食べた分だけ動いてこの素晴らしい世界を味わいましょう。

 そのとき、私たちは欲するのではなく、現状を観て、現状を受け取り、適切な手段により現状に影響を与えることで変化を生み、私たちの望む形に近づけることができるでしょう。

 そして、その過程に在ることが、マズローさんの言った第6段階に至ったということです。



 生きたいように生きよう!私たちにあるのは自由だ\(^^)/

 極端に言えば、家に引きこもっていても幸せだということです。笑



一言
 いやぁ~、長すぎたかな(*_*)



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 はじめまして、ユェステルと名乗ります。

 元号が"令和"に変わりまして、平成生まれの私自身に対して少し歳を感じるこの頃です。

 移り行く時代の流れに乗れていないような気がして焦るところもありますが、世の中には変わらないべきものが在ると思います。

 そこで、星の数ほどありそうなそれらを少しでも明文化したいと、当ブログを始めました。

 読者諸氏に"参加"していただいて、"人間"延いては"日本国"や"人類"を主材に意見を交わし、ともに成長していきたいです。

 まずは、ざっと自己紹介します。

・ニックネーム: ユェステル ("ユェ"の発音は"ye"です。"ゆ"と"よ"の間です)
・性別: 男 (異性愛者)
・人種: 日本人 (大阪生まれ、大阪育ち)
・宗教: 無宗教
・好きなもの: ほどよい辛さのカレーライス、パスタ、納豆、味噌汁、自然、昼寝、日光浴、将棋、ムーミン、アンパンマン
・嫌いなもの: 辛い食べ物、花粉、黄砂、雨、埃、人込み、厳冬、猛暑

 当ブログでは私見を書いていきますので、同意していただけたらもれなく"いいね"を押してください。異見があれば是非ともコメントしてください❗

 ご意見、ご感想お待ちしています。私と異なる意見もどしどしお寄せください。

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