最後に記事を書いてからもう1年半以上も経ってしまいました。

早いなぁ。母に話してからもうそんなに経ったんですね。。。


ただただ「アイツの傍にいたい!」その思いだけで必死にサークルを守っていた頃、自分がしていることに無理があることも、どんなに一生続けていきたいと思っても、どんなにずっとこのアイツの隣のこの場所に自分の居場所があって欲しいと思っても、たぶんいつか終わるときが来るんだろうことは予想できていました。さすがに終わり方までは予想できてなかったけどね。

ひと月少し前、3月末にその終わりがきました。

自分で、サークル運営から抜けました。サークル自体から退会しました。

自分からやめるなんて、自分からヤツの傍を離れるなんて自分でも信じられないけど、そうするより他なくなってしまったから。


私が、どちらかというと運悪く?・・好きになってしまった人は、ある意味とても冷たい人です。

どんなに親しく付き合っている友人であっても、気に入らないことがあると信じられないほどに冷たい言葉を吐き、結果的に相手を遠ざけてしまう。そんな姿を私は何度もみて、、というか聞いてきました。ひどいことを言った後ちょっと言い過ぎたと思うのか私に電話してきたりするから。「こういうことがあって、俺こう言っちゃったんだけどさ、言い過ぎたかなぁ・・」って具合に。そして、その相手は等しく離れていってしまいました。まぁ、当然なのでしょうが。

そういうところを見て、私は、この人は私にもこういうことをするだろうかと時々不安になったものでした。でも、彼の私への頼り方や甘えようを見ていて、きっと私にはしないんじゃないかなと思いました。いえ、思い込もうとしました。そう信じたかった。

ちなみに彼がとても親しくつきあっている数少ない人間以外のそれほど親しく付き合っていない人達は、つまりは興味のない人で、本当にどうでもいいといった扱いをします。ただ、社会人として失礼のないような態度をとることができない訳ではありません。

自己愛の強い人でもありますから、他人が基本的にどうでもいいのかもしれないとも思うし、または親しく付き合っている人に対してひどいことも平気で言えるというのはむしろ甘えなのかもしれないと感じることもありました。

実際のところどうなのかなんて分かるはずもないけれど、とにかくそういう人なんです。


毎日のように電話で、メールで、チャットで話をしていた長い期間中ずっと、彼はそういう人であるにもかかわらず私にひどい言葉を吐くことはありませんでした。むしろ気を使ってた。怖がってた。私の機嫌を損ねると、あのプライドの高い人が即謝ったりもしました。それを見た大学での彼の先輩や仲間達が、彼がそんな風に謝るのを初めて見た、すごいね!とびっくりしていたものです。

でも、私が就職してから、彼は突然変わってきました。

いえ、分かりません。もしかしたら私の方が変わったのかもしれない。確かに私は、以前のように彼としょっちゅう会ったり話したりするのをやめて、ある程度の距離を保とうと思ってましたから。。。

とにかく、サークルの仕事等の用事がない限り話さなくなってしまいました。

私が変わったのを感じたからか、それとも仕事で忙しいだろうからと遠慮したのか、理由は分かりませんが、とんでもない時間に電話をかけてくることも、何かというとメールや電話がくることもなくなりました。

でも彼は、甘える相手がいないとおそらくダメな人。しかも甘える相手は何故か女性。恋人は男性なのに。。。

彼の親は離婚していて、離婚後の母親が長男である彼に頼り、次男は甘やかしたそうですから、きっと母親代わりを無意識に求めているのでしょう。その相手として、同じサークル運営仲間の中で唯一設立時からでなく途中から入った人であるMさんに白羽の矢を立てました。

ミクシィの日記や、運営者間のMLでの言葉の端々でそれを知り、私が平常心でいられたはずがないことくらい分かりますよね。同時に、「ああそうか、私だから甘えてたわけじゃないのね・・母親役をしてくれる女なら誰でもいいんだ。」と絶望的な気分になりました。そしてまた、許せなかった。

なんというか、彼女はよくも悪くも平凡な女性なのです。ピアノはどちらかというとあまり聞いていたくない演奏しかしませんし、運営の中でも、誰でも出来るような雑用がメインで、基本的に指示されたことを出来る範囲でやるだけで、自分で気がついてすべきことをこなしていくタイプではありません。しかも、小心者で動きも無駄にせかせかちょこまかしているからか、中枢の人間としての威厳も頼りがいも感じられない(これは他の人の意見)らしい、そんな人。

さらに、私の仕事があまりにも多すぎるから手伝ってもらおうと思っても、「分からない」「出来ない」で終わってしまうような人です。私は、サークルの発展のために必要と思うことなら何でも、分からないなら勉強して出来るようになって、全てをこなしてきました。(だからこそ代わりのきかない私の仕事は多く負担は重いものとなったのでしょうが。。)誰だって最初は分からない、出来ないのが当然です。それを、出来るようになろうとしない。

私は、I君がサークルを設立しようという時に私を誘ったのは、私のピアノの腕と、今ほどではないにしても比較的色々と出来ることが多かった便利さからだろうと思っていました。他に私を選ぶ理由なんて思いつかないもの。

彼が私を比較的大事にしてくれるのは、たぶん私が必要だからだと思いました。だからこそ、サークルを守るため、発展させるためにするどんな努力も犠牲も苦にならなかった。頑張れば頑張るほど、彼の中できっと私の位置は磐石なものになる。そう信じました。信じたかった。

でも、そうではなかった?

誰でもよかったの?

何も出来ない彼女でも、自分を甘やかしてくれる母親役をしてくれさえすればいいと言うの?

では私のこれまでの必死の努力は意味のないものだったと、そういうこと?



この時、一度はやめようかと思いました。

でも、この時はやめませんでした。

甘える相手は変わっても、運営仲間として必要とされなくなった訳ではない。大事にされなくなった訳ではないと思ったから。それに、必死に守ってきたサークルだけあって、サークル自体への愛着も当然あります。大学のピアノサークルの可愛い後輩達もたくさん入ってくれて、失くしたくない大事な友人達がたくさんいるのですから、そんな簡単にはやめられません。。。

でも、半年位前、とうとうI君とぶつかってしまいました。

甘える相手がMさんに変わってから、彼は少し変わりました。たぶんMさんがNoと言わない人だから。

私は、いくら好きでもサークルをつぶさないため、発展させるためには彼に(怒らせないようにですけど)Noと言いました。軌道修正をさせることができました。でも彼女にはそんなことできません。気まぐれな彼の言うがまま。それで彼が調子に乗っているように私には見えました。

自分のいい加減さは棚にあげて、私を含めた他の運営メンバーに対して信じられないような失礼でかつ偉そうな言葉を平気で吐いたり、侮辱的な言葉を吐くようになったのです。

私が変わったからそんな風に感じるようになったのかなとも思いました。でも、どんなに冷静に昔を思い出しても、彼も変わったとしか思えません。ようするに、Mさんには彼のやりたい放題を抑える役目は出来ないということです。


私は、彼のやりたい放題を抑えようと、一度試しにぶつかってみました。けれど、もう無理だった。彼はもう、以前のように私の言うことに耳をかそうとはしなくなってしまっていました。私が何を問題視しているのか、何が言いたいのかを読み取ろうとは全くせずに、細かいところだけをピックアップしては感情的に言い返して、反論というよりは侮辱や友人に言うこととは思えない言葉で攻撃してくるだけ。

私は彼を抑えようとはしましたが、彼が嫌いになっている訳ではありませんから、はっきり言ってそんな攻撃を受ければダメージが友人から言われた時よりも何倍も大きい。あまりのショックで最後まで読むことすら出来ませんでした。。。

この人は、これまでの私の努力などなんとも思っていない。

どんなに必死にやっても、この人には何の意味もないことなんだ。

甘えるだけ甘えても、全く自覚はないし、やはり所詮私もこれまで私が見てきた他の人達と同じ、気に入らないとなったらもうおまえなんか要らないと言える、その程度のものなんだ。

実際、その時の彼の言葉は、「おまえなんかもう要らない!」と、そう聞こえました。私には。。。


いえ、分かってた。たぶんそうなんだろうということは、私には分かっていました。

だから昔はそういうことにならないように動いていた。それを最近の私がしなくなったのですから、彼から見れば私が変わったように見えていたことでしょう。



分かってます。私が必死にやってきたのは、私の勝手。

彼が日本一のサークルに・・・とか、会員を増やしていってそのうち非営利法人に・・・とか、そんな夢を持つならば、それを私が一緒にかなえようと思ったのも、私の勝手。

彼のためと私がいくら思ってたからといって、彼が私に感謝する必要なんかない。

でも一緒に運営をやっている仲間に対する、かなりの負担を強いてきた相手に対するマナーくらいは、求めていけないはずはないでしょう?


このときも、当然もうやめたいと思いました。でも、それでもやめられなかった。

ここでやめたら、私のこの10年はなんだったのか。必死に守って、サークルをここまで大きくしてきたこの努力は、私の犠牲にしてきたものは。。。私の可愛い後輩達までが、全てが奪われてしまうような気がして、やめるなんて出来なかった。それに、私には中枢の人間としての責任がある。後輩達をこのサークルに誘い、巻き込んだ責任だってあるのです。

全てを突然投げ出して、私を信頼していた人達はなんと言うでしょう。事情の全てを説明など、出来るはずもないのですから。信頼もまた、努力により築いてきたもの。そして、一度崩れたらなかなか元には戻らない大切なもの。それを全て捨て去らなければならないなんて、嫌です。嫌に決まっています。

聞く耳をもたなくなった彼とも、Mさんとも運営上うまくやっていくしかない、そのためには自分が我慢するしかないのだと私は思い定め、うわべは笑顔を作り、これまでずっとやってきました。好きだったことも全部忘れ、気にしなければいいのです。私は我慢強い方だし、最後までやり通せると思いました。


でも、それももう限界です。たぶん心情的に最後の決め手になったのはミクシィのあの日記。彼が、自分の誕生日をMさんと2人で食事に行ってお祝いしてもらったという。

私がやっていたことを、おそらくMさんが代わりにやっている。つまりたまに2人で食事に行ったり、しょっちゅう電話やメール、チャットで話したりしているだろうことは想像していました。どの程度なのかとか、そんな詳しいことは知らないけれど。でも、彼には一緒に暮らす彼がいて、誕生日となればその彼と祝うのが普通で、、私はそんなことをしたことはなかったのです。それを、彼女とはやった。

許せない。そんなことどうしても!どうしても!!!許せない!!!!!

震えがくるほどの怒りに私はおそわれました。

同時に悔しいのか、哀しいのか、わけのわからない涙が止まらなかった。

それからも、私はしばらくは平気なふりをしていました。

でも、私の目の前で彼がMさんに、昔私にしていたように触れたり少し甘えたように話しかけたりしているのを見ながら、それでも変わらず笑って平気なふりをし続けるのが、あまりにも辛くてたまらない。

彼のMさんへの甘え方は、私への昔の甘え方ほどではないように見えます。これは負け惜しみかもしれないけれど。それでも、彼らに会うたびに自分が鬱々としていくのが分かりました。MLが送られてくるのも、ストレスに感じられるほどになってしまった。自分の携帯の表示に彼の名前やMさんの名前が出るのを、もう見たくない。そんな風に感じるようになってしまいました。


そして、彼が私に無神経な言葉を吐くたびに自分が彼を憎らしく感じていく、それが嫌でたまらなかった。

私の中での彼との思い出までが汚されていってしまう。

大事な思い出までを、思い出したくないものにはしたくない。

彼との間で、これ以上嫌な出来事を作りたくない。もうやめて欲しい。。。

こういう彼もまた、真実の一面であることは十分に分かっていますが、それでも、私に優しかったアイツの姿をこれ以上壊したくはなかった。



もう無理だ。やめよう。

そう心を決めてから、実際にやめますと連絡をする行動に出るまでも1ヶ月くらいかかりました。

本当に私は、諦めが悪いのかなんなのか、悩む時間が長い。決めてしまえばあとは大概やることは早いんだけれども、決めるまでが時間がかかるんです。

さらに私は、ホントに性格が悪い。自覚してます。すみません。。。

Mさんが私の代わりを、いえ私の代わり以上のことをするのがどうしても許せないのは、私の彼女に対する評価がとても低いからでもあるわけで、これって、まぁ失礼ですよねw

でもねー、はっきり言って彼女のことは最初からあまり好きでなかったし、私にとってはどうでもいい存在でしかなかったんです。だって、顔は全然好みでないうえ、服装も好みでない。文化レベルも合わないし、動きがチマチマしていて度胸ないし、役に立たないし、ピアノは聴きたくない演奏しかしないし(しかも自覚がない?)、全体のことを考えるとかサークルの発展のことを考えるといった広いものの見方ができない。言われなきゃ必要な動きが出来ない。ホント、全く興味のない相手でした。だから、運営メンバーの中に女性2人だというのに、個人的な交流は全くなかったのです。これ、たぶん珍しいですよね。

えーもう、言ってやる言ってやる。(笑

私は性格が悪い。ホント意地が悪い。

否定しませんし、する必要もありません。



1つ気になるのは、これは『逃げ』だろうか?ということ。

辛くて耐えられない。だから逃げる。

・・・確かにそういう一面もあるなと思います。『逃げ』でもあるのでしょう。

でも、私としては、むしろ積極的な意思でやめたのだと感じています。だって、逃げでやめるなら「もういやー!!」といった感じで感情的になっていきなりやめるでしょう。でも私は違う。1年近くも悩んで考えて、その結果なのですから。

実際、冷静に考えれば私は彼から早く離れるべきだったのです。

それが分かっていて、私は納得して傍にいました。傍にいたいと思うだけ傍にいればいいと考えて。それがどんなに無駄な時間であったとしても、私は後で後悔したくないから。心の求めるままにしようと思いました。

もちろん、ピアノが好きだったからというのもあります。仲間がいるのはいいものです♪

また今思えば、あの頃彼と過ごした時間は、必要なものでもあったのです。私にとって大切な時間だったのです。アトピーのこと、家での介護のストレス、試験勉強のこと、数々の鬱になりそうな状況の中で、彼に会って全てを忘れて幸せな気分を感じられる時間は、失くせないものでした。サークルでの楽しい時間も同じく、失くしたくないものでした。彼がいたおかげで、今もここに私が存在している。極論すればそうとも言えるかもしれないのです。(そういう意味では、感謝しなくてはいけませんね。)

でも、全て乗り越えた今となっては、ある意味必要はなくなった。また、傍にいたいと思わなくなった。それどころか、今私にはやりたいこと、やらなくてはならないと思うことが他にたくさんあるというのに、彼のことで感情が振り回されてなかなか出来ないのが困り所でした。


もうやめよう。彼から卒業し、一歩前に進んで、やるべきことをやろう!


それによって失うものは大きい。サークル自体やめなくてはならないし、そのことで友人をいくらか失ってしまうかもしれない。しかも私は自分の責任を放り出すことなる。私のポリシーとしては許されるべきことではない。

でも、それでも、自分が今選択すべき道はそちらだ!とそう思えたから決心できました。

この決心ができたことで、私は1枚殻を脱ぐことができた、そんな感覚をもっています。

こんな風に決心できるきっかけをくれた訳ですから、むしろ彼とMさんには感謝しなきゃいけないかもしれませんね。本当に。

サークルに対する責任、その面からみれば自分がとても勝手なことをしていて、責められたとしても仕方がないことをしているのは分かっています。だから、誰にどんなことを言われていようと、受け止める覚悟はできています。

でも、実際にやめてみると、皆さんどちらかというと私の性格を結構分かっていらっしゃって、私がやめるなんて何かよほどのことがあったのだろう・・とか、私の決意なら何も文句はない・・とか、私が驚くほどに優しい言葉を下さいました。本当にありがたいことです。。。




アイツは、私がやめる連絡を入れてすぐに「真意がわからない」とメールしてきて、その後1時間半ほどの間に珍しく電話を15回位かけてきました。私はもう話したくなかったので出ませんでした。すると、「説明する気もないわけね!」と切れたメールが1通来て、そしてその後はミクシィ等のマイミク設定を切ったり、、というかアクセス拒否設定にしたようです。たぶん電話も全て拒否しているのでしょう。まあ、予想通りの反応です。

で、他の運営メンバーからもちゃんと説明して欲しいと言われたので、個人的な感情は話せるはずがないですが、それ以外のところについては全て書いて送りました。個人的感情を抜きにしても、十分にもの申すだけの理由はあるのですから、納得させるだけの理由を書いて送るなど簡単です。

すると、アイツは反論する相手ももういない訳だし、だいたい理由も想像つくから読まない!と宣言したらしい。

あれ?「真意が分からない」んじゃなかったの??(笑

でも、その後酩酊したりしていたらしいので、読まないといいながら彼の性格のことですからおそらく読まずにはいられないはずだし、やはり読んだのでしょう。あはは。

やめてひと月が過ぎました。私の周りからアイツの影が全く消えて、今は平和な気分です。

それもこれも、サークルの方達が優しい言葉を下さったりしたからでもある訳ですが。


とにかく、この10年が本当に無駄な時間だったはずはないのです。むしろ、これまで溜め込んできたものを乗り越えて生きていくために必要な時間だったのかもしれない。また、運営の中で、人との関わりの中で、色んなところで学んだことはたくさんあるはず。

私は、よく考えて、自分の決めたとおりにやってきました。だから後悔なんてありません。今でも、胸がつぶれそうなほどの哀しい想いに襲われることはあります。でも、後悔はない。きっとこれからも、この決心を後悔することはない。そう断言できます!!

▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


私にとってかけがえのない時間

嫌なこと全てを忘れて

家族と 仲間達と 

何かに夢中になっていられる時間に

突然割り込んでくる見知らぬ者達がいる

そして お決まりのようにその口から出る言葉


「可哀想にねぇ、あなた。女の子なのに・・・。」

私は固まり 我にかえる


辺りの目が 私に注がれる


見ないで! 私を見ないでよ!


私の心は屈辱に煮えたぎり

夢中だった楽しい時にはもう戻れない


いい治療法を人に聞いたことがある

私もやってみるといい と勧める者もいる

きっといいことはあるからと

強く生きるようにと 励ます者もいる

彼らは私の感謝の言葉を受け取り

ようやく満足気に立ち去るのだ


「いい人もいるものねぇ・・・」

側に居た時には 母がよくそう言った


そうだろうか 本当に 本当に?


それは間違っている 絶対に違う!


本当に私を思ってくれているであろう者達は

そんなことを簡単に口にはしない


私からその話を出さない限り

決して自分から口にしたりはしないのだ


彼らは 獲物を探し当て 優越感に浸り

己には降りかからなかった哀しみに幸せを確認し

そして 親切で優しい自分自身に陶酔しているだけ



呪われてしまえ 偽善者たちよ

他人の哀しみを餌にする ハイエナどもよ


私はおまえ達を決して許さない 決して


△▼△▼△▼△▼△▼△▼△



これは、身に覚えがある人にはある意味申し訳ない内容だったかもw

でも、正直私は本当に小さい頃から、たぶん小学生位の頃から、この手の人達にはいつも怒りを抱いていました。

アトピーの人間にとって痒みを忘れていられるほど何かに夢中になっている時間は、本当に貴重なものです。

痒いことも、自分が人と(見た目)違うことも忘れて、楽しさだけが心を、頭を占めている時間。

でも、こんな言葉をかけられれば嫌でも現実に引き戻されます。自分は彼らとは違う、可哀想にと憐れまれるようなモノであることを思い出させられ、突然自分と、今まで一緒に楽しんでいたはずの人々との間に目に見えぬ壁ができる。締め出されてしまう。


母も、周りの人々も、そういう風にわざわざ声をかけてくる人々をいい人だと言いました。

当の私は、いつも屈辱や怒りで煮えたぎっていたというのに。


私の感じ方が人と違うのは、私の性格が悪いからかもしれないと、小さい頃は思いました。

でも今はそうは思いません。私は正しかったと思っています。

彼らがいい人だと感じるのは、結局自分が言われているわけではないから、分からないのでしょう。

わざわざ声をかけて、自分の知識を伝えようとしたり、優しい言葉を与える人が、普通に親切に見えるのでしょうね。

そう言われる当人の苦しみなど、結局はその立場になってみなければ分かるはずがない。

私だって、全ての人の心が推し量れるわけではない。当然のことですが。


私は偽善者が嫌いです。こういう経験の影響が大きいだろうと思いますが。

口先だけの者がいかに多いか、(表面的に)人を憐れむことで優越感を感じ、優しい言葉を出すことでいい人な自分に酔っている者がいかに多いか、自分のことしか考えない(無意識でも)者がいかに多いか、今の私は十分に知っています。



ちょっとだけ、例になるかなと思うことを挙げてみましょうか。

例えばこの10年強、私は母と共に、老いていく祖父母の世話をしてきました。

どんどん呆けていき、私達が分からなくなり乱暴な口をきいたりする祖父の世話、そして怪我をして歩けなくなった祖母のリハビリやオムツの世話。例の兄の心配と同時に彼らの世話をしなければならない母が身体を壊すことがないように、私は出来る限り手伝い、そして母が決して自分1人で溜め込んでウツになったりすることがないようにと愚痴を出来るだけ吐き出させるよう努めてきました。

私には母は何でも話せる。涙を流して爆発させられる。私も一緒に世話をしていて、何もかも分かっているのだから当然私なら分かるだろうと母は思うのだろうし。

それは精神的な発散としてとても大事なことだと、私にはよく分かるから、母の精神を軽くする為に、自分が辛い時だって出来る限り頑張りました。

そんな中、時々母の妹達やその子供、つまり私の従姉妹達が祖父母に会いに来ます。

私達の目の前で彼らが祖父母にかける言葉は、それは優しいものでした。

「おじいちゃん、おばあちゃん、長生きしてね。いつまでも元気でいてね。私達はおじいちゃん、おばあちゃんが大好きなんだから。」などなど。

私には口が裂けても言えない言葉です。早く死ねと思っているわけでは、もちろんないですが。

そして私達に向かって、「いいじゃないこのくらい。」とか「もっと優しくしてやりなさいよ、可哀想じゃない。」とか口だけは出そうとする。

彼らは現実を知らない。何もしていないから。何も見ていないから。

介護というものがどんなに大変か。どんな思いをして、ストレスと戦いながら世話をし続けているか。

だからこそこういう表面的な偽善的なことが言える。

こういうことを言うことが必ずしも悪いことじゃないのは分かっています。言われた祖父母は嬉しいことでしょう。

そして祖父母は後で世話をしている私達に言うのです。彼らの方がよほど優しいよってね。

介護のプロの人々は、祖父母の相手は適当にして、介護する側の心配を結構してくれるものです。

我が家の祖父母は特に我儘だから、「大丈夫?少し手を抜きなさいね。」と母はいつも心配されているようです。

そして、「あなた達はよくやってる。やり過ぎな位よ。おじいちゃんもおばあちゃんも幸せ者ね。」と言ってくれる。


詳しいことまでは書きませんが、結局これと似たようなことなのでしょう。(違うところもあるけどw)

アトピーがどういうものか、アトピーの人間にとって何が辛いのか、どんな言葉が必要なのか、彼らはしらない。分かっている人ならしないことを彼らはして、分かっている人なら言わないことを彼らは言っていたわけです。

そして無責任に偽善的な台詞だけを吐く従姉妹達に怒りを感じるのと同様に、いや自分のことなのだからそれ以上に、私は彼らに怒りを感じた。


彼らの中には、自分も昔とてもひどかったのだと言う人もいました。

そういう人は、本当に私に治って欲しいと願い、自分の経験を伝えようとしたのかもしれません。
善意だけしかなかった人も確かにいたのだろうと思います。

でも、ほとんどの人は絶対に違うだろうと私は思っています。

上に書いた通りの、安っぽいハイエナ。


でもきっと、いくら説明しようとしても、こういうことって分からない人には分からないのでしょうね。その立場になってみない限り。。。

久々のブログ。

ほんとは書くの大好きなんだから、もっと頻繁に書きたいけど、余裕がないとなかなかね。。。

ソニーが新しく出したType-Pでも買って、持ち歩いてちょこちょこ書けるようにしようかなぁ・・・とも思うけど、あれも結構高いもんねぇ。

昨年秋頃から働き始めた私ですが、そんなに給料高いわけじゃないし。

兄は、早速買うらしいです。いいなぁ。たまに借りちゃおっと♪



さて、地獄のような日々を乗り越えて(たぶん)、戻ってきた私は、とにかく何もかもまっさらな状態からやり直そうと決めました。と言うか、これまでの何もかも捨ててやり直したくなったのです。

何もかも捨てるってのは実際には無理としても、気分的な話ね。

つまり弁護士になることへの執着、プライド、それとI君に対する執着。これが捨てたいメインかな。

過ぎた執着は不健康の元なのかもしれないなと思ったりして。


とにかく自分の足で早く立てるように、仕事しようと思いました。家と大学の狭い世界でなく、世間にとにかく出てみた方がいいのだろうと思いました。気分も変わるだろうし。

といっても、自分が何か仕事をするとなると、やはり法律関係の世界しか思い浮かばなかった。

まあね、やろうと思えば、PC系得意で秋葉がお庭なちょっとしたオタクの私なら、ITの世界に入ってもいいのかなとも思ったりもしたけれど、結局私は法律的な世界が好きなのだわ。

でも、また法律事務所じゃ芸がないし、嫌な思い出もあるしで、、、結局企業での法務がやってみたい!と決意が固まりました。

とはいえ、この歳で初めて就職ってことになるし、これまでは法律事務所のアルバイトくらいしか経験といえる経験はなく(これさえ経験と認められないことも・・・)、司法試験を受けてたといってもどの程度知識があるのか証明できるわけでもないわけで、就職活動は困難を極めましたよ。ほんと、何度諦めて、何でもいいからやってみるか・・・と思ったことか。でも1年近く頑張ってみてやっと!ほんとにもう諦めるかなと思い始めた矢先に、今のIT会社の法務の仕事がぽろっと入ってきて、決まりました。

そこそこの規模のベンチャー企業です。

決まる時はまた、あっけなく決まるもんですね。あんなに苦労してたのに。。。


でもこの就職活動しながら思いましたね。私ってやっぱり根性あるわー(;´Д`)

悪く言えば、しつこい?粘着質?あははw

嫌な思いいっぱいしたけれど、なにくそ諦めるもんか!もしかしたらもしかしたら・・・でこれでもかと諦めず攻めの一手。自信を失いそうになりながらも、最後のところでは絶対に失わないみたいな?

どっから来るんだ、その自信!!って自分で思いました。

実際、なせばなる。きっと(思い通りとはいかなくても)どーにかなる!って思ってるんですよね。



企業法務の人材を募集してる会社って、そもそも少ないんです。

何故なら、中小企業はそもそも法務部なんて置いてない、置く余裕なんてないところが多いから。

その上、募集のほとんどが経験者募集。少なくとも2年以上を求められる。

たまに法律事務所での経験や司法試験受験経験を、経験として認めてくれるところがあって、そういったところを受けたわけだけど、応募した競争相手の中に企業法務経験者が居れば必ず負けてしまうわけで、、、難しいことも時間がかかるだろうことも予想はしてたけど、結構苦しかったです。

ちょっとやそっと企業法務を経験してきた人なんかより、一旦仕事を覚えてしまえば絶対に自分の方が仕事が出来る自信はあるのに(覚えは絶対早いはずだし)、そんな自信はなんの裏づけにもならず何の役にも立たないことが嫌というほど身に沁みて分かりました。頭では分かってても、実際にそういう扱いを受けると結構ショックなものですね。

ま、仕方ないけど。

裏づけは、自分でせっせと勝ち取っていくしかないですな。運よく法務の仕事が出来ることになって、これで何年か経験を積ませてもらい、企業法務の資格も取って、ついでに英語がせっかく得意なのだからちょっと頑張ってTOEIC800点位取っておければ、きっと転職の際役にたつことでしょう。

そろそろ仕事慣れてきましたから、勉強も始めなきゃと思っているところです。


仕事は、ラッキーなことに比較的居心地のいい職場で、綺麗なビルだから気持ちがいいし、周囲の人々にも結構さっさと馴染むことが出来て、楽しくやれてます。

直属の上司には、「おっそろしいスピードで馴染んじゃってるよね。」って言われました。

これは、まぁ、褒められているかはともかく、いいことですよね??(笑

なんだかんだいって、私って結局運がいいのかも・・・なんて思うこの頃ですw

お給料は、それほど多くはないけれど、初めて社会人になったのにもかかわらず新卒とは全然段違いのお給料なわけで、こんなもんかなという感じ。

贅沢を言っちゃいけません。とにかくせっかくもらえた法務のお仕事。頑張らなきゃ!!!


でもお仕事始めてみて、分かりました。

サラリーマンは大変です。ほんとに。

日本人って本当に働き蜂な民族なんですね。私なんて全然マシな方で、営業や実際に作ってる人達とかは信じられない位働きまくってる。あれじゃプライベートな楽しみもクソもありませんよ。実際。

なんだか見てて可哀想になってしまいます。

私はまだ完全に慣れたわけじゃないからいっぱいいっぱいで仕事してるけど、慣れればピアノを楽しんだり試験勉強する余裕もなんとか作り出せそうな感じではあるのです。ありがたいことに。

でも彼らは、あれじゃ無理ですね、きっと。仕事が生きがい?中小じゃ、仕方ないんですかねぇ。。。

▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


鏡を覗き込むと

そこにはいつも私の半身がいる

その子はなんだか

とても気味の悪い肌をしているので

私は小さい頃から鏡が嫌いだった


赤いような 黒いような

気持ちの悪い色をしていて

時には妙なぶつぶつがたくさんあったり

時には皮膚が剥がれて白く粉ふいていたり

時にはあちこち切れてしまっていたり

時には真っ赤に腫れ上がっていたり

時には変な液体が滲み出てきていたり

とにかくあまり見たいものではない


とても可哀想にも思えるけれど

嫌悪感も覚えてしまう



ねぇ 私の半身よ

世界中で一番 おまえが大嫌いだよ

私の前から決して消えてくれない

醜く 哀れなおまえが


でもねぇ 私の半身よ

海よりももっと深く おまえを愛しているよ

同じ姿のおまえだけがきっと

私の痛みを分かってくれるから


おまえを思う時には 涙が止まらない


△▼△▼△▼△▼△▼△▼△


知っている人はきっと読んですぐに思い出すのではないでしょうか。

萩尾望都の『半神』というお話。

半神 (小学館文庫)/萩尾 望都
¥590
Amazon.co.jp

ある一卵性の双子が、身体がくっついた状態で生まれてきます。

片方は内臓の働きが普通の上、頭脳の成長も普通。

けれど、もう片方はくっついた相方から栄養を送られることで生きられる状態で、頭脳も発達しない。

ところが見た目は、フル回転で2人分働いている普通の身体の方は干乾びて痩せっぽちで醜く、相方から栄養を奪って生きている方は美しく成長し、未発達な頭脳のせいかまるで天使のよう。

干乾びた身体の普通の子の方は、周りにちやほやされる美しい天使のような相方を目の前にどんな思いだったでしょう。

そのうち、フル回転で2人の身体を支えていた内臓は悲鳴をあげ始め、切り離さなければ2人とも死ぬ!という所まできます。

切り離しは成功しました。

手術から少し経って、限界まで内臓を酷使していた普通の子がようやく動けるようになった頃、天使のようだった子が自分では栄養を得られない訳ですから当然限界に来ていました。

動けるようになった子は、死に行く相方に会いに行きます。

そこにあったのは、、、以前の自分の姿でした。


身体が元気になって、鏡を見ると、そこにあるのは相方の顔。

あの時死んだのは、本当に相方だったのか?自分だったのではないか?

鏡を見るたびにこの子は、否応もなく相方を思い出すのです。

萩尾望都の心理的描写は絶妙で素晴らしいです。

このお話の最後の、鏡を見て涙を流す場面にある詩のような美しい文句。

それを読んでボロボロ涙を流しながら、ふと浮かんできて書いたのがこれです。

パクったようなもんですねw




鏡を見るのは、当然ながらかなり小さい頃から嫌いでした。

特別美人でなくても普通の肌をしていれば、結構可愛いと思える子は多いものです。

我慢ならない位造形のひどい子なんて、そうはいない。

でも造形はともかく、皮膚がおかしいとどうしたって気持ち悪いものでしょう。


今はあまりないけれど、実際に昔から皮膚の病はひどい扱いを受けたものでしたよね。

大きな痣であったり、皮膚が溶けていく病気(なんていうんでしたっけ?隔離されて島に閉じ込められたりしてましたよね)だったり、アトピーもひどいものになれば似たようなものです。

呪われた者だとか、忌むべき者だとか・・・今はさすがにそんなことは言われないけど、声に出すか出さないかはともかくいつの時代も醜いものを人は嫌う。

見た目ばかりのことでなく、加えて始終襲ってくる痒みや痛みと終わりの見えない戦いを続けるのがどれほど辛いか、疲れるか。

しかも命には別状ないんだからたいしたことない、もっとひどい病気はいくらでもあるなどと言われ。

比較の問題じゃないでしょう?


そういえば知人に、心臓に欠陥のある人がいます。

手術はうまくいったけれど、それでもいつ発作が起きるか分からない、もしかしたら死ぬかもしれないという。

確かに、辛いだろうと思います。体育は駄目、走るのもなるべく駄目。制約の多い日々。命の不安。

結婚もしないと言っていました。妻になる人を幸せにしてあげられる自信はないから、いつ死ぬか分からないからと。

(これには異議を唱えましたが。だって幸せかどうか決めるのは妻になる人でしょう?いつ死ぬか分からないのは誰だって同じだし。確率の問題で。)

その彼は、見た目普通です。やせ細っているわけでもない。しかもこういう人に限って顔がよかったりw

私は、不謹慎なのは分かってますが、彼が羨ましかった。

自分の境遇を悲しんで当然と見做される身分が羨ましかった。

与えられる純粋な気遣い、思いやり、同情。

そこには嫌悪などもちろんなく、異物を見るような目も、哀れむような目もない。


どこだったか、カウンセラーのHPで見ました。

『アトピーは命に別状はない病気だが、死にたくなる病気である』

ああ、自分だけが弱いわけではないんだと、すごくホッとしたのを覚えてます。

命に直接危険のある病と、死にたくなる病、どちらがいいなんて決められますか?




自分の目で、自分の姿は普通見れません。

それを可能にするのが、ガラスであったり鏡であったり。

普段、何も意識せずに友人達と戯れていると忘れていられるけれど、ふっとガラスや鏡に映る自分を見ると突然我にかえるような気がします。そこに映るのは見慣れた周囲の人間達とはあまりにも違うモノ。突然外にはじき出されたような感覚に陥るのです。もしかしたらそのガラスや鏡の向こうに?

そしてまるで自分が、どんなに手を伸ばしても届かない美しく温かい世界をガラスや鏡越しに眺めているような、そんな気分になります。

ガラスや鏡のない世界だったら、もう少しは心安らかに暮らせただろうかと時々思いますねぇ。

アンジェリーナ・ジョリーが出ている。しかもカッコいい役っぽいドキドキ

ええ、それだけの理由で映画館まで見に行きました。

主役は見覚えはあるものの、なんだかパッとしない人。

でもそんなのどうでもいい。


観た後に知ったのですが、これアメコミが原作だそうな。

びっくり。

だって、暗いよ・・・

コミックスでこの内容?

アメリカって・・・・・・

まぁ、日本にも暗いコミックスくらい幾らでもあるけどさ。うーーん。


<評価> ★★★☆ (3.1/5.0)


あんまり高評価はあげられないですねぇ。

アンジーはカッコいい!文句なくカッコいいですよ♪

だからこの程度の点はあげとこうか、という程度。

他の俳優がなんかしょぼい。印象に残らないつまらん感じのばっか。

唯一しぶかっこよくて好みなモーガン・フリーマンも、なんと悪役。(;´Д`)マジ?

主役は、ああいう設定で、イライラさせてくれるあのイジイジキャラならあんまりカッコいい俳優もってこれないのは理解できるけど、、それにしたって微妙。なんとか及第点程度?


しかも、はっきり言ってストーリーが嫌。

観た後気分悪くなりまっせ。ムカツク。後味かなり悪い。

特に父親殺しに関連した部分。騙されて、実の父親を殺すのに利用されるなんて・・・

それに、織られた生地に殺すターゲットの名が、、とか在り得ない。

なにそれ、超適当w

そんなんで世界のバランスとかいうな。アホか。

大体、同姓同名が絶対何人かいるだろ。

もしかしてアメリカ内だけで世界とか言ってます?


とまぁ、文句が出まくりだろうと思われる映画でしたが

でも、観なきゃよかったとまでは思いませんね。

人間離れしたアクションの数々は面白かったし、銃弾が意志の力?で曲げられるとか、なかなか目の付け所がいいと思う。

何よりアンジー美しぃ~!カッコいい~!最高~!!

最終的に死んでしまう役なのが悲しいけど、ああいう展開なら逆にカッコよくて許せるかな。


お勧め、、とはあんまり言い難い映画でしたが、カッコいいアンジーが好きな方は見るべきかも。(笑