これから話す事は、
事実かどうかも分からない話なので、
他愛もない一つの物語としてお読みください。


2006年7月12日の午前7時、
まるで光の粒のようなものが「キーン」という音と共に、
僕の眉間にズボッと入りました。


閃光が走ったような衝撃を感じ、
その瞬間信じられない事に、
宇宙創成から人類創生のストーリーが、
まるで映画のスクリーンを見ているかのように、
次々とビジョンとして映し出されたのですね。


これは当時、
いくら映像の仕事をしていたからといっても、
今まで見たことのない衝撃的な内容でした。


それも一瞬の間にです。


青天の霹靂と言っていいような、
まるでいきなり雷が落ちたようなショックと言うか、
頭の中でビッグバンが起きてしまったような感覚です。


実はこのような体験は過去にも何度かあったのですが、
でもそれは部分的なものであって、
今回ほどマクロ的というか、
かなり強烈で鮮明なビジョンであったのは、
今までの中でも初めての経験でした。


その体験の中で確信したことがありました。


宇宙に偶然など一つも無いと。


瞬時と言えどもその情報量は膨大だったため、
これらのことを思い出しながら、
『希望の法則』講演会でも話したりしたのですが、
それなりに好評だったものの、
皆さんチンプンカンプンな顔をされていて…(笑)。


ビジョンを言葉で伝える事はとても難しい事を知り、
9回でその講演を止めました。


その中で興味深い人物が登場していました。


「ヨシュア」と呼ばれる男性です。


「インマヌエル」とも呼ばれ、
一般には「イエス・キリスト」と呼ばれている方です。


これらのビジョンの道案内をしてくれたのが、
「ジブリィ」と「アズリィ」と名乗る、
大きな白い羽を持った天使でした。


「ジブリィ」は通信の大天使「ガブリエル」の正式な発音だという事は、
ネットで調べてすぐ分かりましたが、
「アズリィ」は一体誰だか全く分かりませんでした。


「ジブリィ」は優しい顔立ちをしていましたが、
「アズリィ」は反対に目が吊り上がり、
とても厳しそうな恐い顔をしていました。


「アズリィ」は仏教で言う阿修羅、
または閻魔大王かもしれないな…とも思っていました。


だから、
陰と陽の清濁混合で来ていると思ったので、
検証のため慎重に調べまくりました。


その頃は、
しょっちゅう変なビジョンに騙されていたので(笑)。


それを講演で話したら、
藤沢市のMさんというクリスチャンの方が、
「アズリィはきっとアズラエルですよ!」と教えてくれました。

(※アズラーイルとも呼ばれているらしい)


僕はクリスチャンじゃないので初めて聞く天使の名前でした。


旧約聖書では、
「アズラエル」という天使は、
神がアダムを創る時に協力した大天使という事になっています。


そう言えば、
宮崎駿監督は「スタジオ・ジブリ」。


もののけ姫に出てくる「シシ神」は、
生と死を司る存在として登場してきます。


まさに「アズラエル」の仕事です。


よってこの「アズラエル」の象徴として、
宮崎アニメではシシ神が描かれていたように思います。


一見強面ですが、
人に何かあった時は頼もしく、

魔を退散させる力を持っています。


また、くじけそうになった時や悲しみで押し潰されそうな時には、
励ましながら巨大な光のエネルギーを発し、
優しく包み込んでくれる天使のようです。


一人ひとりの希望が失われそうになると、
力を与えてくれる役割もあるようです。


僕はこの「アズラエル」が、
大日如来の化身と呼ばれる「不動明王」に思えてなりません。


実は話が飛びますが、
「不動明王」もビジョンの中に登場していました。


何とも表現し難いのですが、
一つの物語にいくつもの物語が重なってビジョンとして見えるのです。


まるで、

100本の映画を同時に見ているようなものです。


よってこれからも、
話があちこち飛ぶのをお許しください。


さてビジョンでは、

不動明王も含めた、
天上界の諸菩薩や天使たちの会議の場で、
「誰が地獄界に行って霊を救済するか…」と話し合ってました。


多くの光の天使たちは、
皆恐がって下を向いていました。


失敗したら、
二度と天上界には戻って来れない危険性があるからです。


シーンと静まり返った中、

天使の中でただ一人、
「不動明王」だけが手を挙げました。


あの凄まじい形相の意味は、
それだけ地獄界を救うという事は、
強靭な意識じゃないと太刀打ちできない厳しい世界だ…
という事を物語っているからですね(笑)。

 

自らを魔王と名乗るものがうじゃうじゃいるからです。


さて不動明王の話はまた今度にして、
この「ジブリィ」と「アズリィ」の二人の天使が、
僕のビジョンのナビゲーターをやってくれたという訳です。

 

 

イエスの少年時代


これから話す事は、
ヨシュア…つまり人間イエスの物語です。


ヨシュアのビジョンを見ることは、
実は初めてではありませんでした。


20歳の頃に見た夢ですが、
あるみすぼらしい少年が登場しました。


12歳くらいと思われるその少年は、
ズタ袋でできたような粗い生地でできた服をかぶり、
太い紐を締め、
石畳の会堂前広場の中央に向かってとぼとぼ歩いていきました。


石畳の奥には、
大きくて立派な教会が建っています。


教会に向かう人たちは、
皆綺麗な服をまとい、裕福そうな人たちばかりです。


うつむき加減で歩くその少年とすれ違うと、
露骨にじろじろ見ながら大人たちは避けて行きます。


少年の左手には分厚い書物(ユダヤ経典?)、
右手にはミカン箱のような大きさの木の箱。


少年は教会前の広場中央に来ると、
木の箱を置きその上にスクッと立ち上がり、
右手を大きく天に指差しました。


天に向けたその指をそのまま水平に降ろし、
今度は、
広場の大人たちを見回しながら一人ひとりを指差しました。


そして放った言葉が…


良いか大人たちよ、
神の声を良く聞け!


今までいったい何を学んできたというのだ!


人を騙すことか?


あざむくことか?


人に嘘を付くことか?


金儲けだけをすることか?


人を不幸にし、
自分だけ良かれと思うことか?


大人たちよ、
神の思いを何と心得る!


・・・


通行人は一瞬驚いて立ち止まり、
しかしすぐに、

まるで気の狂った少年を見るように、
さげすみながら嫌な顔をしてその場から去って行きます。


少年は散々怒りをわめき散らした後、
また木の箱から降り、
何もなかったかのようにとぼとぼと帰って行きました。


夢の中では僕もその通行人の中の一人でした。


余りにも強烈な印象を受けたので、
すぐにその少年の後を追いかけたのですが、
人混みに飲まれて見失ってしまいました。


ある牧師にその夢を話したことがあります。


するとその牧師は非常に驚き、
書斎から聖書を出して僕に見せてくれました。


それまで聖書など、
一度も開いてみたことはありませんでした。


その聖書に書いてあることを踏まえ、
牧師は要約してくれました。

 

イエスは大工の倅だったため、
その環境によって言葉は汚かったと思われる。


それ以外に、
大酒のみで大食漢、
しかも激情的な人物であったことが聖書の随所に書かれてある。


たとえば、
エルサレムの神殿前で暴れ狂い、
商売人の棚をひっくり返す大騒動を起こしている。

 

しばしば空腹を訴え、
ある時はお腹が空いたと言って実をつけていなイチジクの木に、
「枯れてしまえ!」と八つ当たりするような姿も見せている。


私が来たのは地上に平和をもたらすためではない、
平和ではなく剣をもたらすために来たのである…とも言っている。


筋骨隆々で逞しく、
12人の弟子の頭をぽかぽか殴ってもいたとか…。


現代のイエスのイメージとは程遠い存在です。

 

以上の事から、
「まさかこの乱暴者のイエスが救世主の訳がない!」と、
民衆が思ったのも否めない事なのかもしれない…と。


怒りのイエス…、
それが私の見た夢の中のイエスのイメージです。


お金もイエスは、
「シーザーのものはシーザーに」と言って、
投げ捨てたそうです。


当時のお金は、
全てシーザーの顔が刻まれていたからです。


でもイエスは商売やお金を批判したのではなく、
それを牛耳っている連中…、
一言で言えば、
モーセの時代からの偶像崇拝者、
今で言うフリーメーソン組織に対しての言葉だったと思われます。


なぜなら、

特に石工で商売する人を嫌っていたと思われます。
(※メーソンは石工組合が起源)。


ではなぜ中東の石屋さんが、
これだけ現代の世界の金融や穀物、
金や情報を支配できるようになったか…ですが、
どうも当時の金庫は、
石でできていたようなのです。


鍵(組石形式)の開け方も、
依頼した家の主人と作った石工だけが知っています。


家の主人が戦争に徴兵され死んでしまえば、
金庫を開けられるのは?…


その戦争すら引き起こせば?…


このように、
国(当時の支配者)と石屋(メーソン)の癒着から、
徐々に巨大な資本力を拡大して行ったと思われます。


さて、
一介の通行人だった僕は少年の話す言葉に惹かれました。


言葉は汚かったけれど、
彼の真剣なまなざしと激しさ(熱意)は尋常ではなかったからです。


それに対して牧師はこう解説しました。


イエスは弟子に対して、
時には殴ったりして相当厳しかったと。


しかしそれは、
神の子として当然の行為であったこと。


人を裏切り、嘘をつき、
自己保存に働いた時にそういった体罰を加えたようです。


相手の心の痛みを肉体の痛みで教育したようです。


愛の中は、
時には暴力、怒りもあるということですね。


当時の弟子たちは身分が低かったため、
止む無くそういった形でしか、
彼らの知的及び霊的レベルを上げる方法がなかったようです。


仏陀の肉体行のようなものなのかも。

 

 

12歳のイエス


牧師は僕の夢の根拠を話してくれた後に、
ある1枚の絵を見せてくれました。

 


この絵は聖書の一節を絵画にしたものだと思われますが、

先ほどの私が見た夢の姿と似ていますね。


しかし聖書の話では、
イエスの家族が全員でエルサレムの巡礼に行った時、
12歳のイエスが行方不明になってしまうのですね。


マリアが必死で探しに戻ったら、
イエスが律法学者に演説していたと言われる絵です。


問題なのは、
丸一日も経ってからイエスがいないと気が付くんですね。


家族は誰も、
イエスが行方不明になった事すら気付かなかったと言う事実です。


当然、翌日必死に探し回った母マリアは、
イエスを見つけて怒ります。


でもイエスは冷たく言い返します。


「どうして僕を探すの?
僕が本当のお父さんの家にいるのを知らなかったの?…」


なぜこのようにイエスは皮肉っぽく言ったのか、
今後読み進めるうちにご理解できるかと思います。


でも、これから話すビジョンと結び付けて考えると、
当時のイエスの環境や境遇、
そして寂しさが痛いほどよく分かってくるのです。

 

 

さて私が見たヨシュア(イエス)のビジョン。。


本当にイエスは、
母マリアの処女懐妊から生まれたのか?


夫ヨセフと妻マリアの関係とは?


もし本当の父親がいたのなら、
それはいったい誰なのか?


イエスが生まれることを仏陀が予言していた?


洗礼者(パブテスマ)のヨハネは従兄弟?


マグダラのマリアはイエスの奥さんだったのか?


イエスを証する使命を持って生まれたヨハネは、
何故王から斬首されたのか?


ゲッセマネの丘で祈った相手とは?


イエスの復活はどのようにして行われたのか?


愛の教えが世界的に広がった理由…


これらの答えをなぜ一介の凡人である僕に、
ビジョンで見せられたのかは、
全く意味不明です。


事実かどうかの根拠も、

確認するすべもありません。


なぜなら僕は、
聖書はほとんど読んだことがないからです(笑)。


よって次回以降も、
単なる物語としてお読み頂けたらと思います。

 

《次に続く》