前回の『本当に欲しいもの』とは、
お金とか物質とか《目に見えるもの》ではなく、
その奥に潜んでいる《目に見えないもの》こそ、
自分自身が心から求めているもの…。


それが、
とても大切だという事がお分かり頂いたかと思います。


目に見えるものは使えば使うほど減りますが、
実は目に見えないものは、
使えば使うほど、

与えれば与えるほど増えるんですね。


たとえば、
お金は目に見えますから、
使えば使うほど減りますね?


家にしてもだんだん古くなり、
いずれは消耗して朽ちて行きます。


でも、
目には見えない愛や感謝や安らぎというものは、
どんどん循環して連鎖し、
エネルギーを持ちながら増幅するのです。


たとえば人を励ましたり安心させたり、笑顔にさせると、
その思いが周りにも良い影響を与え、
人から人へと大きくなって、
必要な時に形を変えて自分に還って来る法則があるんです。


ですから、
物質的なお金を目的とした思いは、
たとえそれが一時的に叶ったとしても、
いずれ朽ち果てて行くのです。

 

「お金さえあれば」…ではお金が目的になってしまい、

反対にお金で苦しむ事になりがちです。


同じように一部の企業の掲げている『利益追求』は、
公然とお金という物質が目的になっています。


ですから、
いずれ朽ちて行くのが自然の法則ですから、
ほとんどが倒産するか下請けを倒産させるか、

または社員にその責任を押し付けるかして、
プレッシャーや過剰な労働を与え、

多くの罪を作る事になるのですね。


ですから、

ブラック企業で言うところの『企業』という字は、
「業(ごう)を企てる」と書くんです。


自分さえ良ければ、
自分の会社だけ儲かれば…が、
結果的に罪を作るんですね。


『会社』とは、
神聖な神との出会いを与えてくれる場…
『神(社)と出(会)う場』と書きます。


会社は神聖な場なのに、
「利益追求」だけを目的にするから、
実際にほとんどが倒産してしまうのです。


「社会」も同じです。


じゃあ会社は、
お金じゃなくて何を目的にするの?…


今まで数多くの経営者を見て来ましたが、
その答えを見つけられない社長がいかに多いことか。


当然、
いつのまにかその会社は消えて行きます。


会社とは、

そのお金を得て何に使うのか…、
それが一番の目的になるんです。


その目的が明確じゃないと、
お金も回って来ないし、
良いインスピレーションやアイディアも浮かばない仕組みになっています。


神の目から見て、
お金はあくまでも手段にしか過ぎないのです。


道具と言っても良いかもしれません。


「あなたはお金を得て何に使うのですか?」…


そう経営者に何度も聞いていくと、
前回と同じように、
最初はいろんな《物》が浮かんで来ます。


自社ビル、借金返済、自宅、別荘、高級車、社員の未払い賃金(笑)…


同じように何度も何度も同じ質問して突き詰めると、
やはり同じで、
《目に見えないもの》が背後に隠れている事が分かります。


そこで気が付きます。


たとえばですが…。


そうか、
実は私はお金の奥にある、
社員や私とその家族の笑顔の為、
商品を買って頂けるお客様の喜びの為、
世の中を幸せにしたい為にお金が必要だったんだ…


人と人との信頼関係を築く為、
自分と縁を持った人々と、
みんなが豊かに安心して暮らせる社会にしたい為…。


このように、
いろんな『目に見えないもの』が、
お金の背後に、
本当の目的として隠れている事が分かります。


これに気付くか気付かないかで、
人生に大きな開きが出て来るんです。


実は、
その目的をはっきりと自覚する事で、
手段や道具としてのお金が、
必要な分だけ入って来る仕組みになっているのです。


入って来ない人は、
お金を間違った目的にしているか、
その背後の、
本当に欲しいものが見えていない方です。


または、
神の目から見て、
まだ今与えるのはふさわしくない…
と判断された場合です。


神に向かって、
自分の心に偽った目的にしたり、
裏腹な思いは通じません。


「社会貢献?…そうは言っても、
自分が贅沢したいだけなんでしょ?」
…ってすぐにばれてしまいます(笑)。


神に認められた目的だけが通じる世界がそこにあります。


当然ながら、
自分さえ良ければ…と思っていたり、
自分に甘かったり、
人や社会のせいにしたり、
一気に挽回しようと焦ってたり、
軽率だったり、
普段から努力しなかったり、
その目的を達成するために何も考えなかったり、
積極的に人のために貢献していなかったりしてては、
神は与えたくても与えられないのですね。


※参照:「神々の気持ち
http://ameblo.jp/jesmotoi/entry-12140245020.html#main


個人にしても会社にしても、
破産したり倒産するのには、
そこには必ず《原因》があるのです。


神は、

あなたが流す涙の一滴すら見逃さない。


これは事実です。


という事は反対に、
涙以外もちゃんと見ているという事です。


『悪銭身につかず』という諺もありますが、
人を騙して得たお金だったり悪事を働いて得たお金は、
必ずその数倍のお返しが自分に返って来ます。


目に見えない世界は、
とても正直に、
そして正確な法則に則ってできているんですね。


奇跡やチャンスや、
良い人との巡り会い(縁)というものは、
神が感動した証でもあるのです。


見えるものも見えないものも、
全ては宇宙最大の慈悲である《縁》によって成り立っているからです。


なぜなら、
神の力をもってすれば、
1億円のお金を移動する事も、
素晴らしい人との縁も造作もない事だからです。


普段から、
誰も見てなくても神から愛される人…


神様が気の毒に思い、
何とかしてあげたいと思える人、
こんなに頑張っているんだから、
助けてあげたいと思える人…


そういう方たちに対して、

神は絶対に見捨てません。


なぜ私が、
ここまで言い切ることができるか…


今まで信じられない程の数々の奇跡を、
目の当たりに体験として受けているからです。


私が生きていること次第、
そして会社が奇跡的に30年も続いたこと次第が、
私には信じられない出来事なんです。


今まで5,000社の社長の中には、
私よりも頭の良い人、
私よりも能力がある人、
私よりも努力している人、
私よりも人脈をいっぱい持ってる人、
私よりも家柄が良い人、
私よりも心が強い人…


当初そんな社長たちが、
30年も経つと、
当社1社だけ残して全部潰れてしまったのです。


※「会社生存率」による。


その差があるとすれば、
たった一つだけしか思い当たりません。


『神さまが僕を見て、
微笑んでくれる人になりたい。』


たったこれだけです。


人が見てくれてなくても、
ちゃんと神さまは見てくれています。


人が認めてくれてなくても、
間違いなく神さまは認めてくれています。


人が褒めてくれなくても、
神さまがちゃんと褒めてくれているんですね。


弱い僕のそばには、
いつも神さまがいる。


それが僕にとって最大の、
《安らぎ》と言う目には見えないものなのかも知れません。

 

もちろん、神さまじゃなくても、

家族でも大自然でもいいんです。

 

実は自分に欲しいものなど無く、

全てに満ち足りた『無』のエネルギー空間の事を、

私たちは《安らぎ》と呼んでいるのかもしれませんね。

 

ひょっとして私たちは、

元々そういった世界から舞い降りたのかも?

 


※いつもこんな事を、
自立を目指す若者たちに教えています(笑)。