人はなぜ生きるのだろう。

 


「生きる」とはどういう事なのだろう。


生きる反対の意味を持つ「死」とは。


自分はなぜ

この世に生まれてきたのか。

 

そして「自分」とはいったい…

 

 

誰もが

今までの人生で考えた事があるだろう。


私も例外ではなかった。

 

当時、

能力開発の仕事ばかりやってる頃、

『魂と脳の関係』について、

次のようなメッセージが降りた事がある。

 

巨大な光だったが、

なぜか懐かしいような、

大昔に会った事のあるような、

時折、

髪の毛の薄い中年太りのおっさんのような…(笑)

 

過去、

夢を含め数回降りた事のある人だ。

 

ご自身の事を、

「アルラー」とか何とかと言ったような…

(※文章を読んで分かる人は分かると思います)

 

 

知識とは、

肉体の一部である脳に蓄積する。


肉体である脳は

いずれ灰となり塵となる。


同時に知識も無に帰す。


永遠に残るのは

意識、心、魂である。

 

どんなに貪欲に知識を求めても、
それを生かし、

または行ない、

意識に落とさなければ、

ただ虚しいものとなる。


この通信を

単なる知識のままにしてはならない。


あなたの

意識、心、魂に落とすのだ。


それで初めて知識は叡智となる。

 

大地から得た肉体は

いずれ大地に帰す。


人間は

植物、動物を殺さなければ生きてはいけない。


しかしその肉体から出るものは、
糞、小便、汗、垢、目糞、鼻糞だけの

泥沼の存在である。


それを認めた上で、

何を思い、

何を為すかが重要なのだ。

 

正しい思いと行いが一致すると、

泥沼から咲く蓮のように、

見事な白く輝く綺麗な花が咲くだろう。

 

これを「命」と呼ぶ。

 

人よ、命の尊さを知れ。

 

多くの捧げられた命の上に、

自らの命が成り立つことを知れ。


自己中心と自己保存を捨て、

正法に照らし合わせ、

感謝と報恩に生きよ。


人として人らしく思い、

そして行動せよ。


失敗を恐れてはならぬ。


泥沼の肉体だからこそ、

白く清らかな蓮華が花開くことを知れ。


内在された叡智が花開く時、

あなたの意識は宇宙と同化する。

 

 

 

漫画 にも書いてあるが、

私は上杉謙信の家老の血筋である旧家に、

4人兄弟の末っ子である次男として生まれた。


祖父の昔からの決め事で、

もし私が女の子であったら養子に出される運命にあった。


今思えば、

時代錯誤も甚だしいくらいの厳格で封建的な家だった。


敷地は三千坪あり、

蔵が3つ、お手伝いさんが3人いた。


母はクリスチャン、父は神道、

祖父は密教、祖母は仏教という、

まるで宗教混合の家庭で育つ。


私が11歳の頃、

莫大な借金を背負ったまま父を癌で亡くす。


先祖から受け継いだ土地や、

蔵に入っていた数百本の刀や骨董品などを売りさばき、

危うく一家離散を免れたが、

母の内職だけでは生活が成り立たず、

家計はいつも火の車だった。

(※You Tubeで『本井秀定の物語』 を参照)

 

父の死んだ翌年(※中学1年)、

 

自転車での通学途中に車で跳ねられ大事故に遭う。


幼少時に経験した幽体離脱をまた経験する。


しかし、

今度は様子が違った。


跳ねられた瞬間だと思うが、

周りの風景が全く違うのである。


百花繚乱の一面花畑で、

遠くの丘の方からハーブの音色のような美しい音楽が聞こえてくる。


自分の意識は

その花畑の上でふわふわ浮かんでいる。


青空の中で雲がゆったり流れ、

春のような爽やかなそよ風を感じ、

とても開放的で安らいだ空気に満ちている。


ふと花畑に意識を下ろすと、

目の前に広がる全ての花の葉脈、お

しべやめしべ、花から花へと飛び交う蜂などが全部見えた。


見えるというより、

まるで集中した一点の視点が一気に広がったように、

全ての花の一本一本の様子が瞬時に分かってしまうのである。


花や虫だけではない、

ところどころに親指ほどの羽根の生えた妖精が顔を出し、

花や葉の後ろで恥ずかしそうにこちらを伺っている。


目が大きく、

ベレー帽のようなものから飛び出した二本の触角をもち、

現代風の色とりどりのスパッツのようなパンツをはき、

まるでシルバーでできた、

先端が淡く光る杖をそれぞれの妖精が持っていた。


2~3歳の頃、

一人で花畑で遊んでいる時にも一度だけ見かけた事があったが、

今まで見た事のないような可愛らしさだ。


その光景の美しさと心地良さで、

ずっとここに留まりたいと思った。


するといきなり天空から、

「ならん!」という大音響の声が響いた。


その瞬間、

眼下に広がった花園から無数の光があちこち立ち上がり、

必死でこちらに向かってくる。


ひときわ光を放った杖を持つ妖精たちが、

自分の浮かんでいる真下に集まり始めたのだ。


その数たるは1万や十万どころではない。


光る杖を高らかに掲げ、

上から見ると

まるで光の絨毯が敷き詰められているようにも見える。


「一体何が起きるのだろう…」と思った途端、

いきなり「ドーン!」と鈍い衝撃を頭に受けた。


すると景色は一転して、

眼下の道路上に

ひしゃげた姿で『くの字』に横たわっている自分が見えた。


そばで自転車が、

無残な残骸として転がっている。


いつものように

「大変だ、戻らなきゃ!」と思った。


しかし今回はなかなか戻れない。


一旦入る事はできるのだが、

またすぐに抜けてしまい、

まるであらゆる角度から自分を捉えたビデオカメラのように、

視点があらゆる方向からスイッチされ、

自分の肉体に戻ってみたり離れたりして、

視点がころころ変わってしまうのである。


肉体に戻っている時、

「頭がやけに熱い…」と感じ、

左手で頭を触ってみた。


見ると手にビッチョリと血が付いていて、

それが止めどなく流れていた。


たまたま交通監視をしていた、

警察官の目の前で起きた朝の事故だった。


その様子を後で聞いたところによると、

この事故にはたくさんの不思議があった。

 

まずは、

猛スピードで突進してきた車に真横から体当たりされ、

フロントガラスを粉々にするほど、

空中高く跳ね上げられた事。


跳ね上げられた瞬間、

見ていた誰もが「死んだ…」と思ったほどの大事故だったらしい。


しかし、

頭から地面に叩きつけられる瞬間、

光の絨毯のようなものが支え、

一旦ふわっと浮かび上がってからストンと落ちた事を、

後で複数の人が証言していた。


跳ねられてから地面に落ちるまでの時間が、

わずか数秒の出来事なのに、

体感では少なくとも30分以上に思えた。


また、

どうも意識が肉体から出たり入ったりしていた時や、

頭に触った状態を「死ぬ前の痙攣」と勘違いしていた事。


自分では冷静な状態で、

「学校に着いたら保健室に行かなきゃ」程度にしか思っていなかった。


また、

どういった顔の人が集まり、

どういった状態で救急車に運ばれたか、

その様子を鮮明に覚えている事。


後で救急隊員が言うには、

私は既に意識不明状態であり、

終始目をつぶっていたので見えるはずがないとの事。


結果、

大事故だったにもかかわらず、

頭と腕を数針縫う程度の軽症で済んでしまった…。

 

その後も大病を患ったりして、

何度も死ぬような目に遭遇したが、

なぜかいつも命拾いしている。

 

 

「自分とはいったい何者なのか…

何をするために生まれてきたのか?」


以前にも話したと思うが、

自分にとっては人生を変えるほどの霊的現象なので、

もう一度書こう。

 

独立した30代の頃、

 

その答えを探すために、

一週間山に籠り『内観』を行なった時の出来事である。


自分の過去を振り返り、

今までいかに自分が愚かで情けなく、

どうしようもないほどダメ人間であったことを思い知る。


特に母との関係を調べていて、

忘れていた事が次々と思い出され、

涙が次々と溢れ出し号泣した。


「俺なんか生きている価値なんかない」…

そこまで落ち込んだ。


そんな4日目の朝、

身体に異変が生じた。


意識しなければ身体の感覚が全く無いのである。


目の前に置いた腕時計を見ていると、

どうも1分間で一呼吸しかしていない。


しかし、

心はとてもリラックスしていて、

今までにない安らぎで満ちている。


何かおかしい…。


ひょっとしたら今、

守護霊らしきものを呼び出せるかもしれない…。


ふとそう感じた。


自然と両手が目の前に浮かび上がり、

肘を上げた状態で合掌の形になる。


掌の隙間に三角形の空間ができ、

その空間が宇宙に通じている感じがして、

そこで息を吸ったり吐いたりしていた。


すると突然、

どこからともなく『わっはっはは…』と高笑いの声が。


「出た~!」などと慌てなかった(笑)。


心も身体もとても暖かく、安心感に満ちたままだ。


すかさず、

 

「あなた様は

私の守護霊様ですか?」

 

と聞いてみた。

 


するとどうだろう、

予想外の答えが瞬時に返ってきた。


『そんな事は

どうでも良い!』

 

と。


くだらない質問などするな…

と言わんばかりである。


予想外の答えが返ってきたという事は、

とっさに、

自分の勝手な妄想の類ではない、そう思った。


気を取り直して再び聞いて見た。


「私は今内観をして、

今までの自分の愚かさを

思い知りました。

こんな男でも何か目的を持って

生まれてきたのでしょうか?」

 

するとまた瞬時に答えが返ってきた。

 

 


『私たちが

お前が過去に成した事、

そして

これから成そうとする事を、

分からないとでも

思っているのか!』


…う~ん、

答えになっていない(笑)。


 

「あのぅ…

もっと具体的に…」


そう言うと今度は、

 

『何を恐れてる!』

 

 

…と一喝された。

 


「えっ?僕が恐れてる?

そんな事は…」

 

と言いかけると、

 

 

『真実は

 

“本当の自分”の中にある!』


たった一言そう言って消えて行った。

 

本当の自分…?

 


今の自分は表面的で虚偽な自分であって、

本当の自分ではないという事か?


その時から不思議なシンクロが、

しょっちゅう起き始めた。

 

※参照:ドラマCD『ふるさと』

 

 

 

 

あなたはどこにいる?

 

何故、

そのような鎧を身にまとい、

私から隠れようとする。


何故、

自らの心に鎖を縛りつけ、

自ら締め付けようとする。


心が、肉体が、

奥底から悲鳴を上げていることをなぜ知らぬ。


あなたは本来、

自由な魂として創られたはずである。


それなのに何故、

本当の自分に目を背ける。


その鎧を作ったのは誰か?


あなたである。


その鎖で縛り付けたのは誰か?


あなた自身である。


現在のあなたを作り上げたのは誰か?


これも、

今のあなたという一つの存在である。


自らが選択した人生の結果が、

今の姿なのだ。


誰のせいでもない、

全てがあなたの選んだ道なのだ。


私には、

あなたがいつも不自由そうに歩く姿が見える。


重い鎧を自らまとい、

冷たい鎖が容赦なく骨まで締めつけている。

 

鎖を解くには勇気が必要だろう。


その食い込んだ鎖を剥ぐには

痛みも伴うだろう。


そして、

鎧を脱ぎ捨てるには恐怖も襲うだろう。


しかしながら、

決して恐れてはならない。


絶対に自分から逃げてはならないのだ。


諦めてもいけない。


勇気を持って、

自ら作り上げた呪縛を解き放て。


希望と光明に満ち溢れた未来の、

自由なあなたを発見せよ。


私は…

 

もう一人の「本来のあなた」なのだ。

 

 

・・・唐突ですが、

おしまい。。

 

最後までお読み頂き、

ありがとうございました。


 

続編はまた少しずつ、

機会があれば。