今回はなんと、1日でコメント10件に達してしまいました。

今までで最短ですね!




ありがとうございます。






会社発足前の独立時のお話




今から26年前、僕が28歳の時、

初めて個人事業として独立しました。




なぜ独立したかと言うと、

新卒で就職した会社が1年後に倒産、

次の会社も1年で倒産、

更には次の会社も…




さすがに鈍感な僕でも、立て続けに3度倒産が続くと、

会社に就職すること自体がトラウマになって、

『じゃ独立でもしようか…』って、軽いノリで独立したんです。




でも自分は何をやりたいのか、何をやったらいいのか、

何をすべきなのか、まったく志も目標も意気込みもなく、

『独立すりゃあ何とかなるだろう』…って、

本当に場当たり的に事務所を構えたんです。




場所は日本橋の人形町の駅ビル。




駅ビルと言ってもワンルームで、


家賃は13万円だったと思います。




社員は5名(※社員と言っても法人登記はまだでしたが)、

倒産した会社の僕の部下でした。




毎日、『何をやろうか…』って話し合うのが仕事で、

話し疲れると、

『ちょっと頭を休めよう…』と、


事務所の真ん前にあるパチンコ屋へ(笑)。




軍資金は一人500円ずつしか渡しませんでしたから、、

あっという間に…(笑)。




お昼は、

築地市場でもらってきた野菜のくずや魚の頭を煮込み、

米は僕の新潟の実家から送ってもらっていたので、

毎日それを食べていました。




給料は一律8万円、

さすがにそれでは生活できないので、

5時になるとみんなアルバイトに出掛けて行きました。






ポスティングで学んだこと




僕のバイト先はチラシのポスティング会社で、完全歩合給、

1,000枚撒いて1,500円の収入です。




都心のマンションや密集地なら早く撒き終わりますが、

地方ともなると、どんなに頑張っても


3時間は優にかかりました。




割が合わない仕事ですが、

いつからか僕はチラシ配布の部隊とは別に、

企画や原稿を書く仕事で時給をもらっていました。




この会社のアルバイト600人の中で、

いつも首位に立っている人がいます。




「どんな配り方をしているんだろう」と思い、

彼と同じキャラバンに乗せてくれるよう社長に頼みました。




そして同じ車に10人ほど乗り込み、目的地に着きました。




チラシは重いので、

まず私たちは持てる量だけ抱え、

そして配り終わるとまた車に戻り、次の束を持って配ります。




しかし彼は、

最初から持ちきれないチラシを抱え、車から飛び出しました。




私は直感的に思いました。




「捨ててるんだ・・・」





あんなにたくさん持って行って、

1枚1枚配っていたら絶対に疲れます。




第一、


あれだけの量を3時間の間に配り切れるわけがありません。




絶対に捨てているに違いない・・・




そう思って気付かれないように尾行しました。




やはり、

思っていた通りのとんでもない光景を見てしまいました。




走りながら周りをきょろきょろ見て、

チラシの1束を茂みの側に放り投げたのです。




そしてまた走り出し茂みへ、そしてまた走り出し、

今度は公園のベンチの上にと(あれ?・・・)。




これではトップになるのは当たり前です。




そのことを帰ってから社長に告げるべきかどうか迷いました。




そう思っていたら、

彼は最後の1束になった時、

今度は猛然と1件1件手際よくポスティングし始めました。




でもその時は

「最後の束くらい、ちゃんとやるのだろう・・・」と思っていました。




ところが1束全部配り終えると、

先ほど1束置いた公園のベンチに戻り、

すかさずそれを抱えるや否や、また猛然と走り出しました・・・。




それで僕の息は切れ、後は追いかけられませんでした。




そうです、

周りをきょろきょろ見渡し1束ずつ置いていたのは、

エリアと周辺の配る件数を計算していたためだったのです。




いちいち車に戻ってチラシを取りに行っていたら

無駄な時間がかかります。




そこで彼はポイント毎に配りきれる丁度の量の束を置き、

そこを中心にして1件1件ポスティングしていたのです。






そう言えば彼は、

現地に向かう薄明かりの車中で、

事前に自分のエリアである住宅地図と終始、にらめっこしていました。




僕は疑っていた自分、

そしてそれを社長に告げ口しようとしていた姑息な考えに恥ずかしくなりました。




彼は65歳なのに、僕が見失うほど、ずっと走りっ放しでした。




それも、なんと、

片足が不自由な方で


「びっこ」をひきながら・・・。




プロの技をまざまざ見させて頂いた衝撃の事件でした。






いきなり600人の組織が自由に




でもその会社の社長は、


僕の発想力と行動力を認めてくれていて、

よく食事や飲みに連れて行ってくれました。




土日と夜だけのバイトだったので、

この範囲で営業の仕事も手伝いもしましたが、

僕が営業した先は次々と契約が取れました。




何せ、前職ではトップセールスマンで、

毎月100万円以上もらってましたから、

当たり前と言えば当たり前ですが(エヘン!)。




でもその事はその社長には言いませんでした。




そしてある日、

「君、社員にならんか。私の右腕になって欲しい」…




当然、就職にトラウマを持っていた僕は丁重に断りました。




その後に社長は僕に言いました。




「君は何をやっても成功できる男だ。

どんな商品でも、


君なら売れるアイディアを出せるだろう。

よし、


君に当社のバイト600人を自由に使っていい。

彼らを生かして欲しい。」






さて、平日の昼間は人形町の僕の事務所です。




ビルの外壁清掃を請け負ったり、

畳替えの代理店をやったり、

コイン占い機のレンタルをやったり、

立体駐車場の建築営業を行なったり…


何の方向性の無いまま、数カ月が立っていました。




その内、

一人、また一人と、社員が辞めて行きました。




「将来性がないので辞めさせて頂きます」




「この会社は何をやっている会社なのか、全く先が見えません」




「目標も志も無い、行き当たりばったりではロマンが持てません」…




それもそうだなぁ。。




本当にそう思いました。




実は僕の中には、

『いざとなれば就職して、


営業をやればいくらでも稼げる…』

という無責任な思いと変な自負心がありました。




でも、


通常の会社の営業では、


もう自分の中で燃えるものがなかったのです。




歩合は良くても、

自分が欲しくないもの、

自分で惚れていない商品を売るのはもううんざりだったからです。




『自分で惚れた


商品を売りたい』…




『売って喜ばれる商品に


出会いたい』…




その時、ポスティング会社の社長の言葉を思い出しました。




「君ならどんな商品でも、


売れるアイディアを出せるだろう」…






そうだ、これだ!




販売戦略の会社を作ろう!




600人のポスティング部隊を使って、


市場調査を行ないながら…






その中で、

自分の本当にやりたい事業や商品とも出会えるかもしれない。。






電話が殺到




代理店ビジネスの月刊誌に『無料広告コーナー』があることを知り、

それに応募しました。




すぐに電話がかかって来て、

「これは面白い!」と、


すぐに掲載してくれる事になりました。




わずか突き出しの小さなスペースでしたが、

掲載された日から電話が殺到しました。




広告タイトルはこうです。




『600人のチラシ部隊が、

御社の在庫や


売れない商品を


全て売って見せます!』




世の中には、


どれだけ在庫を抱え苦しんでいるメーカーや卸売屋さん、

そして商品が売れなくて悩んでいる会社が多いか、


本当に驚きました。




あまりにも反響が多過ぎて、

その場で無料で電話アドバイスしました。




けれどもアドバイスしながら、

各会社が一つの商品を売るための、

それこそ血と汗が滲むような、様々な努力の数々、

そして失敗談を聞き、すごく勉強になりました。




全部で1000社を超える会社から電話がありました。




その中でのある一つの話をします。








売れない商品が、


『なぜ、買わないか?』で売れた




九州の年老いた社長から電話がありました。




倉庫に『霊芝』の山が積み重なっているとの事。




霊芝とは、


『猿の腰掛け』とも言われているキノコの一種ですね。




癌などに効く漢方として知られているものです。




それを丸々一つの箱に入れて、


2万円で販売しているとの事。




『霊芝』は僕も知ってました。




とても硬くて、


水に浸け置きしてもなかなか柔らかくならず、

包丁で切るには一苦労で、

それこそのこぎりで切るか、カンナで削るしかありません。




その手間が大変なのはもちろんの事、

味もとても苦くて、


よほど根性を入れなくては飲み続けられない代物でした。




しかも倒産寸前で、社員は全員解雇し、

ポスティングを依頼する事も、印刷代の資金もないとの事。






そこでアドバイス。




『在庫の1割を粉砕して


粉状に加工して下さい。




そして、


お茶の玉露を仕入れて、


霊芝と混ぜ、ティーパック形式にするのです。




名前は、《霊芝入り玉露茶》。




入れる調合割合は、


抵抗を感じない苦味で、


できたらおいしく感じる割合がポイントです。




そのティパック一つをチラシにホチキス止めして


見本とし、


社長自らポスティングして下さい』


…と。






幸いだった事に、


以前の商品チラシが3万枚ほど在庫があって、

裏側は白紙だったのです。




その白紙に書く広告文章も僕がアドバイスし、

会社のコピー機で印刷するように指導しました。




このアドバイスすら忘れつつあったその3カ月後、

宅配便でこの『霊芝ティパック1箱』と、

1通の丁重な手紙が同封されていました。




あの年老いた社長からでした。




「お陰様で、


倉庫の在庫が全て売れてしまいました。




あなた様のお陰です。




今までこのやり方がまったく気付きませんでした。




あなた様がおっしゃっていたように、

買う側の立場で考えた事がなかったと、


心から反省しております。




社員も戻すことができ、


倒産からも救われました…。」






それから10年くらい経った後でしょうか、

日経流通新聞の記者から取材を受けた時、

この話をしました。




そうしたら、


その記者はこの会社を知っていると。




今は息子さんが継いで、


数十億の売り上げをやっているとの事。

(※但し今は玉露を入れてないそうですが)




そしてその息子さんが言うには、




「10年ほど前、東京に神様のようなコンサルタントがいて、

当社は倒産を免れた…と親父が言ってました」と。




とても嬉しい話しでした。。












あっ!大変!!!




「通常ではありえない奇跡」の話まで行かなかった…







ごめんなさい、

次回に続く…にして下さい。。