あと半年もすれば就活がスタートしてしまう。「怖いものはない」と言いたいところであるが、やはり未知の世界には不安がつきまとう。
就活で一番大切だと言われるのが自己分析だ。別に自分がどの業種・業界に向いているかを見極める必要はない。ただ、自分自身に嘘をついていると、面接官にも伝わってしまうほど緊張と不安でガチガチになるらしい。それを回避するため、誰よりも自分を知る必要がある。
他人から見た自分と自分が思う自分にはかなりの相違がある。私は、他人から見た自分を考えるのが趣味(?)である。これは小学生の時から無意識的に行ってしまう。一方、自分が認識する自分についてはとても浅い見解しかない。つまり、悪く言えば他人の目を気にしながら生きてきた、ということである。例えば、私がある相手対し何らかのアクションを起こすとする。それは行動であっても発言であってもいい。それに対して相手がどのように感じ、どのように反応してくるかを一瞬で予想してそれに備える。次の手、次の手、を頭をフルに使って(といってもほぼ無意識)考えていく。私は普段からあえて稚拙な行動や失言をすることがある。もちろん本当に誤って言ってしまったり行動してしまったりすることもある。しかしそれは極度に精神的圧力を感じている時か、相当スピーディーな反応を求められた時くらいである。(特に怒りに任せて感情的になっている時はかなり危険である。(笑)) つまり、私の言動には必ずと言っていいほど意味がある、ということである。この発言は他人からすれば呆れるものであろう。嘲笑も歓迎する。大変自意識過剰な発言をしているように思えるだろうが、私なりに自己分析し、事実だと思っていることをここに記している。
まぁそんなことはともかく、他人から見た自分について詳しい私が、自分自身から自分を見つめ直すということは困難である。他人の視点という、ある程度の客観性が入り混じってしまう。自己分析には主観性も大切だ。一番良いのは、「この人は私をこう思っているだろう」という考えが覆されることである。全くの見当違い、という事は今までに経験がない。しかし、「何を考えているのかが非常にわかりにくい」といった人は何人か出会ったことがある。約20年間しか生きていない私は、「世の中にはこんな人がいるのか」と驚かされることが多い。いい意味で特殊な人もいれば悪い意味で特殊な人もいる。さすがに大学生ともなれば、相手への接し方は一応心得ているので、そこに対して何かの不満を陰で言ったり、排他的な態度をとったりすることはめったにない。私は、そのような自分の中である意味での刺激になる人の存在こそ、私の自己分析にはもってこいだと思う。
友人のうちの一人に、私を本当に理解してくれているのかいないのかはっきりしない人がいる。きっと理解してくれているからなのだろうが、すぐに私の欠点や弱点を見つけては抉ってくる。そのような人に出会ったのは大学に来て初めてであった。しかも同性ではなく異性ということもあり、私が珍しくライバル心を剥き出しにできる。(笑)
自分が人の心情を考えるのは好きだが、逆に人から読まれることは、私にとってはちょっとした屈辱である、ちなみにこんなちっぽけな事を「屈辱だ」と感じてしまう自分の稚拙さをなんとかしたいというのが直近の悩みである。なんとかしたいと思っても、周囲の環境がそれと同様またはそれ以下(とても失礼な言い方で申し訳ないが。)であるため、さらに稚拙さが増していく。
いい人になろう。大人な考えを持とう。凛として生きよう。と意気込んできた。しかし、本当に素直で性格の良い子を見ると、自分は聖人になどなれないなぁと思ってしまう。大人な考えでいようとすれば、周りに対して少し見下したような見方になる。仕方のない事かもしれないが、偉人でも何でもない私からしたら是が非でも回避したことである。凛として生きようとすれば、「ひとり」でいることへの恐怖と孤独感が知らず知らずのうちに広がっていく。
変に飾ろうとせず、プライドや過剰な自信を捨て去ることで、一皮剥けた人間になれると思う。私にも言えることだ。
もっと書きたかったが、かなりの眠気に襲われているため、何を書き出すかがわからない状態にある。
ということで意識のあるうちに終えておく。
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