なぜか目を引く美しさの切手ですね。さらに面白いことには、切手の大きさのままの方が美しいのです。それは、おそらく切手の小さな画面を最大限利用して表現するための技術なのでしょう。拡大するとあらが目立ってしまうのですが、小さな切手の画面を見ると存在感があって、現物以上に大きくみえる。おそらくすべて計算し尽くしてデザインしているのでしょう。現物と拡大写真を見比べてみると、拡大した画像で「あら」であると思われる部分は、画像に輝きや潤い、空気感を与えるために意図的に手が加えられているようです。
ポーランドが1964年に発行した第二次世界大戦を記念する切手シリーズのなかの一点です。いかにもソビエト風の趣味の戦勝記念像ですね。この切手にはタブがあって、それには「WALKA I MECZENSTWO NARODU POLSKIEGO W LATACH 1939-1945 =1939-1945年におけるポーランド国民の戦いと犠牲」とあります。
ブィドゴシュチュ
1911年のブィドゴシュチュ切手に印刷されているブィドゴシュチュ(ビドゴシチ Bydgoszcz)はポーランド西北部の都市で、現在の人口は36万人。ドイツ語名はブロンベルク(Blomberg)。この地域の都市の宿命で、ドイツ領とポーランド領を長年行き来しました。結果として、ポーランド系住民とドイツ系住民が共存する歴史がありました。両者の間の紛争も多く、最大の悲劇は第二次世界大戦開戦直後のの1939年9月の「ビドゴシチ住民殺害事件(血の日曜日事件;ポーランド語 Krwawa niedziela、ドイツ語 Bromberger Blutsonntag)」です。ドイツがポーランドに侵攻することによって戦争が始まったのが、9月1日でした。二日後の9月3日(日曜日)には、この町の両住民が戦闘を開始し、ドイツ系住民が多数殺されました(第1事件)。すると、ドイツはこの事件を大々的にプロパガンダに利用します。さらに、9月10日には、ドイツ側からの反撃があり、はるかに上回る数のポーランド系住民が殺害されました(第2事件)。そして、10月1日には、ポーランド全域がドイツ軍とソビエト軍の制圧下になります。
参考ページ:
ブィドゴシュチュ(Bydgoszcz)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%82%A3%E3%83%89%E3%82%B4%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%81%E3%83%A5
http://pl.wikipedia.org/wiki/Bydgoszcz
ビドゴシチ住民殺害事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%89%E3%82%B4%E3%82%B7%E3%83%81%E4%BD%8F%E6%B0%91%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
Postbeeldのデータ
http://www.postbeeld.com/en/stamps/view/spl1533-second-world-war-5v/
現在のブィドゴシュチュ