父が逝った


3週間あまりの入院生活はコロナの影響で面会規制真っ只中

そんな中、担当の先生や看護師長さんの計らいで

15分ほどならと面会をさせてもらえていた

入院してからしばらく会えない状態が続いたのでホッとはしたけれど

それほどまでに切迫した状態なのだなと複雑な心境だった

 

実際 日に日に父の状態は悪くなっていったし

素人目からも、今年の桜を見ることは叶わないかも というのは感じた

 

入院したら 途端に病人らしくなる

とよく聞くけれど本当にそうだった

 

緊急入院した翌日から顕著な黄疸が出始めたし

いきなり腹水もたまってきて(入院時から少量の腹水はたまってたらしいけれど)

意識も濁り始め 見るからに病人になった

逆に言うと ギリギリの状態まで家で我慢してたと言うことだ

 

胃が原発の癌の多臓器転移 進行が早い悪性度の高いタイプの癌

2年から3年前のものだろうとの見立て

もっと早くに病院に連れて行けば・・・

冷たいのかもしれないが私にはこの たらればの後悔はない

抗がん剤の副作用で辛い思いをしながらの生活だったかもしれない

そうではないかもしれないけれど その可能性の方が大きかったのではないかと思う

80歳を超えての最後に長患いをするのは 父も望んでいなかった

・・・そう思いたいだけなのかもしれないけれど・・・

 

3月17日

駆けつけた時にはもう逝ってしまっていた

看護師さんからの連絡を受けて先生が駆けつけた時にはすでに

心電図はフラットだったと その間わずか5分

最後は本当にあっという間に肉体を脱ぎ捨てたらしい

 

エンゼルケアの最後 死化粧をさせていただいた

黄疸で黄色くなった肌にファンデーションを塗り口紅をさす

看護師さんがチークをつけてくれた

穏やかで笑っているような顔だった 可愛かった

 

20日に葬儀を終えた後 小さくなった父を実家に連れて帰った

入院した時のままの部屋

こたつの上には湯飲みやテレビのリモコン

昼寝に使っていた枕や脱いだ上着 いつもの風景 

そこに父だけがいない

寂しさが恐ろしいほどの実感となって押し寄せた

 

いつまでもいてくれる 

そんなわけはないと頭ではわかっていたのに

いつかいなくなる というのは非現実的なものだった

おかしな話だ・・・

調子が悪くなってからあっという間にいなくなってしまった

介護のプロに介護もさせないうちに

最後の最後まで娘たちの負担にならないようにとの思いだったのか

少しくらい介護させてくれても良かったのに

 

いなくなってから 孝行したかったと思うなんてベタすぎる

ベタすぎて笑っちゃう 本当にベタベタだ

心配かけないように元気にまっすぐ生きていかなくちゃ

って思っているのもベタすぎるけれど これからできる唯一の孝行がこれだ

私が向こうへ行く時まで精一杯の孝行をしようと思う

 

ピースサインをする遺影の父に約束した