気がつけばもう新年明けて6日がすぎた
今年もいつものように年末年始仕事
31日に良いお年を〜と仕事納めをし
元旦、明けましておめでとう〜と仕事初め
いつもと同じ年末年始 何一つ変わったことのない年始だった
震度7の大地震が起こるまでは
その時 3階の居室で食堂への誘導のため
利用者さんのおむつ交換をすませ車椅子に移乗しようとしてた
ベッドに横になっている利用者さんが
「なんかビリビリする〜〜〜」と
ん?と思った瞬間 ガタガタと建物が揺れ出したのがわかった
地震だ「うわ〜地震だねぇ!」
と身構えた でもいつもの揺れとレベルが違う
ガタガタがだんだん大きくなり
揺さぶれている感じの大きな幅の揺れになった
これはかなり大きいぞと思ったすぐに少し揺れが小さくなった
あ、これでおさまったかな と思った瞬間
ぐわ〜〜〜〜〜という感じでさらに大きな揺れが来た
立っていられないくらいの揺れ
ベッド柵につかまり片手で利用者さんを支える
こんなに揺れたら建物が崩れてしまうな
天井が落ちるかもな
下敷きかな 死んじゃうのかな
でも3階でよかったな2階だったら間違いなく生き埋めだな・・
なんて考えていた
どれくらい揺れてたのかわからない 本当に長く感じたけど
天井が崩れ落ちることなく揺れはおさまった
部屋を飛び出ると廊下のありとあらゆるものが落ちたり倒れてたりしてた
3階・2階・1階 安否確認に回る
部屋の中はぐちゃぐちゃだ
もちろん老人ホームの居室なので一般の家庭のような家具はないけど
衣装ケースやテレビやカラーボックスなど立っている家具は
全部と言っていいくらい倒れてた
1階は熱帯魚の水槽が倒れて水とガラスですごいことになっていた
怪我人は ベッドの柵に足を突っ込んじゃって軽く脛を擦りむいた1人のみ
みんな無事だった 不幸中の幸い本当によかった
施設自体の被害は厨房のガスが止まった
エレベーターが自動復旧できなかった
壁のひび割れ
水槽の損壊
外のブロック塀の倒壊
倒れた塀で車一台が傷ついた
くらいで済んだ
現在もまだ通常の生活ではないけれど能登に比べればなんでもない
震度5強の揺れ
能登では震度7 どれほどの揺れだっただろう
一瞬で日常が壊れた 今もまだ安否不明の人たちが200名以上
1日も早く見つかってほしい
そして被災地の同業の介護士たちはどれほどの苦労をしているだろう
自分達も被災者なのに発災から自宅にも帰れず
少ない人員 足りない物資の中
投げ出すこともせずに職務に当たっている
どんなに大変かよくわかる 一刻も早く支援が届いてほしい
翌日、関西や関東 中国地方 あらゆる都府県の県名市名が書かれた
緊急車両が列を成して能登へと向かっていくのを見た
ありがたくて涙が出た 助けに来てくれてありがとう
応援してくれてありがとう どうかご無事で
自然の力の前では 人間の営みなんて。。。
なんて事をよく聞くけれど 本当にそうだった
能登の海岸線は大きいところでは4メートルも隆起した
水平に2メートル近くもずれた
人間はこの土地に住まわせてもらっているんだと実感した
自然に対する畏怖の念
あらゆるものに対する敬意を忘れない日本人の精神
それを今一度思い出す時なのかもしれない