THE GUESS WHO
「LIVE AT THE PARAMOUNT」
1972
ゲス・フーは中学生の頃、ラジオでよく聴きました。
彼らのヒット曲といえば、まず一番有名なのが「アメリカン・ウーマン」でしょう。
70年にビルボードで1位に輝いています。
その次はやっぱり「ノー・タイム」でしょうか。これは69年で5位。
あとは「ジーズ・アイズ」(69年6位)「ラフィング」(69年10位)、
そしてワタシの好きな「シェア・ザ・ランド」(70年10位)、
「ハンド・ミー・ダウン・ワールド」(70年17位)、
ま、このあたりまでが彼らの黄金期でしょう。
彼らのヒット曲といえば、まず一番有名なのが「アメリカン・ウーマン」でしょう。
70年にビルボードで1位に輝いています。
その次はやっぱり「ノー・タイム」でしょうか。これは69年で5位。
あとは「ジーズ・アイズ」(69年6位)「ラフィング」(69年10位)、
そしてワタシの好きな「シェア・ザ・ランド」(70年10位)、
「ハンド・ミー・ダウン・ワールド」(70年17位)、
ま、このあたりまでが彼らの黄金期でしょう。

さて、このライヴ・アルバムの時点ではすでにギタリストのランディ・バックマンは
脱退しており、上記のヒット曲でいうと、70年の「アメリカン・ウーマン」までしか
在籍しておらず、以降の「シェア・ザ・ランド」や「ハンド・ミー・ダウン・ワールド」は
グレッグ・レスキューとカート・ウィンターがギターということです。
その後もグレッグ・レスキューの替りにドン・マクドゥガルが入ったり、
70年の中盤にはドメニク・トロイアーノ(後にジェイムズ・ギャングに移籍)も
ギターを弾いたりしています。
脱退しており、上記のヒット曲でいうと、70年の「アメリカン・ウーマン」までしか
在籍しておらず、以降の「シェア・ザ・ランド」や「ハンド・ミー・ダウン・ワールド」は
グレッグ・レスキューとカート・ウィンターがギターということです。
その後もグレッグ・レスキューの替りにドン・マクドゥガルが入ったり、
70年の中盤にはドメニク・トロイアーノ(後にジェイムズ・ギャングに移籍)も
ギターを弾いたりしています。
本盤のハイライトはやっぱり後半の「ハンド・ミー・ダウン・ワールド」~
「アメリカン・ウーマン」~「シェア・ザ・ランド」~「ノー・タイム」と
続く流れでしょう。中学生の頃、バートン・カミングスのヴォーカルが
ちょっと黒人ぽくて、暑苦しい...と言った友人もいましたが。
「アメリカン・ウーマン」~「シェア・ザ・ランド」~「ノー・タイム」と
続く流れでしょう。中学生の頃、バートン・カミングスのヴォーカルが
ちょっと黒人ぽくて、暑苦しい...と言った友人もいましたが。
例の長~い導入部(5分半ほどある)に続きイントロのギターのカッティングが
始まるや否や、オーディエンスも沸きに沸きます。
バートンのヴォーカルも最高潮で、この時代のバートンやジョン・フォガティあたりは
暑苦しいけど、やっぱり好きですなぁ。
始まるや否や、オーディエンスも沸きに沸きます。
バートンのヴォーカルも最高潮で、この時代のバートンやジョン・フォガティあたりは
暑苦しいけど、やっぱり好きですなぁ。
重~い感じの「シェア・ザ・ランド」、メロもマイナーからメジャーに変わり
ハーモニーもなかなかキマッテル。エンディングのゴスペルぽいところもいい!
そしてステージのエンディングは「ノー・タイム」、
このキャッチーなリフは一度聴いたら忘れられませんねぇ。
ハーモニーもなかなかキマッテル。エンディングのゴスペルぽいところもいい!
そしてステージのエンディングは「ノー・タイム」、
このキャッチーなリフは一度聴いたら忘れられませんねぇ。
このゲス・フーのように中学生の頃、ラジオで流れる曲をノートに書いて
自分なりのチャートを組みたてていた、あの頃の純真無垢な(?)少年時代が
懐かしいですねぇ。皆さんもそんな思い出あるんじゃないですか?
自分なりのチャートを組みたてていた、あの頃の純真無垢な(?)少年時代が
懐かしいですねぇ。皆さんもそんな思い出あるんじゃないですか?