CARMEN MAKI & BLUES CREATION 1971
『アングラ・シンガーとして見られていたカルメン・マキが、
ブルース・クリエイションと組んで制作。
ジャパニーズ・ロックの黎明期が記録された貴重なドキュメント。』
ブルース・クリエイションと組んで制作。
ジャパニーズ・ロックの黎明期が記録された貴重なドキュメント。』

1969年「時には母のない子のように」でデビューしたのが17歳。
レコード大賞受賞を記念してレコード会社から頂いたレコードの中の
ジャニス・ジョプリンに感化され、ロック転向を決意する。
72年のOZ結成の前年、竹田和夫率いるブルース・クリエイションと
アルバムを制作。竹田和夫だってまだ18歳なんですから。
レコード大賞受賞を記念してレコード会社から頂いたレコードの中の
ジャニス・ジョプリンに感化され、ロック転向を決意する。
72年のOZ結成の前年、竹田和夫率いるブルース・クリエイションと
アルバムを制作。竹田和夫だってまだ18歳なんですから。
竹田和夫のオリジナルも5曲含んでますが、後のクリエイション同様、
英詩に徹してます。
逆にマキは後の自身のOZでは日本語でロックしてるのが対照的ですね。
当時は日本語をロックに乗せる、という試みも出始めた頃で、
英語派と日本語派がせめぎ合ってましたっけ。
この時点ではすでに脱退してますが、布谷文夫も在籍してました。
後に大瀧師匠から「新民謡歌手」との称号を与えられたあの布谷氏です。
逆にマキは後の自身のOZでは日本語でロックしてるのが対照的ですね。
当時は日本語をロックに乗せる、という試みも出始めた頃で、
英語派と日本語派がせめぎ合ってましたっけ。
この時点ではすでに脱退してますが、布谷文夫も在籍してました。
後に大瀧師匠から「新民謡歌手」との称号を与えられたあの布谷氏です。
ロックに転向した当時のマキは、ジャニスというよりも
グレイス・スリックあたりを想わせるような瞬間もあります。
グレイス・スリックあたりを想わせるような瞬間もあります。
「Lord, I Can't Be Going No Home」などはツェッペリンとフリーを足したような感じの
マイナー・ブルーズです。
「Motherless Child」はお馴染みトラディショナル・ソングを見事、ロック・チューンに
仕立て、竹田和夫のギターも炸裂!
そして、これまたフリーのようなイントロの「I Can't Live For Today」、
グラスルーツの「Let's Live For Today(今日を生きよう)」というヒット曲が
マイナー・ブルーズです。
「Motherless Child」はお馴染みトラディショナル・ソングを見事、ロック・チューンに
仕立て、竹田和夫のギターも炸裂!
そして、これまたフリーのようなイントロの「I Can't Live For Today」、
グラスルーツの「Let's Live For Today(今日を生きよう)」というヒット曲が
ありましたが、タイトルだけをみると、まるでアンサーソングのよう。(笑)
竹田の粗削りなスライド・プレイも楽しめます。
竹田の粗削りなスライド・プレイも楽しめます。
どれも当時の「○○風」という域を脱し切れてないのですが、
OZ時代の様なワイルドさは、まだ無く、粗削りなところが魅力ではあります。
OZ時代の様なワイルドさは、まだ無く、粗削りなところが魅力ではあります。