COLOSSEUM 「LIVE」      1971
 
 よく「無人島へ持って行くアルバム」とかっていう例えがありますが、
「電気も通ってない無人島で、どうやってレコード聴くんだよぉ!」的な
非現実的な発想ではなく、誰もがいづれ訪れる死期に際して
「棺おけに入れて欲しいアルバム」・・・これも棺おけと共に燃やされてしまう、
「あの世に持って行くアルバム」・・・持って行くというだけの満足感でしかなく、
実際、あの世で聴けるわけでなし。
それでは「葬儀で流して欲しいアルバム」とか
「死期が近づいた時に枕元で聴きたいアルバム」とか、
いろんなこじつけを考えますが、
ここは素直に「あの世へ持って行くアルバム」ということで...。(笑)
 
  なお、アルバム・タイトルの前の番号は好きな順番とか、
優先順位とかは関係なく、ランダムに載せて行きたいと思います。
 
 コラシアムのライヴ盤で2枚組LPです。
 
 
 
 
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 輸入盤の2枚組で、写真左の盤がSIDE-Ⅰ、右の盤がSIDE-Ⅱとなってます。
あれれ!? 普通SIDE-Ⅰの裏面がSIDE-Ⅱじゃないの? と思いますが、
SIDE-Ⅰの裏はSIDE-Ⅳ、SIDE-Ⅱの裏がSIDE-Ⅲとなります。
これは当時のオート・チェンジャー仕様で、2枚重ねてチェンジャーにセットすると、
1枚目のA面が終わると2枚目が落ちてきてB面が再生され、
終了すると2枚をそのままの状態でひっくり返してセットし、
C面、D面と再生されます。
 60年代~70年代初めの我が家には家具調の「ステレオ」なるものがありまして、
一丁前にチェンジャーでした。(東芝のオスロというやつ)
でもレコード盤が1枚ずつ「バサッ」と落ちる様を見て、レコード盤が可哀想で、
ほとんどマニュアルで1枚ずつセットして聴いてました。
それにシングル盤をチェンジャーで使用する時は、1枚1枚、薄型のアダプタを
ドーナツの穴にはめなくてはならないので、かなり面倒でした。
 
  リーダーのドラムス、ジョン・ハイズマンに初めて出逢ったのは
68年のメイオールの「BARE WIRES」でした。
ジャジーなドラミングが魅力でした。
翌年、メイオールの「BLUES FROM LAUREL CANYON」の後、
ブルーズ・ブレイカーズを脱退し、コロシアム結成となります。
 
 さて、このコラシアム、ジョン・メイオールのところにいたジョン・ハイズマンと
ディック・ヘクストール・スミスが中心になって作った
ブリティッシュ・ジャズをベースにしたバンドなのですが、
この「ライヴ」に至ってはかなりブルーズ色も加味し、
ハードかつエキサイティングな構成となってます。
大迫力のクリス・ファーロウのヴォーカル、
スタジオ盤では味わえない「暴れまくる」デイヴ・クレムスンのブルーズ・ギター、
まさに70年代のベスト・ライヴ・アルバムの筆頭に挙げたいくらいの作品です。
 
 元々ジャズ畑なのはリーダーのハイズマンとヘクトール・スミスの二人で、
あとのメンバーはロック畑です。このあたりのハイズマンのマネージメント能力は
素晴らしいものがあります。
 この後テンペスト結成に向けクレムスンを引っ張ろうとしましたが、
ハンブル・パイ加入が決まっていたため、アラン・ホールズワースに落ち着きました。
クレムスン続投なら、テンペストはブルーズ・ロック・バンドになってたかも?
 
 ブルーズ・ロックというコラシアムの新しい切り口を拓くには、
ファーロウとクレムスンは不可欠だったでしょう。
C-2「Stormy Monday Blues」でのクレムスンのブルーズ・ギターは
決して上手くはないのですが、ここまでネットリと弾くのは
後にも先にもこれだけでしょう。
そしてD面の「Lost Angeles」はメンバーの個性が凝縮された
16分にわたるナンバーです。
 しかし叩き続けるハイズマンのドラムス、凄いですねぇ。
 
 さて次回の「あの世アルバム」は憂歌団の「ブルース」を予定しています。