今日は、当番の日だったので少し早めに家を出て、コープで昼食のお寿司を4人分を買って車ダッシュ池田市の古彩庵へ。


『茶通箱、唐物、盆点以上のお免状』を持っている人だけのお稽古日。


朝10時から夕方3時まで,びっしりお稽古します。私の茶道復活は、あくまでも『母や祖母への罪滅ぼし』であって、決して茶道を極めようと思って再開した訳ではありません。

私の持っているお免状が、茶通箱・唐物まで持っている為、何となく、いつの間にか、別稽古にも通うことになった次第。


13歳に母からスパルタで仕込まれた後、母のお茶の友人達を通して12年間仕込まれた茶道が、望むと望まざるに関わらず・・・しっかり身に付いてしまっていて・・・逃れることが出来なくなってしまっているのですショボーン


亡き夫が『剣道』を、無理矢理父親に命じられて、否が応でも剣道から逃げることができなかった状況とよく似ています。彼も13歳から結婚する迄の12年間,わからないまま剣道一筋に頑張り、しかも夫もその能力に合ったのか?インカレ団体優勝🏆迄上り詰め、自他共に認める最強の剣道人でした。


しかし、彼も私も結婚により、互いの両親から独立したと同時に、彼は『剣道』を、私は『茶道』を完全に捨ててしまいましたびっくり


彼も40歳の時に父親が亡くなった後,数ヶ月罪滅ぼしに竹刀を持って道場に通った事もありましたが,やはりどんなに剣道が強くても、彼は剣道が嫌いでした。


私も今も茶道に意味を見出せなくて・・・もがいています。お点前の美しさは、自分の意思で身についたものではなく・・・日本文化の『道』という『型から入る思想』のなせる技であって,私自身では無いのです。


白洲次郎の妻白洲正子さんが、『能』を13歳から50歳まで自他共に評価される程に極めたけれど、遂に『自分の本来の姿では無い事』を悟り、完全に捨ててしまう話をEテレで数日前に見ましたが、人には『己が美意識』というものがあって、そこに到達するのが、本来の生き方ではないのかなぁ・・・とツラツラと考えたりもしています。


夫の生涯を見ると・・・彼はスポーツより勉強がしたかったのでは無いだろうか?と思わされています。亡くなる前の2年間の猛勉強とその残されたノートを見ると・・・彼の別の天才気質を見る事が出来ます。